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【光る君へ】為時を中心に回す感想まとめ日記(六話〜十話)


前回のまとめ



第六話 「二人の才女」二月十一日

あらすじ:まひろ、道隆に漢詩の会に参加し、ききょう(清少納言)と出会う。


漢詩の会に招かれたという為時についていきたいまひろ。

まひろ「父上の晴れ姿が見たいです!」
為時「……………(トゥンク…)」
私「チョロwwwwwwww」

しばらく気まずく仲違いしていた娘の突然のデレ…抗えるはずもなく……というお手本のような即落ちたるや萌えの最大瞬間風速吹き荒れすぎ。

前回兼家は子供達がどんな様子でも鷹揚だから、それが拳の振りどころを失わせて怖いと言ったけど、為時は逆に全然余裕無いので、頑なで冷たい態度を取ってしまう、なので余計反発される…の悪循環だったので、そんな状況なければ基本チョロですわ…


これは前回の左大臣家の親子の話だけど、倫子の、高貴の姫としてのしっかりした部分はあるけれどでも家族内だと父親に甘やかされていて、入内させるために育てられた姫と比べるとおっとりさや幼さみたいなのがある感じ良い。
でも倫子の父雅信の娘を可愛がっているようでいて、同僚に対しては「いやいやあんな礼儀知らずの娘…」とか言うのも、結局は面子>娘って感じで良い(娘が嫌がってるから無理強いできなかったとか父親の"威厳"に関わって言えないため)

兼家のとこは女が産まれたらそれは入内させるためのものなんだから、入内させない娘なんて何のために置いてるの?という感覚から来る、何か企んでるのでは……という警戒心に対して、
いや娘を手放す惜しさもありつつ娘も嫌がってるから…とかの拍子抜けするような理由しか無いみたいな対比好き。

でも娘の言うことなんか聞いちゃってる、娘の顔色を伺ってて従わせられてないなんて外向きには恥ずかしいこととされるからそんなことは出せない…みたいな機微が上手すぎる。
雅信は倫子の琴がまた上手くなったと目尻を下げて自慢に思っているはずなのにそれを出せないのと、為時がまひろに言う「男であればよかったのに」が何故か重なる。自慢に思う要素があるはずなのに、その部分を表で自慢に出来ない。娘(女)だから。


また詮子の「父上のことは嫌いですが、私は父上に似ている」ってとこ、わ、わかる〜〜〜となった。
親のそういうところが嫌いなのに、そういうとこが自分と似ている……というとこ、ある……!!
それでも自己嫌悪に陥らずに使ってやる!という態度、おみそれする……

道長がおそらく無関心・我関せずにいたことで自分の家の有り様を知らなさすぎたことに危機感を感じて、道隆の不信を避けるために「帝をお支えするのは父上の方がいいと思います」って言った時の、、ほんとは不信感ある人を褒める嘘を言ってしまったというわずかに苦痛の滲んだ表情、凄い………
前のnoteでも言ったけど、基本正直者で通してきた男が嘘を言ってしまう瞬間からしか得られない栄養ある。

ここの道長の台詞が兼家の受け売りなのもありそう。
前回兼家と話してて「誰が帝を支えるかが重要」って言ったら褒められてちょっと満更でもなさそうにしてた直後にまひろの告白があったという……
「その帝を支えるのは藤原だ」と、父上の理屈に乗ることに、まだ少し葛藤がある道長と吹っ切れてる詮子。


まひろもただ嫌だ嫌だだけでは通用せず、「左大臣家の繋がりを持っておくことで右大臣家に頼らなくてもいいように」という政治的な身の振りの話としての言い方をしてやっと聞いてもらえたという。
(しかしこの発想、詮子と同じである)

散楽でのおもしろきことこそめでたけれのくだりで、自分だけが良いと思うことより聞き手にウケるのは何か?という視点が導入されたように思う。
聞き手の舞台に上がり、視点に立つ。
倫子との会話でも、相手に寄り添うことで向こうも寄り添える。

清少納言を出しゃばりに思うのは紫式部だけの感想じゃなくて、みんなそう思ってます、みたいな感じにしてるのよかった。みんながそういう価値観の世界なんですという。
聞き手に寄り添うことを選んでいくまひろに対して、また違う作風になっていく気配が感じられる…


