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¥100-のTシャツを買って号泣した話

こんにちは。 五十嵐 純子です。

5年前くらいのことですが・・・   H & M で いつも買う定番の型のTシャツが¥100- で売ってたんです。SALEで。

私もダンサーの端くれなので、お稽古用に着替えのTシャツはわんさか持っていて、繰り返し洗濯しながら着替えも持って歩くので、数が要ります。

それが、たまたまSALEしてたとは言え、さすがに¥100- ってえげつないな、と思いつつ  ラッキーくらいな気持ちで購入して帰りました。

家に着き、新しいものはまず洗濯するタチなのですが、値札なんかをハサミで切って、ふと品質表示やらのタグを見ると

mada in Bangladesh         メイド イン  バングラデシュ


これを見た瞬間  自分の脳裏に14歳くらいの女の子が朝から晩までずっとずっとミシンの前で働き続けて、ヘトヘトになって家に帰って弟たちの面倒を見て、それでこのTシャツ1枚程度のお給料さえ貰えているかどうか・・

そんな光景がバババーっと浮かんでしまい

その途端、堰を切ったように涙が止まらなくなり、嗚咽するほどしばらく号泣してしまいました。
一体自分でも何が起きたのかわからない感じで、胸の奥をかきむしられるような、どーにもならない苦い果物を口にしてしまったような、込み上げてくる苦しさの中 ごめんなさい と泣きながら謝り続けました。


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そのような事実が世界のどこかである

私の日常には関係がなく
私が実際には見たこともなく
それを知らなくても 私の日常は今日も明日も同じ

でも、そのような事実が世界のどこかではある  ということを
本当は知っていたんですよね。 記事や映像を見たことはあったのにどこか遠くに感じていただけ、知らないふりをしてただけ、向き合おうとしてこなかっただけで。

気づいてしまった途端に
ちっとも「私の日常にはまったく関係がなく」なんかない!ということが、まざまざと見えてしまい、めぐりめぐって それこそが今 感じている自分の生きづらさに繋がっているんだ ということ。
地球のすみずみ、どこか小さな泣き声をあげている場所があるなら、それは誰ひとり「関係のない話」なんかではないのだ と。


どれくらいの時間 Tシャツを握り締めて泣いていたか覚えていませんが、意識の開放がされ、教えてくれた Tシャツに感謝しました。


2005年に 映画「ザ・トゥルー・コスト ~ファストファッション 真の代償~」が公開され、多くの人々に知られることとなってきたように思います。




私の姉は、すごく器用な人でなんでも自分で作ってしまいます。最近ではミンネという手作りを販売できるサイトで、袋だのポーチだの 自作のものを売ってるらしく、かなり人気があるのだと言ってました。

そんな姉から聞いた話も頭の隅にあり、
その冬、H & M で見つけた マフラー(確か¥1,500-くらい)の画像をサイトから引っ張ってきて、ミンネで編み物の手作り販売をされてる方に「これと似たようなマフラー作ってください」とオーダーしてみました。

そちらは娘さんが ミンネに投稿され、実際に編んで制作しているのはお母さんだとのこと。  何度か 好みの色や素材などの打ち合わせをメールで交わし、娘さんが毛糸の買い物にいった際も 店からメールで画像が届き「コレとコレどっちがいいですか?  こっちは少しチクチクしてます」なんて やりとりを重ね、

ほどなくして 私の元へ そのお母さんが編んでくださったマフラーが届きました。

そのマフラーは毛糸代と合わせて 結構なお値段になりましたが、

手に取った瞬間  なんとも言えない気持ちになって あの日のあの苦しい号泣とはまるで違った暖かい気持ちが込み上げてきました。

知らない家のお母さんだけど、とても近いお母さんが私のために編んでくれたもの。


人がつくる ってどういうことか  を体験してみたかったので、そのようにやってみたのですが、本当にとても良い経験になりました。

それでも
それでも そーやって泣いたりしてたって  やっぱり今もユニクロでTシャツを買ってますし、GAPも行くし、それはそれで今の段階では よしにしなければならない部分もある・・・と思っているんです。
なんてゆーか・・ バランス?     言い訳っぽいけど・・・。


たぶん、上に貼った映画が公開された頃・・もう15年も経ってますけど、その頃は まだ少しだけ時代に早かったのかもしれず、でもその「少しだけ早く切り出してゆく」ということも地の時代から風の時代へ変化させてゆく中で必要な準備のワンクッションなのだろうと思ってます。


