論文メモ 丹波村落と神社祭祀 : ミヤノトウとカブをめぐる民俗構造論序説

八木透による論文。

問題設設定

丹波地域には、ミヤノトウ(宮の当)あるいはキョウノトウ(経の当)などとよばれる当屋祭祀が見られる。

ミヤノトウとは、一年間の神社祭祀の世話をする者を指す。また、年末あるいは年始の当役の交代儀礼をも意味する。ミヤノトウは、通例では村人が毎年交代で勤め、その順序は年齢もしくは氏子入りの順に廻る。ミヤノトウを勤めることは、村人にとってハレ舞台であり、村落の構成員として生涯を全うするための通過儀礼であるともいえる。

丹波地域にはカブと称する同族集団が顕著であり、神社祭祀においてもカブによって営まれている例が見られる。丹波地域の神社祭祀にカブが大きな影響を与えていることは確かであるが、これまで、ミヤノトウの分布とその内容、およびカブと神社祭祀の関連に関してはほとんど明らかにされていない。

要約

  • 船井郡日吉町天若・中地区

    • 当該地域では、ミヤノトウの制度が各集落ごとに見られる。各村落では、ミヤノトウを勤めることが正式な村落構成員になるための重要な条件とされていた。

    • 各村落では、特に伊勢講に加入することが村人たちにとって重要な意味を持つ。

    • 各集落には、カブと称する集団が存在し、様々な面において人々の社会生活を規定している。多い場合には七戸少ない、場合には二戸の同姓の家によって構成され、それぞれ本家をオモヤ、分家をインキョと呼び合う一種の同族集団として捉えられる。

    • ミヤノトウは村人にとって一生に一度のハレの勤めとして意識されていた。

    • ミヤノトウはそれぞれ年長者より順次年の若い者に廻る形態がとられ、毎年一月一五日に交替する。

    • ミヤノトウはすべて氏子総代の命令にしたがって使い走りから種々の雑用まで一切を行うことが要求され、一年間多忙な日々を送る。

    • ミヤノトウを勤め始めてから身内の不幸があると、すぐに他の者に引き継いで、翌年一からやり直さねばならない。

    • 当該村落において村入りを済ませた者とそうでない者、ミヤノトウを勤めた者とそうでない者とは明確に区別されている。イレトウ(村入りの儀礼)を経ることが村落構成員になるための第一次的通過儀礼であり、ミヤノトウを勤めることが第二次的通過儀礼とでもいうべき性格を有していたと言える。

    • 他所者や次男以下の者は、村入りは許可されてもミヤノトウを勤めることは生涯許されなかった。

    • ミヤノトウを勤める権利の有無は、伊勢講に加入しているか否かが重要な条件とされていた。そして伊勢講の基本的単位はカブであったと考えられる。

    • 当該地域の各村落は、伊勢講による結合とカブ結合が複雑に絡み合っている。調査時点では後者に比べて前者がより重視されていたように思われる。これは、かつてカブ結合の機能がそのまま伊勢講という講集団の結合へ移行したためではないか。

  • 亀岡市川関

    • 当該地域には八木姓の者以外に、小西姓と西村姓の者も住んでいたがある時期を境に八木姓の者が村を独占するようになり、祭祀組織の権利も八木一族のものとされるようになった。川関のミヤノトウは、今日でこそ村内で平等に廻されているが、かつては八木姓の者、八木カブの者にだけ与えられた特権でもあった。

    • 今日の川関では、カブの紐帯はさほど強固ではない。それは今日存在するカブが後に一族で細分化された新しいカブだからないだろうか。

    • 川関で昭和三〇年代に宮座の開放が行われたのは、村落を独占することができた八木一族が、氏神の祭祀権に固執する必然性がなくなったからからではないかと考えられる。

    • たとえば亀岡市馬路町や大井町などでは、村人の氏神祭祀への結集性は弱く、依然としてカブを単位とした紐帯が存続している。

    • 川関も本来は馬路などと同質の村落構造を有していたのだろうが、八木一族が他姓の者たちを排除した結果カブの結合は薄れたと思われる。しかし馬路などでは古くから複数のカブが混在しながら村落運営がなされてきており、現在でもカブを単位とした結合が残されている。

  • ミヤノトウの分布圏の中でこれまで調査されてきたわずかな地域にはカブ結合が顕著にみられる。ミヤノトウは、各家が独立し同等の立場で当屋を廻す当屋制とは異なり、元来カブを基盤とした特異な当屋祭祀の形態であったのではないか。

  • 丹波の神社祭祀においては、家々の結集がカブに求められ、また、祭祀集団もカブを基盤として展開してきた。

  • そして、亀岡市馬路町などの例外を除いて、丹波村落では、時代とともにカブ結合の必然性が薄れ、カブを基盤とした家々の格を主張するための別のシステムが必要となった。それが伊勢講であったのではないか。




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