水瀬紫音

定性的な観察

水瀬紫音

定性的な観察

最近の記事

死、或いは、始。

4月、所謂別れと出会いの月。偶々4月に生まれたので、名実共に、毎年私はこの頃に私と別れ、私と出会うのである。18の私はどのような人間だっただろうか。私は既に、彼のことが思い出せない。いや、一切の社会性を持たない上に、この少子化時代に大学に入ることすら叶わないような大馬鹿者のことを、思い出したくないだけかもしれない。こうして、単に自己の努力不足により、浪人することとなった。19歳、無職である。 浪人生活は楽しかった、という話を聞いたことがあるかもしれないが、無論あれは生存者バ

    • 夢、始まった。

      東京に真っ当に来るのは4回目だ。内3回は模試を受けに来ているので、そろそろただ遊ぶためだけに……というか、東京に越してきたいところだ。しかし、そんなことばかり云っていられないのが現実である。何せ今回の東京遠征は『東大実戦』のためだ。所謂“負けイベ”であるため、正直期待していなかったが、それでもあそこまで徹底的に私を打ちのめすこともないではないか。所詮私には学力など無くて、下らない文章を無限生成する程度の能力しかないことを改めて実感させられ、憂鬱に……なる前に秋葉原に行くことに

      • “時の洗礼”

        タイトルの言葉は便利だからよく使うが、私は村上春樹の著作を1冊も読んだことがない。怠惰が最も大きな原因だろうが、端的に云って文体があまり好きではない。しかし大学生になったら読む。きっと。 『タコピーの原罪』という漫画に関する記事が流れてきて、ふと思ったのだ。 最近の読物は流星のようだ、と。 人の記憶は時が経てば薄れていくのは自然なことである。極端な話だが、今日街の人々の話題に石原慎太郎の『太陽の季節』が上がることは殆どないだろう。 しかしながら、皆『太陽の季節』という名前は

        • 声優観

          “オタク”という言葉を軽率に使ってしまえば、私はかつて紛れもなく“声優オタク”や“アニメ・ゲームキャラオタク”であった。その界隈からは離れて久しいが、幾らか思うところがある。 近年、声優という職業は大いに注目されるようになっていると思う。敢えて失礼な云い回しをすると“オタクのピエロ”であった声優を、今やテレビで観ることも多々ある、らしい。私はテレビもネットももうあまり観ていない。 しかし、これでは注目の度合いが上がったというだけで注目されるようになった理由がわからない。そも

        死、或いは、始。