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なぜ大学生は、やたらとオリジナリティを追求しようとするのか?

谷本英彰と申します。
大学で保健体育の教員養成に携わっていて、時々 ”模擬授業” という形で教員志望の大学生が、同じ教員志望の大学生を中学・高校生に見立てて授業をするという活動をしています。

その模擬授業を実施するときに「過去に実施された良い授業を、そのまま真似してやってみよう!」ということをやったりするのですが、真似をせずに自分なりの要素を加えてアレンジしてくる大学生がいます。

いやっ!一旦 本気で真似してみた方が、自分のレパートリーが増えるから良くない?

そんな風に私は思っていて、そのことも伝えるのですが、オリジナリティを出そうとアレンジしてくる学生が一定数いるんです。

なぜ、そこまでオリジナリティを出すことにこだわるのか?学生に直接聞いてみたので、ここに記しておきたいと思います。


真似をしていることを周りが知っている(バレている)のは嫌だ

真似をすることに関しては「あ!こいつ、人の真似している」って思われるのが嫌なんだそうです。

なんか、そういうプライドが働いてしまうとのこと。

ただ、今回は真似をするように指示が出ている状態なので、そのプライドは働かないはず!

ということで、もう少し深掘りして聞いてみると、、

真似する対象と違う・間違うようなことがあったときに、「間違った!」と自分も周りも分かってしまうのが嫌だ!

ということらしいです。

つまり、間違ったか?間違っていないか?を判断する材料が明確になっている場合は、真似をして間違えたくないから、真似をしないみたいです。


人の真似をするのは、やり辛い

自分のやり方、問いかけ方と違うから、予期せぬ反応が返ってきたときに対処できないため、真似をしないとのことです。

自分のやり方であれば、何が起こるか?もある程度 想定しやすいし、周りをコントロールすることも可能…ということみたいです。

人が考え、創ったコンテンツは、そのコンテンツの意図や目的などが読み取るのが困難だから、自分で創った方がマシということなのかな?…と思いました。


人の真似をするな!自分で考えろ!と言われて育った

過去に、人の真似をしようとしたら「真似をするな!自分で考えろ!」と言われることが多くて、真似をすることは悪いことだという認識があるとのことです。

たしかに、学校教育現場等では「自分なりの・・・」を追求するように言われる場面をよく目にするような気がします。

あと、自分自身も「参考にするのは良いけど、真似をするのはダメ」みたいなことを言われることはよくあったなぁと思い出しました。


おわりに

ざっと挙げてみると、真似をすることの良さを知らない(むしろ悪いことだと思っている)ということと、プライドが邪魔をしているということが要因になっているのではないか?と思いました。

今、担当している授業で「良い授業を先生の言動、生徒の言動をすべて真似して再現してみよう」みたいな実践をしているのですが、この実践を提案した瞬間の受講生の顔は「えっ?それ、、、やる意味あるの?」みたいな疑いの眼差しが飛んでくる状態です。

この実践を通して、学生は学びを深めることができるのかどうか…?

学びを深めることができれば、真似をすることの意義も伝えられる気がします。

またいつか、その実践について振り返りながら”真似をすること”について考えてみたいと思います。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!


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