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『コントが始まる』第4話 「画数が少ないテレビドラマへの期待値」

「全然関係ない話していい?」

というのは、実は関係を見出してほしい話題を出すときの照れ隠しとして使用されるフレーズだが、全然関係ない話から始めたい。

第4話を観る前に、ニューヨーク主催の配信ライブ「さようなら花鳥風月ライブ」を観た。「花鳥風月」とは、神保町よしもと漫才劇場にかつて存在した、芸人のランク分けシステム。観客投票によって花をトップとしたヒエラルキーが出来上がり、芸人たちのパワーバランスが狂ったという「事件」がライブの発端となっている。東京若手芸人のカリスマ兄さん的存在であるニューヨークが、芸人同士の確執を笑いのまな板に乗せてさばいていく。芸人の感情が溢れ、サービス精神と実存の間で引き裂かれそうになる姿がエモーショナルな、正しく「プロレス」的なライブであった。ニューヨークの屋敷が、聞こえるか聞こえないかのトーンで漏らした「お笑いっていいなあ」という言葉が、耳に残る。このライブの配信チケットは既に3000枚以上売れている。今はまだ無名の芸人たちが、側から見れば小さなことで一喜一憂し、もがく姿が劇場のキャパを大きく上回る人に届いたのだ。

そんな現在進行形の芸人たちを見ていると、10年で売れなかったら解散するというマクベスの決断は早すぎるように思う。トリオを解散し、バラバラに住み、別の仕事を始めることが「社会と向き合う」ということなのだろうか。3人が共同体としてつながりながら、単独ライブの配信などで収入を得つつ、活動を持続する道があるのではないだろうか。そんな疑問を抱きながらドラマを観る。

今回、冒頭で披露されるコントは「捨て猫」。猫の扮装をした春斗(菅田将暉)が「はぁ…」とため息をつく。里穂子(有村架純)の妹・つむぎ(古川琴音)は、このコントだけ毛色が違うことに気づく。マクベスのコントの台本は主に春斗が書いているが、このネタだけは瞬太(神木隆之介)が書いたのだ。これまで、傷ついた人々の受け皿として生きてきたつむぎ。バイト先のスナックで働く年下の先輩・うらら(小野莉奈)の吐いたため息をも受け止め、まるで捨て猫を拾うように家へ連れてくる。

第4話では、「名前をつける」という行為が繰り返し描かれる。元ボクサーの大将(伊武雅刀)は自分の店にかつてのリングネーム「ボギー」をつけ、うららはバスタオルにバンドメンバーの名前をつける。「マクベス」という名前は潤平(仲野太賀)の彼女・奈津美(芳根京子)がつけた。

かつて春斗と潤平の背中を押し、「マクベス」の由来にもなった真壁先生(鈴木浩介)が、3人の部屋に訪れる。トリオの行く末を相談する春斗と潤平に、真壁先生は「解散した方がいいと思うぞ」と厳しい言葉をかける。潤平が期待していたのは、先生の口癖「遮二無二やれよ」だった。真壁先生は期待通りの言葉をくれない。

「期待値があるから」「太一だけに」

というのは真壁先生が息子につけた名前にかけたダジャレであるが、命名という行為は呪いに似ている。春斗が「奈津美が考えた名前なら潤平も簡単に辞めるって言わないだろうし」とマクベスという名前を受け入れたように、命名したという事実が言葉以上の意味を持つ。瞬太は自分を否定し続けた母親(西田尚美)の存在に囚われていた。そんな母親が危篤状態だという連絡が来る。それでも会おうとしない瞬太を春斗と潤平が責める。

所謂「毒親」問題をテレビドラマで扱う場合、安易な許しと和解の物語に帰着しがちである。この話も、母親を許すよう圧をかける春斗と潤平に正直、鼻白んでしまった。親子の呪いを無批判に肯定する展開になりはしないかと不安になる。

瞬太を動かしたのはつむぎの言葉であった。「許したくない」という気持ちを受け止めつつ、母親に「逆襲する最後のチャンス」と、病院へ行くように促す。母の日の前日のプライムタイムに放送するドラマの中に、フッと別の風が流れ込む予感がする。そんな期待に反し、その後の病院のシーンは、これまで描かれてきた「親子の絆」の物語を再生産する以上のものではなかった。神木隆之介が思いを叫び、切ないピアノの劇伴が流れ、手を握るアップで終わる。これまで否定され続けてきた息子が、最後の最後に母を「許す」。ここであいみょんのエンディングテーマが流れたら、次週からの視聴を考え直したかもしれない。

しかし、ドラマはここで終わらなかった。葬儀を終えたマクベスは、いつも通り、ネタ合わせをしに訪れたファミレスで、死んだ母親をネタにミニコントを始める。塩を注文し、除霊しようとする潤平。春斗は母親の霊の肩に手を回して笑いを取る。バイト先では大将が「親だと思ってくれて構わねえからな」と声をかける。つむぎはミートソースのパスタを作り、母親が許さなかった粉チーズをかける許可を出す。周囲の人間が、不器用ながらも瞬太の呪いを解いて、自分の人生を生きることを、笑って許す。

抗えない血の繋がりをテーマにした第3話の翌週に、母親の呪縛から解かれ、血縁を超えた関係に可能性を見出す瞬太の姿が描かれる。コントのラスト、「あしたのジョー」の丹下段平のような扮装の潤平に、猫役の瞬太が叫ぶ鳴き声。それは数字を英語で数える元ボクサーの大将に向けたメッセージであり、自分を縛る血縁からの脱却宣言だ。このドラマが「本当に伝えたいこと」だから、3回繰り返す。

「ワンワンワーン」

毎週、このドラマの感想だけを書いているが、今期は他に『大豆田とわ子と三人の元夫』『生きるとか死ぬとか父親とか』『今ここにある危機とぼくの好感度について』を観ている。現行の社会に対する批評的な視点を持ったこれらの作品と比べると、『コントが始まる』は旧来の価値観によって作られたテレビドラマの枠に収まっているような印象も受ける。しかし、登場人物が発する台詞や物語展開そのものではなく、見落としてしまいそうなディティールに何か意味を込めようとしているように感じるのだ。画数の少ない名前「太一」に「期待値」をかけるように、素っ気ない描写の積み重ねによって提示されるメッセージに期待したい。

さて、次回はいよいよ、ずるずると先送りにされているマクベスの解散問題に向き合うことになりそうだ。答えは出ないだろうが、なんらかの方向性が打ち出されることだろう。そういえば、先述した「さようなら花鳥風月ライブ」に出演していたナミダバシの太朗が、「M-1決勝に残らなかったら解散する」という宣言を延期したことに対して「延期ってありなんですか?こういう解散系のやつで」といじられていた。「解散宣言は絶対」という価値観すら、笑いとともに塗り替えてしまう芸人の世界。マクベスを解散し、社会に迎合することを一面的に「成長」と描くようなドラマにはならないと信じて、次週からも追っていきたい。

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