あひるのこ

毒親育ちのアラフォー。アヒルの子はアヒルかもしれませんが、個体差もお忘れなく。好きなデ…

あひるのこ

毒親育ちのアラフォー。アヒルの子はアヒルかもしれませんが、個体差もお忘れなく。好きなディズニープリンセスはラプンツェル。「やっぱり実家は落ち着くよねー」に共感拒否。生まれついてしまった自分と決別する方法を探しています。

マガジン

  • ゴミ屋敷に住まう毒親を討伐するまで

    父の死を機に、絶縁していた母と接触することになりました。相続、ゴミ屋敷、借金、母の暮らし。今後も母と距離を置くため日々の奮闘と、過去の記録を少々。

記事一覧

父の遺族年金受給が始まり、母の生活保護受給は終わり。母自身の受給額とあわせて、十分に暮らせる金額を受け取っているようだ。父が働いて納めた分で生かされている。家に引きこもっている自分を棚に上げて、2年も働かない日々があったと父を罵っていたこと、反省した方がいい。

母、要介護1認定が降りて、相談支援の担当者が変更となるらしい。

あひるのこ
4週間前

母の生活保護に関する扶養確認書が届いた。金銭だけでなく、心理的な援助ができるかどうかも問われることを知らなかった。したくもないし、する気もないし、できない。と書いて、封をして返送した。郵便切手を貼るのさえ惜しいと思ったが、人間でありたくてきちんと貼った。

あひるのこ
1か月前
1

3ヶ月経ったなあ

あひるのこ
1か月前

すこしあれこれ落ち着いて、時間が経ってようやく父との思い出をふつふつ思い返すなどしている。無口な父とは思い出が数少ないけれども、嫌な記憶といい記憶バランスよく思い返されている。

あひるのこ
2か月前
1

包括支援センターの職員である第三者から見て、母の人柄は「妄想がすごい」という一言でまとめられた。
私の心が軽くなる。

あひるのこ
2か月前

私の相続放棄が受理された。朝起きた時に訪れる猛烈な不安感は消えていくだろうか。

あひるのこ
3か月前

土日祝日は役所が動かないぶん、連絡もないだろうと思えて心が安らか。平日が来る前はずしんと体が重くなる。
なるようにしかならないんだけどな。

あひるのこ
3か月前
1

母からの、母関連の連絡がない間は心健やかでいられる。

あひるのこ
3か月前

もう金銭面も体力も心も限界だと感じ、時間を区切り、返事がなければ全てを自分で手続きしてもらうようにした。そもそも親交を絶っていたのだからそうあるべきだったんだ。私はなぜ電話を受けてわざわざ死後の対応をしに行ったのか。母も自分も嫌いだ。

あひるのこ
3か月前
1

家の外の塀を作れだとか、携帯電話は数社持ってなきゃ不安だとか。自分大好きモンスターかよ。
包括支援センターや介護ヘルパーさんも、休日に利用者から連絡があったりしてキツいだろうな…相手が言ってわかる人間じゃないからな…

あひるのこ
3か月前

母と接触すればするほど、自分のことがどんどん嫌いになっていく。せっかく距離置いたのに。

あひるのこ
3か月前

「車を手放すのも嫌(乗れないのに)。家を離れるのも嫌。施設に移るのも嫌。生活保護受けるのも嫌。お金がない。」
…私はいったいどうしたら良いのでしょうか。

あひるのこ
3か月前

私が仕事に就くまで「生活するお金払ってるのは誰だ、言うことを聞けないのか」と言われて育てられた。早く家を出て仕事して自分で生きたいと思った由縁はこれ。今なお、あの頃払ったお金で縛りつけようとするのマジで勘弁。

あひるのこ
3か月前

母は父の愚痴を言いながらも、娘の私にお供えをして欲しかったと文句を言う。考えはしたけど、物が溢れたあのゴミ屋敷でお供えをする気持ちにはなれなかった。
母の気持ちは関係ない。私は父に対しできることをしたし、弔ったつもりだ。周りが見えていない母が大嫌い。

あひるのこ
3か月前

母と話す時は敬語で距離を詰められないように、少しの嫌味を含ませながら、それ以外は事務的に言葉を返すようにしている。父が死んだ時は多少の優しさを持って接していたが、母と直接会いその気持ちが消えた。母と接触すると怒りと拒否反応でリアルに震える。
私の健康と、私の今の家を守らなければ。

あひるのこ
3か月前

父の遺族年金受給が始まり、母の生活保護受給は終わり。母自身の受給額とあわせて、十分に暮らせる金額を受け取っているようだ。父が働いて納めた分で生かされている。家に引きこもっている自分を棚に上げて、2年も働かない日々があったと父を罵っていたこと、反省した方がいい。

母、要介護1認定が降りて、相談支援の担当者が変更となるらしい。

母の生活保護に関する扶養確認書が届いた。金銭だけでなく、心理的な援助ができるかどうかも問われることを知らなかった。したくもないし、する気もないし、できない。と書いて、封をして返送した。郵便切手を貼るのさえ惜しいと思ったが、人間でありたくてきちんと貼った。

すこしあれこれ落ち着いて、時間が経ってようやく父との思い出をふつふつ思い返すなどしている。無口な父とは思い出が数少ないけれども、嫌な記憶といい記憶バランスよく思い返されている。

包括支援センターの職員である第三者から見て、母の人柄は「妄想がすごい」という一言でまとめられた。
私の心が軽くなる。

私の相続放棄が受理された。朝起きた時に訪れる猛烈な不安感は消えていくだろうか。

土日祝日は役所が動かないぶん、連絡もないだろうと思えて心が安らか。平日が来る前はずしんと体が重くなる。
なるようにしかならないんだけどな。

母からの、母関連の連絡がない間は心健やかでいられる。

もう金銭面も体力も心も限界だと感じ、時間を区切り、返事がなければ全てを自分で手続きしてもらうようにした。そもそも親交を絶っていたのだからそうあるべきだったんだ。私はなぜ電話を受けてわざわざ死後の対応をしに行ったのか。母も自分も嫌いだ。

家の外の塀を作れだとか、携帯電話は数社持ってなきゃ不安だとか。自分大好きモンスターかよ。
包括支援センターや介護ヘルパーさんも、休日に利用者から連絡があったりしてキツいだろうな…相手が言ってわかる人間じゃないからな…

母と接触すればするほど、自分のことがどんどん嫌いになっていく。せっかく距離置いたのに。

「車を手放すのも嫌(乗れないのに)。家を離れるのも嫌。施設に移るのも嫌。生活保護受けるのも嫌。お金がない。」
…私はいったいどうしたら良いのでしょうか。

私が仕事に就くまで「生活するお金払ってるのは誰だ、言うことを聞けないのか」と言われて育てられた。早く家を出て仕事して自分で生きたいと思った由縁はこれ。今なお、あの頃払ったお金で縛りつけようとするのマジで勘弁。

母は父の愚痴を言いながらも、娘の私にお供えをして欲しかったと文句を言う。考えはしたけど、物が溢れたあのゴミ屋敷でお供えをする気持ちにはなれなかった。
母の気持ちは関係ない。私は父に対しできることをしたし、弔ったつもりだ。周りが見えていない母が大嫌い。

母と話す時は敬語で距離を詰められないように、少しの嫌味を含ませながら、それ以外は事務的に言葉を返すようにしている。父が死んだ時は多少の優しさを持って接していたが、母と直接会いその気持ちが消えた。母と接触すると怒りと拒否反応でリアルに震える。
私の健康と、私の今の家を守らなければ。