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【光る君へ】為時を中心に回す感想まとめ日記第三回(十一話〜十五話)

『光る君へ』視聴時にSNSでつぶやいた感想まとめ、為時を中心に回す日記、略して為時日記をまたやっていきます。

↓前回の記事

十一話 「まどう心」三月十七日

あらすじ:為時が解雇され、またも貧乏生活になってしまうまひろ。兼家に直訴するも甲斐なく終わる。そんななか道長が妻になってくれと話すが、妾では嫌だと拒絶してしまう。

今から君へ見ます!あぁ…またもや失業してしまった為時が心配……!!!

(視聴……)

めちゃくちゃ凹んでる!!!!


・途方に暮れた為時が高倉の女を後ろから抱え込んでいるシーンが映った。
看病が前よりもめちゃくちゃ密着しててみなびっくりしたかと思うんですが、 そこの姿とこちらを見比べてみてください。

前の失業中にまひろのことも膝に乗せて後ろから抱えるように書を読んでやっていた。

ほーーらやっぱりそうだよこれ!?

為時がまひろに学問を教えたのも、誰にも関心を持ってもらえないなかでまひろだけが持ってくれたから、その自分の慰めで教えたような印象だった。 でもいざまひろが教養ある女性になったら「男だったら…」ばかり。 男の慰めで終わる女になりたくないという想いが深そうで。

為時日記第二回から自己引用

自分が凹んでる時、より可哀想な女の世話に精だして紛らわすとこあるよ!
現実が辛くて途方に暮れ、ぬいぐるみを抱っこしているような趣きがある……


・為時の官職について兼家のもとへ直談判に行くまひろ……

なんでまひろが兼家に怒鳴られとんねん!!!!
為時が行きな!!!!!!!!


宣孝「まひろが婿を取って、そしたら為時は好きな書物でも読んでおればいい!」
私「娘のヒモじゃねぇか」

でもこう…まさに…やってても詮無いことをやるのが好きなんだよね……学問を使うことのない女に学問を教えること……じきに死ぬであろう女の世話をすること……

・男子たち
花山天皇退位の一件で、のんびりしてると油断してた道長に対して男子たちがぴりついてるの良い。


・まひろと道長の逢瀬
まひろも道長も両方ともそれぞれ違う方向で夢見たんだというのが巧い…… 高望みできないって分かってたはずなのに窮状からの「妻になってくれ」で舞い上がって、シンデレラストーリー(落窪物語)が頭を掠めてしまったまひろ……

こないだはまひろが道長のロマンをぶち破ってたけど、今回はまひろの方になる流れ…

世界を救うという宿命を捨てて1人の女だけを救うんだという男の高揚をぶち破ってんの最高だ……………

為時日記第二回から自己引用


どっちも自分の窮状から救い出してくれる存在を夢見てた…… それぞれに身勝手だけど、でも自分に他とは違う特別が起こるとまだどこか信じている若者のすれ違い………
自分は周りの人とは違うんだ、周りと同じようにはなりたくないという現実への不満で惹かれあった二人だけども、それゆえに現実的に(正式に夫婦になる)結ばれることができないというままならなさ………


分岐点……もしこのまひろがあの時ああするとしたらこうしていたとしたら…という分岐点を物語であらゆる女に託したのだとしても面白いな…… でもどんな分岐を辿っても、結局最終的には常に紫の上の嘆きに収束するかのような……

道長の、周りと同じような出世のことばかりのずるい貴族になりたくないという気持ちを否定したのなら、 まひろの他と同じような妾の一人にすぎない女になりたくないという気持ちも否定されねばならない……それはそう………残酷に筋が通っている。

道長はもう前の段階から望まぬ政略結婚のことを念頭に置いて言っていたので、 まひろはこれを断ったときに既に道長の唯一の第一の女性になることも断ったのと同義になっていたんだよね……

道長が政治の道を生きるなら、まひろ以外の高貴な女性と結婚しなければならない。道長はそれを分かってたから焦っていた。 それは政をやっていくならよしこを諦めて他の女性と子を成さねばならないとされた花山天皇と同じ状況なんだな…

