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未完成ゲームを供養する 振り返りとそこで得られた示唆について

家族で遊べるボードゲームを作ろう(どうせならその過程を公開しよう)と思い立ちnoteをはじめました。
でも作り始めるその前に、ひとりブレストをしっかりやっていきたい。まずは雑念を書き出す。客観的にそれを眺めて頭の中を整理する。それから目指すべきゴール・チャレンジしたいこと・やらないことを言語化する。
ぼんやりとゲームのネタは考えているのですが、作り始めるのはそのあとです。

というわけで、今回はその「雑念を書き出す」「頭の中を整理する」の一環として、かつて作ろうとした(あるいは妄想だけで終わった)ゲームについて、振り返っていきます。

#1 ポンコツ大貴族を陥れ成り上がっていくゼロサムゲーム

  • 土地・権利・資産・名誉をたんまり持ってる大貴族NPCと、それに群がる貧乏貴族プレイヤーたち、という構図でゲームスタート

  • 1人ずつ順番にプレイ(『儲け話』を場に提示、大貴族へプレゼン、儲け話への投資)して一巡したらラウンドが経過

  • ラウンド経過ごとにハプニングが発生して儲け話がでかくなったり化けの皮が剥がれたりする

  • 儲け話・大貴族・他プレイヤーを利用したり翻弄されたりしながら儲け話の刈り取りをして自己資産を増やす

対戦相手を選んで攻撃することが苦手な人、けっこういるんですよね。そこで、良心の呵責なくボコってOKな代理プレイヤーを用意してこの課題を解決しようというのが企画の発端です。例えるなら、桃鉄のCPUを仮想敵としてゆるく協力対戦する、みたいなイメージ。

と、ゲームの説明が終わったところで本題です。なぜこれを完成させられなかったか。
それは、ゲームの規模が想定を超えて大きかったから。つまりコンポーネントの種類が多い、点数が多い、ルールが厚い、箱がでかい。
遊びになりそうだな、と思える程度にはルールを詰めたんですが、当時はテストプレイするでもなく生産コストを試算して「ダメだこりゃ」と結論付けてしまいました。

では、どうすればよかったのでしょうか。
答えは簡単、言うは易しですが、ここからの工程で要素を削って尖らせていけばよかったんですよね。思いついたことを全部盛り込んで1つも捨てられない、というのは驕りというものです。ブラッシュアップにはゲームをわかりやすく、より面白くする、という目的がありますが、無駄を削ぐという側面もあるのです。
問題にぶち当たっても、それを乗り越えるためにあがくのがクリエイター魂・職人の気概というもの。このときは見切りをつけるのが早すぎたのでした。

#2 やたらと細かい台本を覚えられなくてアドリブとノリで試合をすすめるタッグマッチプロレス

  • 事前に提示された細かすぎる台本をレスラーであるプレイヤー全員で頑張って記憶して、いざ試合が始まったらその記憶を頼りに手札の技カードをやりくりして試合をすすめる、という協力カードゲーム

  • でも記憶なんて曖昧なものだし、そもそも手札が回らなくて次第に台本通りに試合が展開しなくなる

  • また的確な攻撃・受けを繋げるとコンボボーナスが発生し、台本通りに進めるよりも観客が沸く(得点が加算される)ため、アドリブを効かせた方がいい場合がある(むしろそうしないと白けた試合になるリスクすらある)

  • なおプレイヤー同士は言葉による相談ができず(試合中ですよ?)、アイコンタクトと指差しのみでコミュニケーションする必要がある

協力型のゲームに一石投じてやろうという動機で考えたネタです。その上で、受けの美学やマイクパフォーマンスを大喜利要素的に盛り込んだらパーティゲームとしてもイケそうだ、という思惑でした。
ルールもカード構成もシンプルにまとまりそうに思えたのですが、ではなぜこれを完成させることができなかったのでしょうか。

理由は明白で、私自身がプロレス愛に溢れてるわけじゃなかったからです。
神は細部に宿るというか、好きな人には伝わるという部分への機微がないというか、ニワカが浅い知識で調子こいてる的な雰囲気のゲームになってしまうのでは……という懸念が払拭できなかったんですね。試合を通じて繰り広げられる物語・ドラマ性・エンタテインメントの何たるかを表現するには生半可な覚悟では足りぬ。プロレスファンが喜ぶのかこれ?という後ろめたさもありました。

では、どうすればよかったのか。
ずばり、好きなことをモチーフにしよう!です。知識量ではありません。愛です。
これが仕事だったら、形から入って好きになっていくパターンもあるのですが、言い方は悪いけど、この企画はコンセプトが先でモチーフは取って付けただけだからなあ。