若者たちの集いで、ただただ酒を入れての一方的なウザ絡み飲みよりも若者の個性や能力を理解してちゃんと話を聞いてくれる上司のがウケます!という感じ、現代の飲みニケーション問題も入ってる感じしてよかった。

公任の漢詩の感想についてききょうに突っ込まれたときのまひろは、おそらく道長のことしか考えていなくてぼーっとしてたんだろう。

そろそろ、まひろが紫式部になるということは道長と結ばれてないんだという"史実"に、え、どうして…………………………と思い始めてる。

君へ観る前の私「紫式部と道長の二人…?うーん、ここの恋愛関係があるって解釈はあんまり……」
観た後の私「素人は黙っとれ ーー……」


大河、平安時代に味しめたら菅原道真とかもやってほしい。

第七話 「おかしきことこそ」 二月十八日

あらすじ:まひろが散楽の台本を考え上演される。倫子様たちと打きゅうの見物に行ったところで、男性貴族たちの会話を聞く。


花為(花山×為時)在ったーーーーーー!!!!!!

花山「足をさすれ為時」
私「へぇえぇ………!?(動揺)」

為時「お許しを……」
私「くそっ……空気読めねぇなこいつほんと………」

どこにやきもきしとるのか


心弱っているところで妾に魂胆を滑り込まされる兼家と、弱っているところになんてとても浸け入れられない為時……
まひろが道長と直秀の間で揺れているとき、
上流では為時、花山、兼家という三角関係でヒロインは完全に為時へ……

道長が泣いてるまひろを置いて道兼を殴りに行ったので「帰んのかよ」って言われてたシーンと、
嘆く花山を前にして自身も右大臣家によって妻を失った身として分かるものがあり、このまま右大臣と繋がったままではいかんと足をさすらず袂を分かちに行った為時………
全く同じことですね、完全に理解した。


道綱母も兼家に息子をお願いしますねって言ってるし、道隆たちも父上が摂政になったらおれたちも!って言ってる。
父親が上がれば子供も上がるので、それを積極的にやってない為時こそ普通宣孝らからしたらその方が子供たちのこと考えてないんじゃないのか?愛情といえるか?ということになるんだな。

為時は兼家と比べたらそりゃ絵に描いたような朴訥で優しげがあるかもしれないけど、
でも呪いを恐れながらも一族のために非情になっている兼家…という視点で見ると為時は良くも悪くも自分のことしか考えていない…とも言えるかもしれないというバランスが絶妙だ…

幼い頃から面倒を見てきた帝が為時に嘘偽りない姿を見せて頼ってくれているのだからもう裏切るようなことはしたくない、周りから見ればたかが一代の帝にちょっと気に入られたくらいで図に乗ってると思われるとも、この今目の前にいる帝に報いたいという為時の気持ちと、
花山のほんとは先の帝みたいに長い目で見て割り切ってる方が正しいとされているのに、今一人の妻に執心したばかりに心乱している……おお、似た者師弟…

こう……このたった一人のために思い遣ったり想い続けたりしても詮無いこと、許されないことのようになっている社会システムが女性たちの不幸と嘆きにもなっていくという……

詮子も都度都度「帝は私にとってたった一人の殿御」と言っているけど、そのたった一人の…という思い入れが一笑されるのもあるし、女性はそもそも「たった一人を待つしかない」状況に置かれがちでもある。


実資は悪役とか冷たい人物にならずして当時の常識的な価値観を説明してくれる役割になってるの良いな


代筆業をやっている話の頃に、この調子だと女性の評価付けをする男たちの話も紫式部が実際に見た場面として出てきたりしそうと思ってたんだけども、来た。


君へ、まだ6話……???

この濃厚さで…テンポ厨の私も満足のテンポで……(展開のテンポというか一つのシーンが長く続かず場面切り替え視点切り替えが多いので飽きない)

花山天皇とよしこの緊縛だ…って言われてた印象的な赤い紐が、よしこ亡き後握りしめて嘆くシーンに使われるのとか無駄が無さすぎてすげぇよ……

為時最初単に主人公のに父親というポジでちょっとしか出てこんかなと思ってたのに全然周り面白いことになってるから目つけててよかった〜〜となってる。


散楽でやってたキツネに騙されるサルのサルが右大臣家のことならキツネは晴明のことを暗示しているんだろうか……
光る君へは平安貴族の話……だけにとどまらずにちゃんと紫式部という"作家として名を残した人"の人生と成長を描いてるって感じなのがすごいなと思う。

少し話逸れるが、前noteで色黒やストレートヘアでない貴族だっているだろうという話をしていて、とくに常日頃から平安貴族にはストレートヘアしかいないという固定観念が何とかならないものかなと思ってたんだけども、
ききょう役のサマーウイカさんがついにやってくれました。

そう!清少納言はくせ毛……!