為時日記第二回から自己引用

道長もそりゃ今回はどうすりゃいいんだ!ってなりもすると思うよ……一応道長は一度断られたまひろにもまだ窮状を知って自分にできることはないかと考えたのであって……ただこの作品、自分にできることをやろうとするとむしろ事態が悪化するパターン分かってきました。

兼家の「一度自分から去った者にまで情けをかけることはない」が道長にどう出るかだな……なにげに兼家から去った為時、道長の申し出を拒否してしまったまひろ、おんなじことになっている……
志し高くカッコつけてしまったことが後から困ったことになっている……大体調子のいい時に前者になり、調子が悪くなって現実に直面してからやっぱり……となっている。
似た者親子……

兼家クオリティはこれを取るならあれは捨てる、優先順位もはっきりしてるんだけど、まひろ親子は両方取ろうとして両方失ってしまう…結局何かを諦めて妥協した方がうまくいっている……


まひろも今後どうしよう…結婚の話も出てこのままだと知らん男の妾になるしかない……という不安に直面したなかで道長に呼ばれ愛しい人と逢える弾けるような喜びで、つい「北の方にしてくれる?」と言ってしまった感じがもう…可愛くも切なくて堪らん……気丈に振る舞ってきたので、甘えたかったんだ…
いつもの冷静なまひろだったら「それは無理だ」って言われた時点で「そうよね……言ってみただけ」くらいで留められたんだよ。
でもその余裕が無かった。
前に道長に道兼の話をしたときみたいに、自分の本音で泣きじゃくりたい気分だった。
だから「北の方でないと嫌!」みたいな駄々をこねるような言い方をしてしまった…

でもそれは前回の道長もそうだった……直秀のことで心折れて、縋りたかった…甘えたかった……両方それぞれにお互いを分かりきれてないとこがあり、どちらが悪いとも言えないそれぞれよくなかったね…という綺麗なすれ違いで良い……どっちか一方が悪いすれ違い嫌いだから。

まひろは困窮していて、妾になれることすらもありがたいと思わなければならないような有り様であること自体を受け入れがたかった。道長はまひろが困っているだろうから助けたくて求婚したけど、困っているからこそ耐えられなかった……

・赤染衛門
ところで赤染衛門の、喋るだけですべての女を抱けそうな感じ何なんだろう……と思って調べたら、
宝塚俳優さんですか、はぁ〜知らんかったけど薄々そんな気がしていました。そうですね。分かりました。

・それぞれの生きづらさ
前回の十話でちょうど花山天皇退位で一区切りって感じだったのもほんとキリ良くて好き。そういうのも考えてるのかな。
実質十話で失業する為時。

為時が一話で就職し、十話で失職するまでが一区切り。
分かりやすくて美しい。
荒屋にいる女の面倒を見てる感じとか、光源氏像の一部に入ってるんやろか…… 光る君が色々な女を愛したのは、色々な男の複合だからという解釈もいいな……

しかしいちいち結婚する妾になるという名目がないと助けられないというのも変だなとつくづく思った。
やっぱ異性関係による家制度存在によってシームレスな助け合いが阻害されるというか、女は妾になるみたいなことがなんか福祉みたいになり、そして男同士は助け合えないという。今と変わんね〜〜
福祉が、生きていく術が「男性」しかない状態は嫌だって女性のことも昔はワガママって言ってたんだ、今も言う人いる。は〜〜いやだいやだ。

今はもっとちょっと中間的かも、男性に頼ることもあるし頼らないこともあるという両方のスタンスを取りうるからこそそれぞれの女を一つの女という概念に包括してワガママであるというミソジニーを深める人がいる感じ。
光る君へは妾にならないと生きられない女性の理不尽も描いてるし、兼家と為時みたいな、政治のしがらみや絶対服従がないと報われない男性側の生きづらさも両方並行して描いてるのが良いなと思う。

その点やっぱ直秀の方が、盗品をより貧しい人々に分け与えるという、縁もゆかりも無い人々への連帯意識があるんだけど、そういう登場人物のなかでより立場が弱い人ほどある種の高潔さがあるみたいなのもなんだか歯痒いものがあるという……
いい奴だったね〜という手放しの称賛で終わらせられないというか、 貴族は身分はあるけども窮屈だ、その分非貴族の方が伸びやかで自由(に見える)だね〜という美談や希望で終わらせずに、蔑ろにされる命……やはり身分はあるに越したことはないということになる。

