人生リセットスイッチは要らないけれど、人生ストップスイッチは何度も押したい。
SMAPの「はじまりのうた」という曲にこんな一節がある。
母親の影響もあって、物心ついた時からSMAPの曲ばかり聴いてきた。
それなりにミーハーなのでお気に入りの曲は山程あるけれど、長い人生を通してふとしたタイミングで頭の中に流れてくる曲というのは限られてくるだろう。
自分にとってはSMAPが歌う数々の曲が、おそらく人生の節々で自然と思い出される曲になると思っている。
そして「はじまりの歌」も、不意に脳内で再生される曲の一つだ。
軽快でアップテンポな曲調で「人生大変なこともあるけれど、頑張っていこうよ♫」と前向きに励ましてくれる人生応援ソングだ。
なんともSMAPらしい。
小学生の頃から大好きな曲であり、当時は単純に「良い曲だな〜」と聞いていた。
まあ小学生だからそんな感性で十分だろう。
ただ、21歳の私には、このフレーズが妙に突き刺さるのだ。
「ちょっと待ってよ ストップ」
なんて人生じゃできない
毎日が意味を持つ
んー、胸が痛い。
こんなにも陽気に軽快に歌われると、尚更。
そう、今の私は、
「ちょっと待って、一旦人生サボらせて」
「そんな毎日毎日、意味を持たせていたら疲れちゃうよ」
と、もう一人の自分に言い聞かせて許可を取るかのように、堕落した日々を過ごしている。
ここ1〜2年、心身共に健康という日の方が少ない。健康である日の方が珍しい。
自分で言うのもなんだが、おそらく周りの目には「優等生でしっかり者」と映るようなタイプであった分、以前の勤勉な性格からは想像できないほど段々と腐っていく怠惰な自分に対して自分が一番驚く日々である。
仕方がないので、現在の自分はこういう体質なんだということを受け止め、私は1ヶ月に1回、数日に渡る「人生を一旦やめる期間」を設けている。
設けている、という言い方は不相応か。
自然と訪れるのだ。
その期間は、体調的に、外に出てコミュニケーションを取る予定を遂行できる自信がないため、とりあえず家でゆったりとした時間を過ごす。
予定を詰め込まないように前の自分が気をつけてくれていること、そして大学生という贅沢な身分であることに感謝しながら、「極力何もしない」を遂行する。
食事・睡眠以外に、何をしているのか自分でもよく分からない。
ほどほどに読書などをしているのだろうか。
疲れないような内容の動画を適当に見たりもする。
あまり感情や気力を使わないように1日を過ごす。
まるで「今、自分は社会に居ません」という顔をして、自分は社会から断絶された存在として生きるのもなかなか面白いものである、
なんて仙人みたいなことを思う。
そんな数日に及ぶ「充電期間」を経たら、ある程度は体力と気力が回復してくる場合が多い。
そして、私はまた「人間」としての形を取り戻していく。
このような生活を送っていると、人生ストップスイッチを何度も押しているような気分になる。
そして、このスイッチはどんな人にも押す権利があると思う。
むしろ積極的に推奨されるべきだ。
人生ストップしたい期間は数日に留まらず、数ヶ月、1年、2年、3年…それ以上だってあり得る。
ちなみに一昨年は、半年以上もの間人生ストップスイッチを押したままのような生活だった。
休学、休職、無職、引きこもり、何でも良いが、世間から見れば「空白」とされるような期間があっても、この人生ストップスイッチを一旦押すことによってまた生きていけるのであれば、何度でも、何ヶ月、何年でも押したままにすれば良い。
押させてくれ。
ただ、人生リセットスイッチは押さないと覚悟しているし、そもそも、押せないと承知している。
ドラマ「カルテット」にて高橋一生演じる家森さんが言う、かの有名な台詞だ。
自分の現状の不甲斐なさについて、どれだけ思い詰めたとしても、こんな自分にも人生の節々で大切な出会いがあったことは忘れられない。
それは、人でも、物でも。
人生の節々で「あの時は頑張れていた」と、自分を肯定的に捉えられるような形跡が幾つかはある。
自分の未来ではなく過去に希望を持つのは許されないのか。
人生リセットしない代わりに、それくらいは許されたいものだ。
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