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「楽しそうだから自分がやる」という感覚(南九州新聞20220305掲載)

友人が福井県でやっている読書会の記録が送られてきた。
正確には「福井県でやっている読書会の記録をまとめたものが、全国どこでもコンビニのプリンタで印刷できるようになったので、それを出力した」のであるが、本筋からは外れるので割愛。とにかく、私の友人がやっている読書会の記録を読んだところ、その中に「一箱古本市」についての本(「一箱古本市の歩き方」光文社文庫)があって興味を持った。


その本自体はまだ読んでいないのだけれど、「一箱古本市」とはどのようなものかというと。

東京は谷根千(谷中・根津・千駄ヶ谷)地区で、「不忍ブックストリート」という団体が2005年に始めたもので、本を売りたい方が、ミカン箱一箱ほどの本を持ってきて、屋号をつけたり、値段や売り方を工夫したりして、一日限りの古本屋さん気分を味わう、もちろん、本を買いたい人や本の話がしたい人がそこには集まって、本と街を中心として(あるいは媒介として)人が集まり、街を楽しみ、本を楽しみ、人との会話を楽しむというイベントで、元々、「年を取ったら古本カフェでもやりたい」と思っている私にとってはうってつけの、楽しそうなイベントで、「一箱古本市」のことを知ってから、3時間後には開催告知を各種SNSにアップする始末で、おかげさまで2月末に開催告知をしてから現在まで、7名ほどの「店主さん」が出店を予定してくださっている。

3月21日(月・祝)11時~15時まで、鹿児島市役所近くのバカンス(名山町3-20)で、ひとまず実験的におこなって、もちろん、みなさまのご都合や評価にもよりますが、3~4か月ごとくらいの祝日とかに、継続して開催できたらなあと思っています。

とまあ、長々と告知をしてしまいましたけど、本題はそれではなく。

何かを目にしたり耳にしたりして「それって楽しそうだなあ」と思った時に、「でも〇〇には〇〇が無いからなあ」と諦める人と、「〇〇には〇〇が無いから、じゃあ自分でやろう」と思い、現実的に実施に向けてコツコツ動く人との間には、長い人生の間では大きな隔たりができるんだろうなあ、と思ったのです。

たとえば、鹿屋にはコワーキングスペースが無い。先進的な仕事をしたいと思う人が集まる場が無い。あるのかもしれないけど、少なくともよそ者がおいそれと参加できるところには無い。

それらは、少なくとも厳然として我々の目の前にある事実で、動かしようがない(目を背けることはできるかもしれないけど)。

では、その事実を前に、何かを変えようと動くことができるかどうか。

私は、鹿児島市で5年「ひだまりカフェ」をやってきて、去年末くらいから姶良市やいちき串木野市でも開催を始めたところ。「鹿児島市は、母集団が大きいから成り立つんだよ」という声を跳ね返そうと頑張っているところ(主に私以外のスタッフが、ですが)。
「一箱古本市」についても、まだ鹿児島市での第一回もやっていないにも関わらず、あそこでできたらいいなあ、もっとあそこでもできたらいいなあと、妄想を膨らませつつ、現実的に広げていくための方法を、各地の協力者(見込み含む)と協議したり、さらに妄想を膨らませたりしているところなのです(現実的な動きもしている)。

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