話ちょっと戻るけど、為時は花山天皇に対して下心があるわけでなく、幼い頃から見てきた親心でそばにいたのだけど、でもそんな赤の他人への純粋な慮りも陰謀の前に虚しく霧散するというのも切ない……

十二話「思いの果て」三月二十四日

あらすじ:まひろの夫選びが難航するなか、道長の縁談が着々と進んでゆく。倫子は道長を夫にと父親に強く嘆願。
為時が世話をしていた高倉の女が逝去、今際の願いのために呼び寄せた娘さわと親しくなるまひろ。
まひろは妾でもいいという気持ちに傾いていたが、道長と敬愛する姫君倫子との婚姻を聞き、身を引いてしまう。


・宣孝がまひろに実資との縁談を勧めるシーン

まひろが実資の学識について「父上よりも凄いのか」という父上基準なのめちゃくちゃ可愛くないですか?学識を魅力とするなら最低限父上よりもすごくないと興味持てんか。わはは!
可愛い。
父親と同じ分野で来るなら、父親より凄くないとピンと来んという気持ちめちゃくちゃ分かる。 男がよく自分のお母さんと妻を比べると言うけど、女も自分のお父さんと比べますからね?

宣孝も「妾だってそんなに悪くない、もっと男を信じろ」って言ってて、半分はそうなんだろうという感じなんかなと。まひろが思うほどいつも悲惨なわけではないというか……でも半分は道綱が言ってたように「男目線ではどんなに可愛がってるつもりでも…」が入ってるから…

まぁ現代人の私の感覚だと「来て欲しいのにいつ来るか分からなくて辛い」というより「いつ来るか分からんけど来た時にはこっちの都合に関係なく対応しなければいけない」もキツそう…となる。


・道長と明子の縁談

明子「父上の無念を晴らします」

私「また新しいファザコン出てきた………」


・道長との婚姻を嘆願する倫子

雅信のお手本のような娘に甘いお父さんの顔が良い。

まひろと比べて倫子様のとこでは、母がかなり背中を押したり助けてくれてる良き理解者になってくれてるところとの差も凄いのか……と思った。

倫子が雅信に道長のことでお願いしてるときにもぱっと間に入ってくれたり……その点まひろはずっと父親と一対一で面と向かってぎすぎすしないといけなかったので、そりゃしんどい……

雅信が倫子に入内をちらっと仄めかしたときも母が「政治の道具にしないって言ってたじゃないですか」って言ってくれてる。
父親に反発したいようなときは倫子が直接逆らうような形じゃなくて、代わりに母親が言ってくれてるんだよね。そのおかげで父親と倫子の関係は良好に保たれるみたいなとこ、ある。

なんというか母親が娘のために夫にとってちょっと口うるさいババア化してくれることによって、娘と父親の関係は良くなり、娘は父親の厚い庇護を安心して受け続けられる、みたいなとこ、ある。
それはね、母親のおかげ。
光る君へに描かれる父親に注目して注目して感想を書いているけども、そういうとこも忘れないで見ていきたい。

まひろは頼れる大人が父親しかいないにも関わらず不満を父親に直接示してきた。 そういうことをやってきたからこそ、兼家のとこに乗り込んで直接自分が物申そうという発想と行動にも出るんだろうなと思う。
立場が弱くても自分の意見や不満を主張する、ということをやってきたというか。
また、為時が娘に逆らわれたといって娘を見捨てるような人間ではなかったのもあるとは思うが、だからこそそこで培われた感覚が兼家への直談判では通用しなかったというのがショックな経験だったろうな……

・倫子を訪ねる道長
それにしてもまひろが婿選びに難航しているのに対して道長には候補がぽんぽん出てきてトントン拍子に進んでいくという対比キツい…

道長はヤケクソになって倫子宅に行ったけど失礼だから追い返されると思ってたのに倫子が実はぞっこんであったため普通に行けてしまったとかだとどうしよう。
だってかなの練習してたからちゃんと文を送るつもりだったはずよね……

十三話「進むべき道」三月三十一日

あらすじ:倫子と明子を娶った一見順調な道長の一方で、兼家の様子に異変が見られる。
後継者に道隆が選ばれ、失望した道兼は憤りもあらわに出ていく。
町の子供に文字を教え始めたまひろ。
働き口を探していることを聞いた倫子に呼ばれ訪ねた帰りに道長とすれ違ってしまう。

・子供たねに文字を教えるようになる
いとの「殿!またまひろ様がなんの足しにもならないことをおやりですけど!」に対して「う、うむ……」って感じでしかない為時に笑ってしまう。何か言えるはずもない。
そろいもそろって何の足しにもならないことをやるのが好きなんよこの親子は…!