それで光る君へは"完全"となった。

紫式部を題材にしたものはこちらも好きで呼んでるんだけども、

二十二帖後編の父に「男に生まれていたら」と言われていたことへの紫式部のアンサーが胸熱でした。

第八話 「招かれざる者」 二月二十五日

あらすじ:突如倒れた兼家。混乱の中、憔悴した様子の道兼が為時のもとを訪ねる。


急に兼為(道兼×為時)が始まった……

為時、一体どうなっちゃうの〜〜〜〜〜

乳母「道兼様がいらしております…」
私「もう訪ねてきた!?もうちょっと……文のやり取りとかは!?」

嫌われ者の寂しい男たちから「つまらねー男……だがそこが落ち着く…」みたいな包容力を勝手に見出されて好かれまくっとる為時………
今回はもうこのへんで動揺しまくって何も覚えてません。

前から度々言ってたように兼家と為時は対照的な父親なので、
実父への執着と恐れに苦しむ道兼が正反対のタイプな為時の父性に安心を覚えるという理屈は分からなくもない……まだ分からんけど…

為時に目をつけておいてよかった。君へが向いてるかもしれん

私は為時を推してちょっと話の中心から離れたところから低みの見物をするつもりだったのに思っくそ渦中に巻き込まれている。

でも兼家も為時にフられたの根にもってるから嫌がらせかもしれんし……
だってねぇ…実の親の愛に飢えてるから代わりの父性を求めるなんてそんな……光源氏にとっての桐壺と藤壺じゃあるまいし……

君へ歴史物だから展開知ってるはずなのに、何も分からん…ってなるからすげぇ

最初の方で実資が道兼に「ついて行きます」って言われた時に「あっそ……」みたいな塩対応だったの、そこでウルウルしちゃう為時との対比のための伏線なんだ!?


まひろが琵琶弾いてる時に風が吹いて後ろの草木がざわざわしてるとこマジでよかったな……迫真……


兼家にとっては息子たちというのは有用かどうかで決まるのだけど、道兼はどんなに有用になったところで満たされないものがあるというか……
その点為時は学問を志している者ゆえというか、有用性以外の徳や義のような評価軸が本当はあるんだけど、
でも身を立てるために兼家の有用性に適わなければならなかった…というと、道兼と為時の二人は似た身の上ではあるのかもしれん。

左大臣家は右大臣家のそういうとこがイヤ!と言うとる。それはそう。

まひろに「父上は政に巻き込まれずに学問だけしていたいんですもんね」って言われた時の為時の反応が気になる。
全くもってそうだと原点に立ち返る思いだったのか、それとももうそれだけでは無くなっていることに気がついたのか…

兼家様に感謝してるし、でも帝のことも心配だしで、相手のためになにかしてあげたいという気持ちで動いていて、学問で評価されたいということなどすっかり忘れてしまっていた…もう漢文と顔を突き合わせていただけの頃の自分とは変わっていることに気づいて戸惑ったのか……

道兼と対面するまひろの様子にハラハラしていたけど、まひろが昔とは違う答えを出しているのを見て、為時も昔とは違う自分を受け入れ、珍しく積極的に帝に進言したのが道兼のことだったと……………?


祈祷のシーンで巫女が兼家に掴みかかるところで意味のわかってない道長は止めに入ってるけど、事情を知ってる兄たちはビビって動けない様子ほんと良い。
兼家は神仏も恐れぬ、いや恐れていてもそれすら利用するような豪胆さがあるけど、道隆は若者から尊敬されるような生粋の品格はあってもそれゆえに本気でビビりまくっているし、道兼を手懐けることはできても詮子には通用しないという、カッコいいところとダサいところのバランスが面白いキャラだ。

まさに今回詮子が突いているように、兼家の威光ありきの長子という立場があるからこそそこから出る品格や余裕に過ぎないのであって、それが通じない相手にはてんでだめというか……

