論文メモ アヂシキタカヒコネノカミはなぜ”大御神”なのか

秋田巌による論文。

問題設定

『古事記』において大御神の尊称が付与されている神は二柱しかいない。天照大御神と阿遅志貴日子根神である。天照とアヂシキタカヒコネノカミでは格が違いすぎ、アヂシキタカヒコネノカミが大御神とされるのは不思議なことである。しかし<1997年出版の神話辞典(大林太良、吉田敦彦監修『日本神話辞典』)にも記述があるように、その理由は分かっていない。
1997年以降の研究や、それ以前の研究についても渉猟が必要であり、今のところ大御神とされる根拠が示された文献を見出せていない。ただしそれも未完であるが、まずは速報として発表させていただく。

要約

  • 「大御神」ではなく「大神」なら他にも多数いるが、「御」の字のあるなしは大きい。伊勢神宮遷宮の際の「御霊移りの儀式」において運ばれるモノは「御(ぎょ)」と呼ばれる神体である。

  • 高天原に復命しなかったためにタカミムスヒの矢を受けて絶命したアメワカヒコの葬儀に際して弔問に訪れたのが、アメノワカヒコの妻であるシタテルヒメの兄であり、アメワカヒコに瓜二つなアヂシキタカヒコネノカミである。シタテルヒメやアメノワカヒコの父であるアマツクニタマはアヂシキタカヒコネノカミを見て「アメノワカヒコが生き返った」と勘違いして大喜びするが、死人と間違われたために激憤したアヂシキタカヒコネノカミは剣を抜き喪屋を蹴飛ばして暴れ、飛び去ってしまう。

  • 『出雲国風土記』にも記述がある。高岸の郷の項ではアヂシキタカヒコネノカミが昼となく夜となくひどく泣いたため、高床の建物を造ってその梯子を上り下りさせたという。三津の郷の話では、ひげが長くのびるほどになっても泣き続け、言葉も発しなかった。船に乗せて八十島をめぐっても泣き止まず、結局夢のお告げのなかで、御津の水で体を清めた。

  • 松前健、山上伊豆母、中西進、西郷信綱、吉井巌等多数の研究者が、アメノワカヒコとアヂシキタカヒコネノカミを同一神とする見方(アメノワカヒコが死にアヂシキタカヒコネノカミとして復活したとする説も含めて)を論じている。

  • 「物言わぬ子」の話としては『古事記』にホムチワケの説話がある。ホムチワケは父である垂仁天皇と母である沙本毗売が殺しあったためその業を背負わされて言葉を発しなかった。同様に、アヂシキタカヒコネノカミは”アメノワカヒコの時に”矢で射殺されたために、泣き続けたのではないか。

  • そして、大暴れをし、ひげが伸びても泣き叫ぶ神、とくればスサノヲが想起される。スサノヲも生まれたときから泣き叫び、「母」を求めて母の国へ行きたがる。ホムチワケやアヂシキタカヒコネノカミと同様、スサノヲも余程のことを背負っていたのではないか。

  • 服部中庸という江戸時代の学者が、ツクヨミ・スサノヲ同一神説を提出しているが、もし、アマテラスがツクヨミを「無化」し、ツクヨミがスサノヲとして復活したとすれば、アマテラスがスサノヲの高天原での狼藉を許さざるを得なかったのも頷ける。

  • アマテラス=最高神のこの所業が表立って語られていなくても不思議はない。この秘儀が、アマテラスとつながりの深いタカミムスヒの矢に殺されたアメワカヒコとその転生としてのアヂシキタカヒコネノカミの項で少しだけ分かりやすく語り直された、と考えることは不可能ではない。

  • アマテラスとアヂシキタカヒコネノカミでは格が違いすぎる。アマテラス以外に大御神がいるとすれば、最も同格に近い神はスサノヲである。

感想

アヂシキタカヒコネノカミとスサノヲの間には、泣き叫び大暴れしたりする話だけではなく、例えば農耕神であるとされるところなど共通点がある。とすれば、たしかにアヂシキタカヒコネノカミ大御神と呼ばれる根拠の考察として面白いか。とはいえ、推測・仮説の域を出ない部分も未だ多い。

アマテラスがツクヨミを「無化」したとはどういったことを指すのだろうか。アマテラスによってそれがなされた、ということを示す文献はあるのだろうか。

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