・派手な衣装の宣孝
宣孝「おかしな女子じゃのう」
私「はいおもしれー女入りました」
これもまたおもしろきことこそだね………
この衣装見せてるシーン普通に雰囲気よくてもういつの間にか結婚したのかと思った。

宣孝が息子は?ってのに「駄目駄目〜」って言ってたの、私はほんとに息子には勿体無いと思ったのかと思ってたけど、 宣まひを知らない母は「もっと良いとこの娘に婿入りさせたいもんね」って言ってて、それもなきにしもあらずかも……となった。

まひろが他の家で働かせてもらえないかと探しにいくのも、宣孝が昔に為時に、右大臣家を訪ねてアピールしてこい!って言ってたようなことを今まひろが積極的にやるようになっているという……

宣孝は神様にもアピールすることから、実資とかにもだし、為時にもアピールを勧めるし、一貫して自己アピール上手な人として描かれてるんだな〜


・兼家を呪う明子
やっぱ明子にとっての兼家、まひろにとっての道兼で対比なんだろうか。
まひろは道兼を呪い続けて自分の人生がそれで支配されてしまうのを辞めたが、明子は呪い抜こうとしている。

腹に子を宿した女を呪詛した兼家が、今度は息子の子を宿した女に呪詛されてるのか……

・母親
倫子の母と尊子の母(道兼の妻)は入内よりも娘の幸せを考えていて、夫にそのことを言う。
一方定子の母は道隆の意に沿う理解ある妻であり、娘よりも息子の方を可愛がっている様子………おぉ………おぉ……

別にどれが正しいとか良いとかじゃないけど、夫と仲良く円満で絵に描いたように順風満帆そうな道隆夫妻だけど兼家イズムそのままになる。
実質期待されてるのは兄であり、入内するためだけに育てられた定子と、 夫に忠実でありたかったのに叶わなかった詮子が実は似た境遇になっているという……

・学問を愛するということ
貴族社会では文学もあくまでも政治の道具やマウント取りで使われるかのようなものになってしまっているけど、 まひろは直秀のような庶民の生活を通して物語で人を楽しませたり笑わせたりする、救ったりもするという側面を学ぶことになった感じなのかもしれない……上手く言えてないけど。

最近私のTLで古典不要論(古典は役に立たないので学ぶ必要がない、という考え方)がまた飽きもせず話題になっていて、「古典を不要とするなんてけしからん」や「役に立つことがすべてではない」という意見が多かったが、私はどちらかというとその「こんなこと勉強してもしょうがないのではないか…」という気持ちが分からなくもない。
私は平安文化が高校生の頃から大好きで、古典の成績もよかった。
しかしせっかく勉強が、その科目が好きになって勉強がしたくて大学に入っても、その勉強する時間を割ってハイ今度は就職のためのなんとか対策の勉強をしなさいねという感じになっている。キツい。
勉強のことが別に好きなわけではないが将来に"役立つ"からと役立つことを割り切ってやってる人の方が生きやすいのは……事実だろ……!!という気持ちがある。

というような諸々の気持ちを為時に思い寄せている。

学問はあくまでも出世の役に立つかどうかであり、学問自体を愛してしまったところで甲斐がない。
それは欣子だけを愛してしまった花山天皇と同じなんだな……学問自体を愛してしまうということ……

誠実な愛情なんかより、もっと割り切った態度でないとやっていけないのだ。
刀剣乱舞の推しの歌仙兼定が「力がないと文系であることを押し通せぬ世の中さ、世知辛いね」と言うんだけど、まさにそう。
文系をやるには、既に安定した基盤やパワーが必要。
為時とまひろには今のところそれが無いという不幸………