ちなみに嫌いじゃないんですよ、プロレス。「1+1は2じゃないぞ。オレたちは1+1で200だ!10倍だぞ10倍」とかスーパー・ササダンゴ・マシン選手の「煽りパワポ」は大好きです。けど、こういう例えしか出てこない時点でやっぱそれって浅いんですよね。
あと付け加えるなら、4人専用ゲームというのは敷居が高い。高すぎる。(どちらかということこっちの方がクリティカルかもしれません)

#3 地雷原でやる鬼ごっこ

  • 地雷と装備のマップチップを伏せて配置しマップを作り、そこでターン制鬼ごっこをする

  • 地雷には種類があり、起爆条件や爆発範囲・爆風の形が異なる(たいていは踏んだら爆発するが、そうならない場合もままある。そして爆発したらその周りのプレイヤーも巻き込む)

  • 発見した装備は1つだけ身に着けることができ、これにより他プレイヤーへの攻撃、様々な移動手段の獲得、地雷の回避・罠としての利用が可能になるため、積極的にマップを掘り返して装備を探す必要がある

  • 装備同士にはそれぞれジャンケンのような相関関係があり、よって全プレイヤーが鬼にも狩られる側の人間にもなりうる

だんだん説明くさい文章になってきたけど、続けます。
このネタはボンバーマンをボードゲームにしてみようというのが発端です。ハプニング多めのアクションゲームならではのドキドキと慌てふためく感じ。アイテムに飛びつきたくなる欲求と葛藤。これをボードゲームにしたら面白いのではなかろうか、という発想ですね。みそボンの仕組みもすごくいい。

しかしこれも、ゲームとしては完成しませんでした。なぜでしょう。
それは、世の中への配慮。大人の事情、忖度です。
モチーフが物騒なんですよね。これだと世界進出は難しい。意識高すぎるかもですが、地雷絡みの悲しいニュースはいまも世界に溢れています。
モチーフを置き換えられればよかったのですが、どうにも爆発以外だと面白くならなかったという。

では、どうすればよかったのか。
モチーフありきでゲームを作るなら、そのモチーフって世の中に受け入れられるものでしたっけ、ということに頭を巡らせる
閃いた!と思った時点で舞い上がっており、そんなこと考えられなくなっている可能性はありますが、この意識が頭にあるだけで事故は減らせそうです。

#4 リセマラポーカー

出オチ感たっぷりな見出しですが、想像にかなり近い内容かと思います。

  • プレイヤーの数だけトランプを用意する

  • 各自トランプをシャッフルして5枚×Nセットを引いて内容を確認し、任意のセットを山に戻す

  • これをX回繰り返し、最終的に手元にNセットを作り対戦相手とN回戦のポーカー対決をする(各セットの役だけで勝負する)

面白さはこの際、別にして!
これを作らなかった、あるいはブラッシュアップすらしなかった理由は、このネタにいくら足しても引いてもポーカーの域を出そうになかったから。ポーカーベースであることが問題なのではなく、そこを飛び超えてさらに面白い体験を提供することができそうになかったから、です。

では、どうすればよかったのか。
元となるゲームがありそれをアレンジする場合、そのゲームの欠点が補われる、親しみやすいモチーフに置き換えるなど、元のゲームにとって(そのゲームのファンにとって)歓迎される提案になっているかをしっかりと考えるべきでした。
本作はリスペクトに欠ける独りよがりな企画でしたね。
あとこれ、トランプがあれば遊べてしまうので商品化がむずかしいという欠陥企画でもありました。(プラスアルファ部分で何かあればよかったのですが、蛇足の案しか浮かんで来ず。ポーカーという洗練されたゲームに何するものぞ)

まとめ

  • 初期バージョンは不足と無駄だらけの未完成品だと心得よう

  • 愛のあるモチーフ選びをしよう

  • 人や文化により忌避されるモチーフがあることを意識しよう

  • 先人へのリスペクトを忘れずに
    独りよがりに陥らないよう気をつけよう

み、耳がいたい……。

次回予告

さて供養という名のもとに黒歴史、もとい雑念を書き出して整理してみましたが、いかがでしたでしょうか。これらのネタは古くは10年くらい前のもので、私自身、あらためて振り返ってみることで腑に落ちたこと、学びがあったことに気づかされました。
もし今回供養したゲーム案に面白いものがあったり、示唆や共感する部分があったら「スキ」をいただけると嬉しいです。

次回は目指すべきゴール、チャレンジしたいこと、やらないことを言語化する、その頭出しとしての雑談回を予定しています。
引き続き、よろしくお願いします。

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