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コラム「○○と言ってみたら...」


今日は休日なので、思った事を思いついた時に書こうと思う。

昨日久しぶりに「フォレスト・ガンプ」を鑑賞し、ベトナム戦争のシーンがあるので、戦闘のシーンや、戦線に巻き込まれてケガをしたり、亡くなったり、という場面を観ると、やっぱり戦争なんてやっていい事なんでひとつもないな、そう感じた。

私は戦争をテーマにした映画は結構好き。これは、戦争に賛成している訳ではない。むしろ真逆だ。

「プライベートライアン」に「戦火の勇気」「地雷を踏んだらさようなら」「ライフイズビューティフル」、全てにおいて戦時下を、戦闘に参加したり、日常を懸命に生きたり、そんな事を伝えながらも、最後に「戦争やって良かったね」というようなラストを迎える映画は全くない。

戦争がもたらすもの、負の遺産、多くの人々が命を落としたり、人生を翻弄されたり、変わったり、この戦いは必要なものなのか、人の命は無くなってもいいの?そんな問いを投げかけられる。そして心が重くなる。

何が大切なのかは常に忘れずに心に留めておきたいと思う。

(もちろん、国と国との戦いは、政治的戦略とか、思惑とか、軍事力の強化だとか色んな意味があるのはニュースでよく聞くから、私達の日常にピンと来なくても、色んな意図があるのか、と少しは分かる)

けれど、やはり、人が亡くなって良いことなんて一つもないように思う。それは敵も味方も。

ふと考えた。小さい頃「おはよう」という言葉を工夫しようと思い「冷やし中華」という言葉に変えてみた事がある。これは友人には全く伝わらず、すぐに使うのをやめた。(確かに今考えると意味不明、けれど小さい頃は意味不明が楽しかったりする)

先日、「VOGUE GIRL」の人気占いしいたけ占いを読んでいた時のこと。「しいたけさんの今週のアドバイス」のようなコーナーがあった。私は、なんとなく「しいたけさん」と呟いてみた。そしたら、肩の力が抜けた。

その後スーパーマーケットの帰り道、娘と話した。

「プーチンにも'しいたけさん'という言葉を教えてあげたら戦争をやめないだろうか」

「しいたけさん」という言葉は呟くとなんだか、肩の力が抜けてしまう。これはぜひおすすめしたい。私の場合だけど、すごく良い意味で悩む事が馬鹿馬鹿しく思えた。

プーチンも引くに引けなくなっている。国のトップとは言え時には心が弱るだろう。そんな時プーチンが秋田県から贈られた、秋田犬の夢ちゃんを胸に抱き
「シイタケサン...」
と呟いたところを想像してみた。悪くない。

もし、その一言を呟いてみたらこの惨状に歯止めがかかるのではないか、そんな事を夢見ている。

秋田犬は大きくてかわいい!

(MacBook)

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