ステイホームしている間に勉強しよう、考えよう。1:力学の問題の解答

2020年4月24日にnoteに投稿した問題ツイッターで広報)の答えを解説します。まず、どんな問題だったか、振り返ります。

問題

 2つの物体が一直線上を等速運動していて、衝突し合体する、という状況を考えます。空気抵抗や衝突音の発生は無視できるとします。さて合体後の速度はいくらでしょうか?

スライド1

問題は、これだけと言えばこれだけのことです。ところが、運動量保存則を使って出した答えと、エネルギー保存則を使った答えは一致しません。

スライド2

合体後の速度 V について2通りの答えが出ましたが、どちらが正しいのでしょうか? あるいは、どちらも間違っていて、別の正しい答えがあるのでしょうか?という問題でした。

高校生ならこう答える

 3種類の保存則があって、それら全部が正しいと仮定すると矛盾が生ずるのだから、3つの保存則のうち少なくとも1つは間違っていると考えられます。たぶん、一番疑わしいのは運動エネルギーの保存則でしょう。エネルギーには運動エネルギー・位置エネルギー・熱エネルギー・化学エネルギーなどさまざまな形態があると習ったし、衝突の前後で運動エネルギーの保存が成り立たないような衝突を「非弾性衝突(非弾性散乱)」と呼ぶと習ったこともあり、2つの物体がぶつかって跳ね返らずにくっついてしまう状況はまさに非弾性衝突だと思われるでしょう。
 そこで、質量保存則と運動量保存則は尊重して、エネルギー保存則を修正してみます。

スライド3

たぶんこれが最も素直な答えだろうと思います。この答えでも間違っていませんが、もうちょっと物理学的な洞察を深める余地があります。

物理学科の大学生なら相対論を使ってこう答える

 相対性理論では運動量やエネルギーの定義式が変更されます。と言うよりも、誰から見ても(どのような慣性系で見ても)運動量保存則とエネルギー保存則が成り立つような定義式を探した結果が次のような式です。

解答1修正図

運動量とエネルギーのこのような式をどうやって思いついたのか、と問うと、これは決して当たり前の思いつきではありません。保存則の方が定義式よりも大事だという考え方には注目してほしいと思います。ある定義式では保存則が成り立たないのであれば、保存則が成り立つように定義式の方を変更しよう、そして新しい定義式がもっともらしいと思える理屈を考え出そうとするところが物理学者の腕の見せ所なのです。また、質量保存則よりも、運動量とエネルギーの保存則の方が大事だ、という判断も重要です。相対論では質量の保存則は成立しないのです。
 運動量とエネルギーの相対論的定義式がいかにして正当化されるのかを論じている文献として、次の2冊を挙げておきます。どちらも優れた物理学的洞察の見られる本です。
[1] E. テイラー,J. ホイラー著(曽我見郁夫、林 浩一 訳)『時空の物理学―相対性理論への招待』(現代数学社)(amazon
[2] C. キッテル,W. ナイト,M. ルダーマン著(今井 功 訳)『バークレー物理学コース:力学』(丸善)(amazon

 そして、新しい定義式による保存則を使うと次のように推論できます。

スライド5

質量は保存しない(合体前の物体の質量の総和は、合体後の物体の質量に等しくない)ことは次のように示されます。

スライド6

標語的に言うと「合体すると重くなる」、逆に「分裂すると軽くなる」と言えます。具体的な計算例を示しましょう。

スライド7

光速の 80パーセントの速さでおのおの 1グラムの物体が正面衝突すると、合体後の質量は 2グラムではなく、3.33グラムになる、というのです。「合体すると重くなる」の一例です。
 理屈の上では、2つの粒子を光速に近い速さでぶつければ、元の粒子の質量の百倍でも千倍でも、いくらでも重い粒子を作ることができます。物理学者たちは加速器(衝突器)という装置を使って、電子や陽子などの素粒子を光速に近い速さで飛ばして衝突させることよって、より重い、未発見の粒子を創ります。
 余談になりますが、核融合反応は原子核同士が合体する現象であり、太陽や恒星の中心核や水素爆弾ではそのような反応が起きています。そして、太陽の核融合反応の際には、合体前の水素原子核の質量の総和よりも、合体後のヘリウム原子核の質量の方が軽くなっています。これは「合体すると重くなるはずだ」という法則に反するように思えますが、矛盾ではありません。じつは、核融合反応の過程でに陽電子やニュートリノや光子などの粒子が出ており、核融合反応とは言っても核以外の粒子も飛び出す「分裂」反応になっています。つまり「核融合」なのだけれども、正味は「分裂反応」であり、「分裂すると軽くなる」の規則の方が適用されます。そしてこれら軽くなった粒子が大きな運動エネルギーを持って飛び出すことが、太陽や恒星が輝くエネルギー源になっているのです。
 さて、合体後の質量の話に夢中になってしまいましたが、合体後の速度の方はどうなっているでしょうか。相対論に従うとこうなります。