現代でもそう。安定した基盤がなかったら、文学や学問自体を極めることよりもとにかく飯にありつけることをやるしかない。
直秀たち庶民の生活もそう。
でもだからこそ遊びやゆとりとしての"おもしろきこと"としての散楽が必要とされもする……という。

学問自体を愛したところで甲斐がない、実とされない……それはまさに源氏物語のような古典が好きな人が心のどこかで一度は感じたことのある虚しさや寂しさだと思うので、 それをダイレクトに源氏物語がテーマの大河に持ってきているのは巧すぎると思う……

参考


十四話「星落ちてなお」四月七日

あらすじ:まひろ一家変わらずの窮状のなか、暇を申し出るいとを止める為時。
しかし、兼家が入滅し、後を継いだ道隆が定子が中宮に。
まひろは文字を教えていた子供の親に拒絶され、再びの失意のなか再会したききょうの熱い想いを聞いて圧倒される。

・まひろと鉢合わせした道長
道長が「よい風だ……」と言っていた心境がよく分からなかったんだけども、こちらのツイートを拝見して、

この「ああ、雪がきれいだ」と同じことなのかなと思った。
つまりまひろの姿を見られてうれしくて、景色がきらきらして見えるような気持ちなのね……

・お暇をいただきたいと申し出るいと
いとを諭す為時は良いこと言ってる風だけど、いやお前のうだつが上がらないせいなんだよって感じなのが面白すぎる。
逆に神経が太い。
そこまで鈍感だからこそ出せる優しさもあるんでしょうね…… 道兼みたいにコンプレックスみちみちで余裕がなかったらああ言われただけで「俺が悪いってのか!」ってキレちゃう。

いとも、自分だけ太って見えていたたまれないからって理由として不自然な気がするので、こう言うことで為時に危機感を持ってもらい、遠回しに何とかしてください!と言ってるつもりだったのに全然伝わらなかったとかだった可能性を考えてしまう。

為時は娘が妻代わりになってしまう残念な父親の趣があるのに、光る君への良心です……みたいな雰囲気を出してるのがウケるな。 私は好きです。

この作品全体としてそういう頼りない親であることを特に責めてはいないというか、 子供との関係が完璧かどうかだけでその人間のすべてを決めようとしてないというか。 それは子を持つ女性キャラクターたちもそう描かれてるから良いなと思う。

子供を働かせねばならなかったり、結婚させなければならないような親は現代の感覚からすると良くない親かもしれないけども、しかしどこもが健全な家族の姿を実現できる順調な家というわけではない。
ある程度順調じゃないと”正しさ”を実現できないこともある…ということに度々思い馳せている。

・文字を教えていたたねの親に拒絶されるまひろ
生きるためのことしかやっていけない人に学問を説く残酷さの場面がやっぱり出てきた……

為時がまひろに学問を教えたのは慰めのためだろうなって何度も言ってるけど、まひろも庶民の女の子に対してそうなってしまったという……

・兼家の入滅
兼家の最後に見上げた月、最初綺麗だけど"望月"じゃないというのが意味深だ…。

・さまざまな女性たち
復讐のために腹の子を犠牲にした女と我が子を置いて出仕しようとしてる女が出てきてよかった…

我が子のことだけでもと思っていたが、兼家の死に際に夫婦の関係に立ち返る道綱母がおり、
我が子のために夫婦の関係を切る道兼妻がおり、
我が子を失って、肉親ではない子供を慈しんだいと
復讐のために我が子を犠牲にした明子がおり、 自分の人生のために夫と我が子を置いていこうというききょう
腹の子を犠牲にして本懐を遂げた明子
色々な母、いや子を持つ女性がいっぺんにいる。すげぇ……

てか女性キャラ多……大河でこんな女性キャラ多いことあんの……こんな多くていいんだ……女性いるんだ……歴史上100人の村に2、3人しかいないのかと思ってたわ。
源氏物語も色々な女がいるなぁを感じられる作品だから、ちゃんとその感じが出ている。

物語に女性のキャラクターが少ないことの弊害は、女性読者が同性に自分自身と似たところに感情移入したり尊敬できるところを見つけられる機会が少なく限られてしまったり、一人のメイン女性だけに強調された一つの女性像だけが正しいかのようになってしまう、などがあると思う。