兼家の息子たちの家での顔と外での顔が微妙に違うのが面白いな、道兼も最初は道長に突っかかったり余裕のない乱暴者だけど、職場では人当たりのいい好青年の雰囲気でやってるんだという。道隆は家ではやや情けない雰囲気になる。道長は家でも外でもあんま変わらん。

兼家は最初の方で「息子たちはそれぞれに違いがあってそれぞれ良いよ!」って言ってたけど、
兼家に一番似てるのは皮肉にもその頭数に入ってない詮子であるという様を強調した回でもあったのかな……左大臣が「詮子様なんて右大臣殿にそっくりだ」と言ってる流れで…


でもまぁ兼家は別に為時に怒ったりはしてないとは思うのよな。
息子たちに対してもその個性を把握して使い所を分けてる感じなのと同じように、また使いたい時にはいつでも使えると思ってるというか……
人の適材適所を分かってるというか…

大河でお馴染みの義理や忠義とかとは違う価値観というか…
鎌倉殿を引きずってると、武士の世界は忠義をアピれなかったら謀反を疑われて大変だったと思うけど、下剋上のありえた武士社会と違い、貴族の身分社会は覆ることなんてない感覚なので、下位の者のちょっとした失礼くらいにいちいちカリカリせんみたいな表現が君へにはあるかも。

為時は辛抱強くて朴訥とした性格だからこそ今の帝に気に入られてるわけで、でもそこでそれ以上のことが出来るかというと出来ない。ここが得意なら逆の部分は苦手なのでそこを無理にやらせても上手くいかん

花山天皇に後ろめたく思いながらやらせて為時がどっかでボロを出してしまう恐れがあるよりも、もう兼家とは切れたと"思った"まま現状維持の方が兼家にとってもいいというか
為時が帝に操立てして間者はもうやりづらいという"気持ち"なんて、兼家にとってはどうでもよくて…些細な心象に過ぎないので、それで状況が変わることはないと思ってる。

そんな感じで詮子の気持ちも些細な心象だと思っている。
それで何も覆ったりしないと思ってる。


一方為時はこう…まひろたちのためを思って兼家に仕えることが妻を切り捨てることになり、兼家の役に立とうと思ってまひろを間者したことがまひろを傷つけ、帝を思い遣ったことが恩ある兼家から離れることになり……と……どうもフラフラしとる。
目の前の人間の感情にすぐ反応してしまうというか。


光る君へは、視点を紫式部だけにするとどうしても政治劇の中心の話ができないので、父親である為時を媒介にして政治劇を展開するという、脚本自体が為時に対して兼家なんよ(?)

第九話 「遠くの国」 三月三日

あらすじ:道長、右大臣邸に侵入して盗賊として捕えられた直秀を解放するために動く。


平安時代の話見てて二人で死体を埋めるイベントが発生することあるんだ……
平安では死は穢れで、貴族はめったと遺体に触れたりしなかったと思うんだけど、それをぶち破ってやるからこそ迫真の想いが伝わるというのが、、思い切ったなぁ……

為時の漢文朗読BGMだけが癒しだわ
為時もひとつ余計なことをしてるんですが……

伸びやかな自由をイメージさせていた空飛ぶ鳥が、屍を狙う烏に変わった表現が一番エグいと思った…


どうして直秀たちが殺されることになったのか、
私は流罪はめんどくさいから"処分"にしとくか!ってなったのかと思った。
「七人も流罪となると手間がかかるなぁ」ってセリフが入ってたのが気になった。
鞭打ちで済んだものを流罪にするのはめんどい、そうだ処分してしまって"若君"には流罪にしましたって言っときゃ分からんだろ!みたいな

そうすると、貴族でない身分が下である人間の信じられないほどの命の軽さ、まさか身分が違うとはいえ親しんできた人々がそんなゴミのように扱われるとは夢にも思わなかった道長たちの認識の甘かった部分が際立つのかなと…


直秀が盗賊だと分かった直後に、道長が自分の影を見つめるシーンがあった。
これは以前の、道兼に「自分は綺麗だと思っていても、俺たちの影は同じ方向を向いている」と言われたことを思い出してる。

藤原をあざ笑う散楽を見て、自分は藤原セオリーとは距離を置いている気になってたけど、それでも立場・因果はついて回る。
道長が言うように、直秀は分かってた、どんなに親しんでも身分が違えば"同じ人間ではない"と。

