水瀬紫音

定性的な観察

水瀬紫音

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最近の記事

春過ぎて夏来にけらし浪人の

イオン=アントネスク元帥の処刑動画をやたらと観ていた時期がある。“初カキコ”的な虚栄心ではなくて、どれほど強い人間も死ぬ時は呆気ないらしい、という安堵を得られたからだった。アントネスクでああなのだから、私など、尚更だろう。 さて、今月はどうだっただろうか。浪人してから初めての冠模試があった。結果はD判定。去年はE判定しか見られなかったことを考えると進歩と捉えてもよいかもしれないが、「浪人生の模試は2ランクダウンで考えるべき」という定説に当てはめるとF判定ということになる。加

    • 五月記(さつき)

      5月、新生活にも慣れてきたと見え、気力が極大点を通りすぎる時期。他人はどうなのだろうか。私はそもそもやる気などというものに頼って生きていないので、よくわからない。多分、そこに依存していたらとっくに死んでいる。 怠惰であろうと勤勉であろうと、何でも良い。受験は、合格した人間だけが正義なのだ。数字を出した人間だけが偉い。そういうものだ。その意味で私はまだ下層に留まらざるを得ない。まだ?来年もこうかもしれない。文転してしまったから、また受験に失敗すると、よくわからない髪色の、よく

      • 死、或いは、始。

        4月、所謂別れと出会いの月。偶々4月に生まれたので、名実共に、毎年私はこの頃に私と別れ、私と出会うのである。18の私はどのような人間だっただろうか。私は既に、彼のことが思い出せない。いや、一切の社会性を持たない上に、この少子化時代に大学に入ることすら叶わないような大馬鹿者のことを、思い出したくないだけかもしれない。こうして、単に自己の努力不足により、浪人することとなった。19歳、無職である。 浪人生活は楽しかった、という話を聞いたことがあるかもしれないが、無論あれは生存者バ

        • 夢、始まった。

          東京に真っ当に来るのは4回目だ。内3回は模試を受けに来ているので、そろそろただ遊ぶためだけに……というか、東京に越してきたいところだ。しかし、そんなことばかり云っていられないのが現実である。何せ今回の東京遠征は『東大実戦』のためだ。所謂“負けイベ”であるため、正直期待していなかったが、それでもあそこまで徹底的に私を打ちのめすこともないではないか。所詮私には学力など無くて、下らない文章を無限生成する程度の能力しかないことを改めて実感させられ、憂鬱に……なる前に秋葉原に行くことに

        春過ぎて夏来にけらし浪人の

          “時の洗礼”

          タイトルの言葉は便利だからよく使うが、私は村上春樹の著作を1冊も読んだことがない。怠惰が最も大きな原因だろうが、端的に云って文体があまり好きではない。しかし大学生になったら読む。きっと。 『タコピーの原罪』という漫画に関する記事が流れてきて、ふと思ったのだ。 最近の読物は流星のようだ、と。 人の記憶は時が経てば薄れていくのは自然なことである。極端な話だが、今日街の人々の話題に石原慎太郎の『太陽の季節』が上がることは殆どないだろう。 しかしながら、皆『太陽の季節』という名前は

          “時の洗礼”

          声優観

          “オタク”という言葉を軽率に使ってしまえば、私はかつて紛れもなく“声優オタク”や“アニメ・ゲームキャラオタク”であった。その界隈からは離れて久しいが、幾らか思うところがある。 近年、声優という職業は大いに注目されるようになっていると思う。敢えて失礼な云い回しをすると“オタクのピエロ”であった声優を、今やテレビで観ることも多々ある、らしい。私はテレビもネットももうあまり観ていない。 しかし、これでは注目の度合いが上がったというだけで注目されるようになった理由がわからない。そも