同性のキャラクターがたくさんいて、そこから自分が感情移入できるタイプを好きに選べるから、気に食わないタイプのことはあまり気にしないでいられる、というのは実は当たり前のことではなかったりする……

源氏物語が好きなのは女性というイメージが現在でも世間で持たれていて、それは「恋愛物語」だからと思われがちだけども、昔から女性にとって、自分以外のさまざまなタイプの女性が存在すること知ることのできる数少ない機会だったんだと思う。

・しきたり
兼家もしきたりを超えて神をもおそれぬ策謀を巡らしたけど、道長も穢れに対して無敵になってるから、憎き兼家の喪中にも関わらず自分を気にかけてくれたことで明子の好感度が上がってるぽいのが凄い。
一方、兼家の喪に服さなかったことで妻に愛想を尽かされた道兼もいる。

しきたりに従った方がいい場合もあればあえて従わない方がむしろ好感を持たれることもあるというの、”ある”!となる。
基本的には空気を読んだ方がいいけど、でも読まない方がいい時もあるよね…という厄介さ。
しきたり通りでない態度がただ単なるならず者で疎まれて終わる人と、革新者として尊敬される人と、一体何が命運を分けるんでしょう……という感じ。
この辺の比較がちょっと今まで食べたことない味がして絶妙だ。
善か悪かという問題でもない。
周りの人に可愛く思われるか思われないかの差という感じ。

明子からしたら道長は憎い兼家の息子だったけど、今回であんまり真面目に喪に服してないように見えるからこそ、 おや?完全に兼家に忠実な兼家サイドなわけではないのか?という好感に繋がり、もしかすると「おもしれー男…」になってるのほんと感心する。
道兼は自分を良く見せる相手として兼家だけに依存しすぎた。公任もそうだけど、不安定な情勢で一人の人間だけに的を絞るのは危険だ。そういう意味なんだと思うこの二人。

その点道長のあまりはっきりしない態度だからこそ色んな人から、お?こいつ味方になってくれそうでは?と勝手に気を持たせるというような”隙”がある方がかえって良いんだろうな…という感じ。
でもまぁ倫子みたいに不安になる人もいるのはいる。
それはそう。

兼家もいつも一人でやっていたわけではなく、先の関白や左大臣とも人脈を重視していた。ただ道長はそこまで意識的にコントロールしているわけではないのが心配なとこ。
道長が実現したいと思ってる民のための政ではついはっきりした態度を取るので、警戒されて終わるばかり。無意識な部分のがうまくいってる。
でもはっきりした態度を取ったことで実資からは、お、こいつなかなか…と思われているので、マジで何が正しいとかでは無く人にどう思われるかは人によりますね…って感じ。

その、人にどう思われるかが、"その人物"が一体何者であるかによって左右されますと。 重
要人物に好感を持たれたら自分の状況も好転する、不審に思われたら逆。
何の力もない人にいくら好感を持たれても、全体としては残念ながらあんまり良くはならない。世知辛い。

まひろ親子は後者に留まりがちなわけで、でも力ある者にばかり価値を見ておもねるのでなく力ない者に寄り添うことが大事なんじゃないの?という信念ゆえに惑う。
道長は、力ないとされる"女性"に好感を持たれて変わっていくのかなというところが面白い。

・穢れ
しきたりに従うかどうかの話をしたけど、それだけでもなくて、例えば"穢れ"の概念に苦しめられるのって社会的地位が低ければ低いほどだと思うので、穢れを気にされないことが"女性"にとって嬉しいことも多いというような気もする。
例えば生理もそうだけど、穢れとされたことで現代ですら辛さを相談することもできずに悩む人がいる。穢れと思わず労る人がいてくれれば、しきたりを守る姿よりも素敵だと思うだろう。
花山天皇が欣子の最期のときに近寄らせてもらえなかったように、しきたりをきちんと守って幸せになれるわけではないところというか……

詮子が円融帝と築きたかったのも、そういうしきたりを超えた関係だったと思うが、しかし円融帝はしきたりを重んじる人だったので……
それを正当化しようという心が動いているのか、我が子の一条天皇にも、円融帝のように"凛とした"姿を多分要求している……