道長もそれは分かった、それでも何とかしようと思った。
これは帝に手紙を送ろうとした詮子とよく似ていて、
実はここでまひろだけでなく、詮子との共通点も出来ているのでは

詮子が個人的に帝を想っていることなんて、帝の責務の前には無意味。
道長とまひろが個人的に直秀を特別な友人に想っていることなんて、この世では無意味になってしまう。
そのようなことを正したい……とまひろは言っているような。


めちゃくちゃ現代にも通ずる生得権(マジョリティの特権)の話をしている……
単にノブレスオブリージュで終わらせずに丁寧に「立場」とは本人が自覚していなくてもそれでも影響する、という話をしてる…

上位と貴族が優遇され、非貴族が虫ケラのように扱われる世の中では単に「非貴族の友人がいる」だけで満足していてもなにも変わらない……
そのことを、直秀は分かってた……………

道長は今まで呑気にしてただけに政のしきたりに疎かったし、人を動かすようなことも今までしたことがない。
でもそんな道長だから、直秀との不思議な時間を過ごしてこれたのだけど……という……ままならなさ……


策を弄そうと思うとそれなりの情報収集と準備が要る。
それこそ兼家だったらこの検非違使がどういう人物かというところまで調べた上で実行しそうだけども、その実行の部分だけ真似事をしてしまったというか……まぁそれで避けられたかもわからないけど…

直秀が道長の家を襲う。
道長が直秀の嫌いな貴族仕草で直秀を救おうとする。
このやりとりはそういうキャッチボールの意趣返し的な、応酬のようでもあり何とも言えん気持ちになる…

直秀の嫌いな貴族仕草を使うというのは、道長にとって俺の家を襲うなんてやってくれたな〜このこのぉ〜こっちだってやってやるぜ😉みたいな、小突き合いのつもりのような雰囲気がある気がして微笑ましくも切ないというか……直秀はわりと最初の方から死ぬんだろうなと思ってたけど、でも盗みに入ったからもう道長に軽蔑されちゃっただろうな…と思ったまま死んでしまったというのか辛すぎて泣いています。


まひろが亡き母を想う気持ちと、為時が亡き妻を想う気持ちは残念ながら同じではない。
為時は道兼に自分の複雑な気持ちもあるにはあるが、それ以上にまひろの顔色を窺っていた。
まひろは誰より父上と分かち合いたいと思っていたのに、しかしそれは難しかった。
やっと分かち合える存在としての道長…


今回の君へのイメソンは『対象a』だよ……


乳母のいとの言う為時について「今宵は高倉の女のところへ行ってます」と、花山天皇の「よしこ以外を抱きたくなんてない!」は対比かと思った。

為時は帝と真なる部分で深くは分かち合えない。帝が共感できたのは”虐待されてる道兼”だった。

この…最終的には為時ではなく、"藤原の男"であるという構図、堪らん………

その藤原の男が道長なのか道兼なのかでまた運命が変わってくるというか……これがオムファタールか……
無自覚オムファタールと、魔性のオムファタール……(??)

為時ももちろん妻が亡くなったことについて悲しみや口惜しさはあるけど、でも…それほど猛烈ではない。それが悪いことというわけではないが、まひろや花山天皇や詮子のような、あるいは道兼にとっての父上のような、「自分にはこの人しかいないのだ」という感覚から来る執着ほどではない…
穏やかだけどその分情熱的でない、ような。


第十話 「月夜の陰謀」 三月十日

あらすじ:まひろと道長の逢瀬。着々と進められる帝退位への手筈。


えぇ!?今っ回……めちゃくちゃ良くない!?めちゃくちゃ良いを毎回更新してくる??

