自己紹介①【はじめ〜小学校編】

はじめまして。
しょうへいコーチと申します。
本名は「谷口祥平(たにぐちしょうへい)」です。スポーツクリエーターを名乗って活動しています。スポーツをより近いものとして創造することが生まれてきた使命だと思って生きています。私の自己紹介の内容に触れ、少しでも興味を持っていただけたならファンになって応援してほしいです。スポーツを通して人がより成長できる社会をつくります。ぜひ最後まで読んでくださいね。
※文体は気にせず思いの丈を書いていきます。

現在、東京都多摩市を拠点に生活しているフリーランスの26歳。
故郷は、富山県高岡市という海と山そして平野が広がる自然豊かな街でこども時代を過ごしてきた。多摩市はそこに似たところがあっていい街だ。
私は、小さな頃から「身体を動かすこと」と「笑うこと」が大好きなスポーツとお笑いの2つの要素でできているといっていいほどのやんちゃ坊主だった。とにかくおもしろそうなことには全力を注ぎ、ほぼ毎日疲労困憊で床に着く。といった感じだ。文を書いたり絵を描いたり本を読んだりそういった類いのことには耐えられず、じっと過ごすことのできない一日のほとんどを外遊びやスポーツに費やしていた。

幼児の頃。
保育園に通っており、屋内ではあらゆる高いところに登り危険なことばかりをしては怒られていた。園庭に出れば全ての遊具を使いこなし、一通り手をつけたら、最後は三輪車で土のグラウンドに土埃を立てる。とにかくスリルを味わいたくて仕方がなかった。
年長の時には、あれがとてつもなく嫌だった。そう、お父さんお母さんにありがとうの絵を描く催しだ。まわりを見るとすぐにかける子、描き始めは遅くとも時間内にできあがっている子、当たり前に描いている様子が大半で、たいそう不思議に思っていた。僕は全く描けていないのに。僕は、実はその時まで一度も人の絵を描いたことがなかったのだ。それに加えてなぜか絵の良し悪しだけは分かっていた。描こうにもイメージした親の顔が描けない。上手くかけないのを十分に分かっていた。人の顔、腕、手、足、全てにおいて描いたことがなかった。そのため最後までひとり筆すら手にせず泣いてばかりいた。その日の夜、「どういうご家庭なんですか?何かあったんですか?」というようなことを母は園の先生から尋ねられたそうで、これは本当に申し訳ない。ただ人を描く経験がなかったのだから。

小学校1年生。
秋に行われる学習発表会に向けて、展示物として紙を使って作るフクロウを総合の時間で作成することになった。話はとんで、学習発表会当日、親とその展示物を観に来たのだが、僕はあのことを黙っていた。
展示室に入ってみると、いくら経っても探しているフクロウが見つからない。
 母「あなたのどうしたの?ないよ?」
 僕「できんかったん。・・・」
 (丁度、そこへ先生が来た)
 先生「しょうへいくん、授業中、床に絵を描いてそれを消すのに時間がかかって間に合いませんでした。。。」

なんとまあ。教室の床にこっそりマジックペンで絵を描いてしまっていたのだ。しかも巨大な芋虫の絵だ。
これはすごい。あんなに絵を描くのが嫌いだったのに。あのときスッと頭の中に浮かんで、さっと手が動いた。描いたらおもしろそうと思い、ペンを走らせたのを覚えている。躊躇はなかった。その後、当たり前のように先生に見つかり、消えるまで拭きなさい命じられる。固く絞った雑巾でひたすら床の絵を擦った。帰りの会が終われば、雑巾とバケツを手に教室にふたり夕焼けに染まっていた。床の芋虫が薄まっていき、だんだん孤独になっていく。今思えば笑い話でしかないが、あれはいい思い出だった。
このころから少しずつ絵を描くことに興味を持つようになったのは良いことだった。

小学校6年生、児童会の運営に携わる。
そんな僕だが、いつの間にか先生から児童会長になってほしいと大役を頼まれる日が来た。あれから実に大きな人間的成長を果たしたのである。というのもそこには続けてきた習い事の存在が大きかった。兄の影響もあって、1年生からサッカーを始め、2年生からそろばんに通った。

サッカーでは、自分の学年では一番目に入団したということもありずっとキャプテンを務めることになった。とにかくサッカーが好きで誰よりも自主練習していた。練習というよりも、ただ好きなことをしていたという感覚だった。4年生の時に市の大会で初めて優勝を経験し、その後も、いくつかの大会で優勝を手にすることができた。みんなでサッカーするのがめちゃくちゃ好きだった。将来の夢はもちろんサッカー選手になっていた。

そろばんでは、週4程度で塾に通い一日2時間以上は机に向かっていた。これも兄の影響だ。集中力、忍耐力がよく鍛えられた。これもただ楽しかったからやっていた。5年生の時に初めて段位を取得し、市の大会で優勝。県大会に進んだこともある。おかげで、数字に強くなり、暗算もできるようになった。スーパーに母親と買い物に行った際には決まって暗算で答え合わせをしていた。
小学校の算数は10分あれば満点が、とれるくらい楽になっあ。空いているスペースに問題を作って自分で解くくらい計算が好きになった。

学校生活においては、5年生の頃から頭痛持ちがひどくなり、学校の授業とそろばん塾の時間はいつも頭痛に悩まされていた。学校の休み時間は、みんな教室や廊下でバカみたいにじゃれあって遊んでいたが、いつしか「なんでオレはこんなこどもたちの中にいるんだ?」と変にまわりが幼稚に見えてきて、とても落ち込んだのを覚えている。これも頭痛のせいだったのかもしれない。次第に客観的に見る力が備わっていた。まわりの友だちにはわりと慕われていたが、こどもなりにこどもっぽくしなきゃと思い、合わせて行動している自分もときどきいた。

つづく。

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