そこにはいないかもしれない
夏休みに
地元の近くの平泉に行った。小さい頃から馴染みのある場所だ。
初詣は中尊寺だし、何度足を運んでいるかわからない。
藤原氏三代が栄え、中尊寺は極楽浄土をイメージした、というのは有名な話だけれど、雄大で厳たる空気感は圧巻だし、とても神聖な気持ちになる。
と、そこまではいつもの中尊寺で、とても清々しい気持ちに。
今日は加えて、追い詰められた源義経最後の場所だという「義経堂」へ立ち寄った。
義経堂への長い坂道を登り切ると
藤原氏の軍と義経が戦いを繰り広げたという衣川もすごくきれいだ。
そして、義経堂を参拝する。
と、娘が
「なんだかこの中に義経入ってなさそう」
「そこにはいないかもしれない」
という。直感、というので、私もそんな気になって、そんな感じがして
「それなら、青森に逃亡説?モンゴルに逃げた説?」
なんていう言い伝えが頭の中をぐるぐる回って、源義経、最後の場所じゃないんじゃない?っていう気がしてきた。
モンゴルへ逃げたとしたら「チンギスハーン」になったという説もある。
悲しい話なら、ワクワクする方を選びたいような。
「義経モンゴルに逃げたんじゃない?!」
今日は義経堂へ行ってそんなロマンがあふれとてもワクワクした午後だった。
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