最後の、またしても何も知らない為時さん感。

というか道長とまひろが会うタイミングに為時が長めの留守中ということにしているんですね……ふーーん……


まず行成に文のことを話して「それは珍しいですね」って言われた時の少し嬉しそうな「そうだよな!」が可愛すぎる。
他に滅多といない特別な女のように確信して興奮気味になる感じ…
解説してもらった後の分かったような分からんような「ふぅ〜〜ん……!」の声も何故か好き。

恋文って相手の言葉を自分も使うことで心の重なりを表すものだと思うけど、漢詩を返すまひろは頑なに恋文のやり取りをしようとしてなくて、それを道長の方が合わせに行く表現もあ〜〜心憎すぎる……
雨夜に聞いた高貴の男に振り回される悲劇の女の1人になりたくないまひろにキュンッと来るのが分かるッ

普通の女は漢字なんて使わないわけで、だから為時に何度も男だったら…と言われていたんだけど、そこで道長も漢詩を使うことでまるで"対等"なやりとりのようになるというか……しかも道長は漢字が苦手なはずであり……


戦いをやめて一緒にいてほしいというようなことを請うのはいつも女側になりがちなんだけど、まひろの方が使命を恐れる道長を突き放して促すの、そうそう、これが見たかったんです……となる。
これを戦国時代以降以外の話で見るとは……

実は女から発破をかけていたって話が無いわけではないけど、でも場面としてここで!?、ここでそんなこと言う!?という決意の凄さが堪らん……プレッシャーをかけられまくってまひろと逃げるという"救い"としての道を塞いで、それでもその後に結ばれる…というのがもう……えぇ……?良すぎ。

世界を救うという宿命を捨てて1人の女だけを救うんだという男の高揚をぶち破ってんの最高だ……………


ロマンスパートがこんなに面白いことあんの
私「ロマンスパートは冗長でテンポ悪いイメージあんだよなぁ」
ノータイム口吸い
「そこまでしろとは言ってない……」


花山天皇にとってのよしこはまさに"救い"だったんだろうと思う。良くいえば心の支え、悪くいえば重圧からの逃げ……他者に心の支えを求め続けて、それで結局他者に裏切られてしまった。
そしてその愛されすぎて早逝した女性も、幸せだったかどうか、、誰も分からない……

道長が政治の道を生きるなら、まひろ以外の高貴な女性と結婚しなければならない。道長はそれを分かってたから焦っていた。
それは政をやっていくならよしこを諦めて他の女性と子を成さねばならないとされた花山天皇と同じ状況なんだな…

花山天皇は為時のおかげで賢くなったからかは分からんが、周りの反対ありつつも民のためを思った政をする意欲があった。
でも、よしこのために全てを捨ててしまい、結局よしこの敵である者に政を渡すことになってしまった……なんと……道長との対比になってるんだなやっぱ…

それを踏まえるとまひろのお断りは、「あなたを愛している。でもあなたの"女神"にはならない」というようなものだ……
今回イメソン、鬼束ちひろの「NOT YOUR GOD」です。

直秀を殺した悪政を、私の母を殺した道兼を許せないと思うのなら私のために藤原を捨てるのではなく、藤原で戦ってくれと言うまひろ…………


為時がまひろに学問を教えたのも、誰にも関心を持ってもらえないなかでまひろだけが持ってくれたから、その自分の慰めで教えたような印象だった。
でもいざまひろが教養ある女性になったら「男だったら…」ばかり。
男の慰めで終わる女になりたくないという想いも深そうで。

最初の頃に幼いまひろが「なんで母上が父上のために一生懸命やってるのに父上はずっとこっちにいてくれないのか」って聞いて母に「まひろも大人になったら分かる」と言われたやつが来ているのか……?自分だけが幸せになることがすべてではないと…

あるいは、理不尽な世の中にあっても自分の中の芯というか、誇りというか、信じるものというか、そういうものがあれば今を不幸だと思わずに生きられる、の方か……?両方か……?

乳母の「若様がいるなら殿はくれてやります!」って台詞大好きすぎるが、男本体はいなくてよくね?って話になるのかな。
いなくて良いってわけじゃないけど、でもどうしようもないから。
以前道兼のことでまひろら「いつまでも気持ちを振り回されたくない」と言っていた。

だから男本体が側にいてほしいかよりも、女がそれ以外のどこに心を置いて生きていけるか…という

よくよく考えたらあの時代に紫式部が「いろいろな女がいる」のを描けたのほんま凄いな。現代でも男女共々分かってない人多いのに。

道長が「生きるために木を切ったり魚を釣ったりするところなんて想像できない」と言うまひろ、ある意味女性という立場らしいというか、実態的な地に足ついた生活のこと考える感じすごいわかりがあったな。