・複雑な心境
今回定子と戯れる姿を見かけて「見苦しい…」と言って出て不快げに出て行ったのも、かつて円融帝に自分が言われたことだよね……辛い。
ここは、一見定子が気に入らなくてのよくある嫁姑問題だけみたいに見えるけど、多分……我が殿御のような超然とした天皇らしい天皇の姿を我が子に求めてるんだよな……
帝とはそういうものなんだ。 女子との関係とはあくまで"責務"なのだ、そうでないといけないんだと、心通わせ合うなんてこと、無かったんだ……と、自分にも言い聞かせている詮子……

帝は絶対的に正しい、間違ったのは自分で、それ以上に父が悪いという部分だけに集中しないと自分に起こった理不尽が理解できないというか… 自分が「見苦しい」と言われたのは帝の心を取り戻そうとして文を書いたときだったので、一条と定子が心通わせる場面が受け入れられない…それは見苦しいもの…


また、明子の子が流れてしまったことを聞いた倫子は、不憫なので気にかけてあげないと…という気持ちと、でもそんなにあちらを気にかけないで…という気持ちが二つあるんだな……

為時が兼家の訃報に涙しているところを、まひろは「嬉しいのか悲しいのか分からなくても涙が出るの」と言っていたけど、倫子もそんなような状況というか。
そんなこと喜んではいけないが少しほっとした、でも不憫だ…しかし殿が哀れがってあちらばかり行きすぎても困る……でも……みたいな……

そういう言語化できない感情を、まひろが書き留めていくんだな………

・ききょうとまひろ
ききょうについて俳優さんのこちらの記事を読み、面白かった。

"たぶんききょうは友達少なそう(苦笑)。「周りの女子はみんな頭悪くて話が合わないから、私は男と“推し”が居ればいい」とか思ってそう。"

わっかるwwww
まひろの来るもの拒まずな態度がクセの強いききょうも、受け入れてもらえた!と思いやすいってところで、それ為時と一緒じゃんwwwwとなった。
花山天皇が東宮のときクセ強でも逃げなかったから気に入られたやつと一緒だよ。 でも、ただ漫然と拒まなかったというそれだけだから、去られる時もどうしようもできないけどもね。

まひろってか紫式部がききょうほど先進的な感じじゃないのは分かるような気がする。
婿取りのことしか考えてない女は馬鹿馬鹿しい!で終われなかったから、どうして女にとって殿が全てみたいになってしまうのかということに思い馳せるというか。
でも判断が遅いタイプなので、一個一個立ち止まっている。

よくそういう先進的なタイプと時代にもう少し寄り添った穏健(?)タイプは対立に見られるけど、私は両方とも必要な視点だと常々思ってるんだよね。
そこで喧嘩しないで、女性たちが活動的になれるように未来に向かっていく方向と、しんどい思いをしている今と今までの女性に寄り添う方向、両方やってほしい。

まひろ、ある意味目に入るものが広すぎて逆に途方に暮れているというか。為時もそうだけど優柔不断になってしまう。

親である人物が"親キャラ"にならないこともある作品なので、まひろもふらふらしてるけど、為時も同じようにまだ全然ふらふらしている。
人生の成長や気づきのタームから卒業してなくて、親であっても、それが良かれ悪かれ残念ながらでもまだ全然途上であるという。

ききょうは宮仕えをして、自分の人生を充実させたい、そしてそれが誰かの為にもなるといい。 まず自分がある。
でもまひろたちは自分らの身の上が全然ふらふらしてるのに下手に"世のため"みたいなやたらとデカいことをやろうとする。

まひろは無意識下でも自分が賢いと思っているので、わりと何もかも知っている、分かっているようなつもりになってしまうんだよね。
その点ききょうはまだまだ自分は世の中のことを知らないという自覚がある。

でもリベラル層ほどエリート主義的になってあんまり"下々"を顧みなくなる感じも、"ある"となる。
それはそれぞれの考え方の何を重視するかによって変わってくる優先順位ですね…

ききょうの「宮中で働いて広い世界を見たい」ってセリフも面白いな。
まひろと我々視聴者は”宮中”と”広い世界”はまるで結びつかない。
心に直秀がいて、「都はしょせん鳥籠」や「遠い国」という言葉を知ってしまっているから。
でも、女性にとっては宮中で働くだけでも充分大きな冒険なんだな…としみじみしてしまった。