スライド8

上の黄色い四角で囲った式が、当初の問題の答えになります。一般的な式を見せられても、「うーん、そうなんですか」としか言われてしまうかもしれないので、具体例を計算してみました。質量の等しい2つの物体のうち、一方が静止していて、もう一方が光速の 80パーセントの速さで衝突し、合体した後の速度を計算しました。相対論によれば合体後の速度は光速の 50パーセントです。相対論の効果がなければ、合体後の速度は光速の 40パーセントになるはずです。直観的には、質量の等しい2つの物体の、一方の初速度がゼロで、もう一方の初速度が光速の 80パーセントだったのだから、合体衝突後の速さは足して2で割った「光速の 40パーセント」になりそうなものなのに、相対論によれば、ちょっと速めの「光速の 50パーセント」が正解なのです。これは、「走っている物体の質量が大きくなっていたせいだ」という描像で解釈できます(私は、この解釈はおすすめしませんが)。
 ここまでやれば、当初の問題の答えとしては満足だと思います。

相対論から非相対論へ

 相対論と非相対論は隔絶しているわけではなく、相対論から非相対論の結果を再現することもできます。

スライド9

非相対論的力学の質量保存則は、相対論的力学のエネルギー保存則に「スローな物体」という近似条件を適用すれば導かれる、というわけです。
 近似の精度をもう一段上げると、非相対論的なエネルギー保存則も導かれます。

スライド10

ということで、非相対論的力学で内部エネルギー(熱エネルギー)と解釈していたものは、合体後の質量の増分に伴う静止エネルギーの増分だった、と解釈できます。

この問題の狙い

 この問題は、物理学の心得のある人なら何らかの答えを出せるだろうと思って出題しました。高校生や大学初年度の学生なら「非弾性衝突では運動エネルギーの保存則が成り立たず、熱エネルギーまで含めたらエネルギー保存則が成り立つ」という答え方をするだろうと私は思っていました。相対性理論を知っている人なら、エネルギーや運動量の定義が変更されることや、質量の変化に思い至るだろうと私は期待していました。
 この問題に挑戦する人は、保存則の適用限界を考えたり、複数ある保存則が矛盾するとき保存則を放棄するか保存量の定義を修正するか、といったことを考えてほしい、と私は思っていました。また、相対論的力学のように「より正しい新理論」が現れたときに、「間違っていた旧理論」をたんに捨てるだけでなく、正しい新理論によって、正しいと思われていた旧理論がそれなりに正当化され適切に解釈できることも見てほしいと思いました。

追加の問題

 もう一つ論点を追加します。
 非相対論的力学では、ひとかたまりの物体が動いていることによって獲得する運動エネルギーの他に、外的な運動としては見えない内部エネルギーの存在を認めました。では、エネルギーには「内部エネルギー」という概念があるのに、運動量には「内部運動量」という概念はないのでしょうか? 質量 m の物体が速度 v で動いているときの運動量には p=mv+Q とでも書くべき「隠れた運動量 Q」のようなものはないのでしょうか?
 私の答えを言いますと、エネルギーには内部エネルギーと呼ぶのが適切であるような量があるけれども、運動量には内部運動量と呼べるようなものはないと私は思います。もちろんそれなりに理由があってそう考えます。
 (2020年5月11日の追記)運動量に対して p=mv+Q の Q のような付加項が必要になる状況はないだろうと私は考えていましたが、あった方がよい状況もありました。非相対論的力学(および非相対論的量子力学)では、磁場中の荷電粒子の運動量や角運動量に付加項を加えると保存量になる場合が知られています(私もそういう研究をしていました)。ただ、この付加項は「内部運動量」と言うよりは、「電磁場が隠し持っている運動量」と言った方がよいようなものです。質点系の重心の運動に帰すことができない、質点の相対座標だけに依存する、という意味での「内部運動量」を加えて保存量になるというケースはないんじゃないかなと思います。(追記おわり)

懸念

 昔、私の友人が、これと同類の問題をやっていて間違った答えを出していた(友人は非相対論的エネルギー保存則を使っていた)のを見て、私はこの問題を考えました。私は相対論を知っているので、ここに書いたような答えも考案しました。
 私がこの問題を広く世間に向けて出題して、一番恐れていたことは、人工知能が正解を出すことでした。「あらかじめ相対性理論を教えられていないコンピュータが、相対性理論も相対論的エネルギーの定義式も自力で案出して正解を出しました」と誰かが報告して来たら、空恐ろしいことだと私は思っていました。いまのところ人工知能はこの問題は解けないのであれば、一安心です。
(おわり)


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