為時の学問で身を立てたいという理想のために苦労したことがあるから、生きていくってそれだけじゃないよねということが分かっているのが…

母上が着物を売ったり、琵琶を弾く間もなくお参りしてたのも、まひろは父上のためだと思ってたけど、まひろたちのためでもあるよね……


前回も生得権(マジョリティの特権)の話だと感じた部分があるんだけど、やっぱりまひろが道長に言ってるのもそういうことだよね。
せっかく男に生まれて、偉い身分に生まれたんだから、その特権を使って恵まれない人々のことを考えるべきだと。
それがこの当時の言葉でいうところの、いやまひろ解釈の「宿命」

直秀は道長とどんなに親しくなっても貴族とは違うことを分かっていたように、まひろも分かってきた。
代筆業で男のフリをしていた時のように、自分も男のように生きられるんじゃないかと思っていた時期もあったが、しかしやっぱり男とは違うのだ。
立場が下の者であるほど上の者よりも早く思い知ってしまうという……

まひろはもう前に一回配慮の鬼の直秀から「一緒に行くか!…行かねぇよな」って、言われてるっていうのがな。あの時戸惑って「…行っちゃおっかな」って言ったけど直秀に見透かされていて、ほんとはどう答えるのが本当だったんだろう…何で戸惑ったんだろうって考える時間があったんだよねまひろには…
だから道長に言われたのが一発目だったらまひろもびっくりして「…行っちゃおうかな…」って言ってそのまま流されたかもしれないけど、直秀が先に予行練習をしておりましたので……


なにげに政略結婚を嫌がる男性の話珍しいんだよな〜と思っている。見たかったのでとても助かる。
てか次回予告で倫子様にバレてたっぽいのって、前に「うちは土御門の近くで何か言われるといけないから送らなくていい」って言ってたのに今回送ってもらったからか……?


普通さぁ、さぶまひのシーンを今回の最後に持ってきて余韻出してもいいはずなのにさぁ、そうじゃなくて先にやって藤原家の策謀パートを後に持ってきてるのもなんか"匠"を感じる(?)

さぶまひが最後だったら、いい最終回でしたね……という雰囲気で終わるとこなのにそうじゃない、メインは政治だと


帝退位計画での真の役割を兼家から聞かされた道長が、鳥辺野でのことが脳裏によぎっているシーンがあった。
あぁ、策謀巧みさの格の違いを思い知っている……

道長は最初の頃はジャンプ漫画によくいるような、飄々とした愚か者のように見えるけど実は芯を食ったことを見抜いていて…みたいなタイプかと思ってたけど、違うのがはっきり出てて良かった。普通の若者で良い。
ほんとにぼーっとしてるし、ほんとに嫌気がさしてるだけなんだ……という

前からぼーっとしてるだけなのに詮子に気に入られてるの謎だな……とは思ってたんだけど(別に突出して詮子を気遣ってくれてるというわけでもないのに)、
ぼーっとしてるから他の兄上よりも詮子がコントロールしやすい、詮子がマウントを取れるというとこもあるかもしれんという気もする。


まひろにとって道長と為時はわりと似ていて、でも為時で満たされんかったものを道長に求めている、という路線で君へを見る試みをしているんだけど、
二人とも将来を考えるみたいなことを先延ばしにしがちで、そうこうしている間に巧みな人間に巻き込まれて結局不本意なこともせざるをえなくなるみたいなとこある。

直秀のための袖の下も、道兼についての奏上も、普段やらないことをした。でも場当たり的な気の優しさで動いていて、見通しが甘い。

為時は前にも花山を気遣って兼家と袂を分かったものの、いや右大臣様はこれからも偉くなるかもだからそっちにいなくてどうする!?って宣孝に怒られていた……見通し…

でも女性って大体先のこと(出産等)で今を蔑ろにされがちだから、先のことばっか言わない男はそれはそれで好感持たれるかもしれんが…


だいたい為時は何?
稼ぎ無くなりがちだけど、教養豊かで気は優しい?
ヒモの才能がある。
もうちょっと羽振りのいい女のところに行け。
は?荒屋で病人の看病をしている…
分かった分かった、私が養います(?)


はぁ…全人類光る君へ観て……まだ間に合うから…
花山天皇にせめてよしこの文をちゃんと届けてあげてほしいよ。。
晴明が「今は長期放送歴史ドラマを見始めるのに最良の時!しかし今週中に見始めなければ、この先一生運気が上がらないでしょう……」とか言ってほしい。

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