コーヒーと児童労働

私 すごくコーヒーが好きなんですよ。
つい1日3杯くらい飲んじゃうかな・・。

で、コーヒーが好きって言ったって、ぜんぜん味にこだわりとかなくてですね、情けないほどなんでもいいんです(笑)
なので安いドリップパックに手を出すのですが・・・


こちらのフェアトレードのコーヒー屋さんのブログで書かれた

「日本のスーパーマーケットでフェアトレードコーヒーが売れるわけがないって話」という記事。
こちらも2005年のもので 15年前です。

この記事では  一般的なコーヒーより フェアトレードのコーヒーは200〜300円くらい高いんだけど、日本では安い方を選ぶ人が圧倒的で、でもすでにイギリスとかスイスとかでは200円高いだけでいいならフェアトレード選ぶよ! って人がかなり多い ということなんですね。

それだけ国をあげて そのようなことに関心が高く、200円余分に出すことで誰かを苦しめずに済み、誰かが幸せになることが自分の幸せであるなら それを選択する方が良い という認識が行き渡っているんでしょうね。


そーだったのかー・・・って感じ。

だって 私 こちらのコーヒー屋さんを知ったの 今年のはじめくらいなんですね。それまではアンテナが立ってなかったんですよね。(←またか!)

あれだけ ファストファッションの裏側で 号泣したにも関わらず、他の品々まで意識がいってないことが我ながらびつくりです。

が、知ったからには 急なる完全シフトは難しくとも、徐々にシフトさせる構えです。

私はゴリゴリに無農薬じゃなきゃ というほどでもなく「無理ない範囲で」というゆる感で食べ物とか気をつけていますが、
こんなによく飲んでるコーヒーの成分とか大丈夫なんだろーか・・って不安に思って調べたら、残留農薬ではコーヒーが2位とかになってて、無農薬のコーヒー探すうちに ようやく深く知っていったわけです。

いやはや、お恥ずかしいです。


日本で「フェアトレード」と書かれていないコーヒーのほとんどは児童労働で生産されたものだと思ってよいでしょうね・・
私が「こだわりないから安いのでいーや」 なんてテキトーなことバカづらして言ってるばっかりに どこかの一人の子供が学校に行けないなんておかしい!わーん!


地の時代から 風の時代へ

今年の暮れ頃、12/22  に いよいよ長かった地の時代 が終わりを告げ、風の時代がやってきます。

地の時代のさらに200年あまり前は 火の時代。 まさにそのまま18世紀には日本も世界の各地でも火山の噴火が多く、市民革命など世界は火中にありました。そして私たち世代が生きてきた地の時代では物質的な豊かさを求め、経済が大きく発展しました。

この宇宙のサイクルはすべて必要なことで、
理不尽なことや・・・悲しいけれど児童労働や貧困問題、環境破壊、すべてすべて陰と陽、ネガティブとポジティブ、明と暗の振り子が左右へ等しく揺れ動くかのごとく人類が必要としてきた経験であり、必要な時のサイクルなのだろうと思います。


ウィルス感染症や自然災害や異常気象は 今、時代が大きく舵を切る直前のひと振り・・・ググッとネガティブな側へ振り切られているかのように感じます。

風の時代は 情報の伝達が風のごとく早く 滑らかに 人から人へ、風エレメントが得意とする I T 分野を存分に使って 急速な広がりを見せます。
その速さは、ネガティブなことも、ポジティブなこともどちらも目にも留まらぬ速さ となって流れてゆくでしょうね。


想像力と選択

先日 わたしの旦那さんが 革のリュックを買いました。ビジネスレザー ファクトリー という会社のもので、ここはバングラデシュで新たな雇用を生むためにつくられた会社で、日本の革技術、日本でのデザインを持ち込み、正当な給料の支給をしているそうです。

この会社のようなムーブメントが これからどんどん広がってゆくのだと思います。


サステイナブル とは 想像力と選択。

今 自分が選んだものは  どこから  誰の手を渡ってきたのか
それで 私は幸せか?
それで 誰かは幸せか?
それで 地球は幸せか?
で  今  なにを選ぶのか。



今夜は獅子座の新月で、つい先日のライオンズゲートのエネルギーと水瓶座の満月から引き継いで、いよいよ 新たなビジョンが形になってゆく雰囲気がバリバリします。

私も新たな時代を祝福して、きちんとその準備に入れるように、
もう一度自分のライフスタイルとこれからの人生を見直してゆこうと思います。

風の時代で 悲しむ子供達がいなくなりますように。
豊かで 幸福で 平等な世界がつくられますように。


あの日買った¥100- のTシャツは ボロボロになるまで、最後まで絶対に使い切ろうと思っています。




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