金子みすゞの世界『帆』
単純に叙景としても成立していますよね。
金子みすゞ全集を5編ずつ声に出して読み進める【みすゞ塾】というのが14年続いておりまして…
5編の範囲のうち、好きな2編を選んで朗読練習をしています。
こんな声がありました。
「海を見てると癒されるから選んでみたんですが、今一つ、分るような分からないような」…とのこと。
そう、よく分からないけど、なんか雰囲気が好き、とかも全然アリだと思う。
ただね、みすゞの伝記を書き進めている今、見えてきたことがあって。
八十の渡仏
大正12年、みすゞは投稿した5編の詩が、4つの雑誌の9月号に一挙に掲載されて華々しくデビュー。
そして西條八十を師と仰ぎ、八十が選者をしている『童話』という雑誌を主な発表の場としていくの。
だけど半年後、鮮烈なデビューを飾って「さあこれからだ!」という時に、八十はフランスへ留学。
代りの選者の吉江孤雁は、みすゞの作風が好みではなかったようで、選んでもらえなくなってしまって。
ライバルの島田忠夫は孤雁に気に入られて、投稿詩人の中で一等の席を占めてゆく。
雑誌の通信欄からは、島田の処女詩集の話が持ち上がっていることが見えかくれ。みすゞは、どんな気持ちでそれを読んでいたのだろう。
気持ちが腐らぬよう、独り修行を継続するべく、みすゞは好きな詩を書き写して『琅玕集』というMy詩集を編むのです。
ところが何と書き写した詩は、師である八十よりも、北原白秋のほうが断然多いのです!!!
なおかつ、『童話』からは1編も書き写していない。
『童話』からは頑なに顔を背けている。
時を同じくして私生活でも、結婚・出産という大きな変化があり、結婚に反対していた弟が家出騒動やらなにやら引っ掻き回して、とてもじゃないが詩どころではない大波乱。
この二年に及ぶ八十の不在が、金子みすゞという詩人の明暗と心を決めたと私は観ている。
そこから詩を振り返ると…
光りかがやく白い帆は、私のいる港にはつかないで
私を乗せない船は、はるか沖をゆくのだ。
そしてこの詩は、第Ⅰ詩集『美しい町』の最後の章『きのふの山車』に入っている。
【昨日の山車】…そう、祭はすでに終わってしまっている。
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