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「ほしとんで」と「マザーウォーター」

自分の感情は自分だけのもの
※漫画「ほしとんで」と映画「マザーウォーター」のネタバレ有

今ハマっている、俳句コメディ漫画「ほしとんで」の4巻読んでいた時、
大学生の主人公、流星くんが過去の黒歴史を語り、最後「あの経験も感情も、今度こそ俺だけのものだ」で締め括る場面があった
感情は自分だけのもの・・・ピンとこなくて黒歴史の部分から2度ほど読み直す

流星くんの黒歴史は中学生の頃、ただ自分が楽しくて書いていた小説があれよあれよと中学校全体、教員にまで広まり、流星くんの意思感情とは関係なく表彰、体育館で感謝のスピーチを強いられる
流星くんの友人、航太郎くんは「嬉しくないのにありがとうはだめだよな」という
言葉の力を信じて、自分は嬉しくない、感謝の気持ちでないことを教員に告げるも、それは嬉しいことだと覚えなさいと言われ、結局スピーチをする
航太郎くんに聞いてもらって救われたが、時がたって段々と「あの時の感情は俺だけのものじゃないか?」と思うようになる
(説明下手かつかなり端折っているので読んでない人は読んでください。俳句興味なくても読んでください。この漫画最高です・・・)

どうにもこうにも「感情は自分だけのもの」の意味がわからず魚の小骨のようにひっかかったまま漫画を閉じた

2日後、家で京都が舞台の映画「マザーウォーター」をみていた

そこに登場する青少年のヤマノハくん(加瀬亮)がバーの店主・セツコさん(小林聡美)に自身の不謹慎な感情を吐露する
それに対し、セツコさんは「普通よ」と何度も言う

昔、人に自分の不謹慎な感情を話した時に「大丈夫だよ、自分もそうだから」と言われて救われたことをぼんやり思い出していた
でも、その言葉は私にとりあえず合わせてくれたものなのか、本心なのかは永遠にわからないな、と思った時ふと「感情は自分だけのもの」がしっくりきた

そういや最近、「死にたい」なんて感情さえも誰かを傷つけそうだとか、そんなことばかり考えていたら自分の感情を人に話さなくなって、「私の思ってもいない、無難な感情」を話すようになっていた
でも「死にたい」は私の正しく感じた感情で、それは正しく嘘ではなくて、人が共感することでもない

思ってもいない「ありがとう」は簡単に言ってしまってる

もう1度流星くんの黒歴史と締め括りを読み直してなんだすんごくシンプルな話だとしっくりくる
でもこの言葉にひっかからなかったらこんなに遠回りに考え事できなかったと思うのでラッキーだ

そして結局どんなに自分の感情を表現しても、それは相手にとって表現でしかないのでは(本当にその感情かどうかなんてわからないのでは)とまた考え事の迷宮に迷い込んでいる
なので、「感情は自分だけのもの」と言う結論を持つ流星くんが文学部で俳句や文章を書いていて、かなり面白い、、

とりあえず嬉しくない「ありがとう」は極力やめるところから

ついでに遠回りの道中だが、人が話す「自分で不謹慎だと理解している感情」は本物だと思えるし、安心させてくれますね
弱みを握らせてくれるのに近いのかもしれない

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