2023年の「鹿児島市の人権意識」について

コラムニストでフェミニストのアルテイシアさんが著作の中でよくフェミニズムについて使う例えでこういうのがある。

「誰かが誰かの足を踏んでいて、踏んでいる側はそれに気がつかず、踏まれている側が『あなたが私の足を踏んでいます。痛いです。どけてください』といっているようなものだ」と。

謝るとか、対応策を考えるとか以前に、まずは、誰かが、踏んでいる足をどけてくれないと、話しにもならない。

*余談だけど、2023年の鹿児島という場所は、「どけてください」と言っても「うるせえなあ、女が何か言ってるなあ。お前何か聞こえた?いや、俺には何も聞こえないね」という会話がなされるところだと、そのくらいの人権意識だと私は個人的に思っている。えーと、21世紀だよね、今。

3~4年ほど前の、鹿児島市議会の一般質問で「いくつかの市電の電停が、車いすの人が使えない状況にあるが、担当はどう考えるのか」という質問に対して担当部局(交通局担当者だったのか、福祉業務担当なのかは忘れました)の方が「その事実は知っているが、お金が無いのでできない」と答えたことを覚えておられる方はいらっしゃるだろうか。

平等をうたう鹿児島市が、車いすの方が不便を被っているという事実を知りながら「お金が無いからできない」と。

正確にはですよ、「お金が無いから」ではないですよね。お金はあるんだけど、そのためには使えない、使わない、使いたくない、使うと市民から反発を受けるかもしれない、ということですよね。だって、市電の、仙厳園までの延伸を検討する調査にはお金をかけているんだもの(このままだとその調査費も無駄遣いに終わりそうですが)。

ちなみに、この一般質問を私は議員さんの広報で見たと思うんだけど、このことを取り上げたり問題視したりするメディアは、無かったように記憶している。

人権や平等をうたう鹿児島市が、車いすの方に不便を強いていて(車いすの方の「足を踏んで」いて)、「不便だ」(「あなたが私の足を踏んでいるから痛い」)と言っているのに、「お金が無いからできない」と答えることが通ってしまう、そしてそのことを問題視する人もいない。

「あなたが私の足を踏んでいるのでどけてください」と言っても無視される。

これが、今の、2023年の鹿児島の、現実の人権意識なのですよ。鹿児島市(役所)だけの問題でもない。市民も含めた、みんなの問題。

市電の延伸もいいんじゃないですか。レトロ電車とか焼き芋電車とか焼酎電車もいいと思いますよ。

でもその前に、やらなきゃいけないことが、あるんじゃないですかね。

他の人がどうであるかは知らない。

でも、私は、誰かの足を踏んでいることに気づいたら、誰かの足を踏んでいることを教えてもらったら、まず足をどけて「すみません」と言える人でありたいと思う。

その問題にどう対処するかは、まず足をどけて謝ってから始まる話だ。

お読みくださりありがとうございます。 いただいたサポートは、NPO法人ルネスかごしまが行う「生活困窮家庭・ひとり親家庭支援」に全額使わせていただきます。