まひろは少し賢い、勉学ができる人だからこそぶつかる壁や誤謬のなかでもがいている感じがする。
土御門での集まりなどではよく覚えていたり上手く読めれば褒められ、打てば響くようだったのに、世の中はそうなっていないということに何度も傷つく……

十五話「おごれる者たち」 四月十四日

あらすじ:道隆が身内を高い官職につけ、独裁政治を敷いていき、道長は反発する。
まひろはさわに誘われて石山寺を訪ね、道綱母に出会う。
道綱がさわをまひろと間違ってしまったことで、さわの不安が溢れ出してしまった。

・外泊許可
為時殿、まひろが旅の申し出を遠慮がちにしているのはあなたが以前に外出を禁じたことがあったからですよ……
子供はわりとそういうことを体感で覚えてるんですわ。
昔は為時に思い切り反発していたので言いつけを平気で破っていたけど、今は仲が良好になったからこそむしろ気を遣ってしまう部分あるある。

・清少納言と定子の出会い
定子にお仕えすることになったききょうが「お仕えいたします!」って頭を下げるとこが、詮子が入内するときに円融帝に忠誠を誓ったときの様子によく似ていると思った。
ききょう、もとい清少納言は分かりやすく感激しているけど、二人とも「あぁこの人に人生を捧げよう」という喜びに満ちていた。

・人生の順路
前回はまひろがききょうに引け目を感じていたが、さわはまひろに引け目を感じるようになってしまった…
まひろはききょうの語る夢を知って、そんな生き方もあるのかと仰天したと思うが、さわもまひろが学問に優れているのを見て、女でもそんなことをすることもできるのか…と驚いたに違いない。

女性には"ステージ"があり、その期間には往々にして年齢制限があることがあって実に短く、しかもそれぞれがどんな生き方をしているのかあまり知る機会がなく、それゆえ焦ってしまう。
その一方で「官位をもらえないのにも慣れてしまった」とのんびりしている為時。

為時も最初の失業のあたりはそんな気持ちだった可能性もある。 自分より成績が良くなかったやつの方がいい官職もらってる……みたいなことがあったかもしれん。 けど少なくとも最近宣孝が栄転したことについて焦るような感じは全然なさそうである。

慣れちゃったかぁ…… 失業で病んじゃったり、道兼みたいに一度レールが外れたらもう無理だと飲んだくれてヤケクソになってしまう場合もあると思うと穏やかでオッケーです👌

こないだ為時がまひろに「あまり自分の道を決めてしまわない方がいいぞ」って言ってたんだけど、そうやってあるルートやステージをトントン拍子に上手く登っていく人生ばかりじゃないから、そういうのとどう折り合いをつけるかとかの話もあるのかもしれない…

道兼に対する道長も、やっぱ穢れに対して無敵になっているので、穢れに堕ちて父から見捨てられた道兼に歩み寄れるやつかな。
穢れに強いと、社会の周縁に追いやられてしまう人に手を伸ばせる
道長もまひろの母の件で道兼を許せん思いがあるだろうけど、まぁそれは為時もそうであるけど道兼を気の毒に思って助けたわけで、一つの気持ちに縛られない生き方というものがある……

・道綱
道綱のやつのそのまま突入するのとしないのとではどっちが酷いんだろうと考えたけど、まぁ、どっちも傷つくけどこの対応の方がいいんかな…となった。 道綱は言語化の上手い母上のもとで心にどっか後ろめたさがあるんだろろか。
源氏物語もそういう効果なんだろうな、女はこんなに辛がってます、ということを男たちに知らしめるような……

・最近の光る君へ
見終わったすぐ後は群像劇が群像すぎて、何が何だかさっぱり分からない………ってなってる。
私は君へは場面転換が多いからテンポ良く感じて退屈しなくていいなと思ってたけど、余韻に欠けて微妙って言ってる人もいてなるほどなぁとなってる。

このnoteにあらすじを書いているけれども、いろいろな人物にいろいろんなことがいっぺんに起きているためあらすじを書くのが難しくなってきた。
一応為時とまひろサイド中心に書こうかなと思う。

為時がリストラされたので、まひろ一家がほぼメインでやってる政治劇と全然関係なくなってしまったのがヤバイ。そんなことある?

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