論文メモ 存在論的反転としての股のぞき (2021)

廣田龍平による論文。

問題設定

「身体技法」、なかでも一見して生理的な意味を持たない身体技法である「しぐさ」は、言語以外での文化分析を補完する物として位置付けることができ、言語とは別の行為、暴力や儀礼などの代替手段として実行される。本稿では身体技法のひとつ「股のぞき」を取り上げる。
股のぞきは断った状態で脚を大きく横に開き、腰を曲げて頭を両脚のあいだに下ろして後ろを見るという行為である。こうしたしぐさによって風景が変わって見えたり、普通とは異なるものが見えたりする。
「股のぞき」の事例および分析は、すでに常光徹がまとめている。常光によれば、股のぞきはいずれも「異界を覗き見るしぐさ」であるという。しかし、何がどのように見えることが異界を見ることになるのかについては明確でない。股のぞきを実行することが何を引き起こすのかを考えてみたい。

メモ

  • 常光は股のぞき(または袖のぞき)が「異界を覗き見るしぐさ」であるとまとめる。しかし、事例を見てみると、本当に見えているものが「異界」なのか疑わしくなるものがいくつかあることに気づく。

  • 国内の事例では、(どこか不自然だが)正常なものが以上に見えるパターンと、異常なものが正常に見えるパターンがある。常光などが指摘する股のぞきの機能は前者。しかし大入道など異常なものを股のぞきをするとキツネやオオカミが現れたとすれば、それは異常なものではなく通常の姿である。

  • 怪しい船を股のぞきして見ると、船幽霊だと分かるという事例では、一見正常なものが異常に見えるパターンであるように思われるが、船幽霊は異常な存在なのだから、それが正常に見えている状態は異常である。つまり股のぞきをすると異常なものを異常なものとして見るという、正常なものの見方が回復できているということになる。人間に化けた狐狸の正体を暴く股のぞきも同様で、キツネが人間に見えているのは異常で、股のぞきをすれば正常な見え方に近づく。つまり、常光の言うように異界が見えているのではなく、現世が見えている。

  • 股のぞきによって現世が見えるということは、股のぞきをする人間が異界に属することになってしまう。しかし、これは決して異常な推論ではない。南米アマゾニアや北米北部などの狩猟採集民族で知られているパースペクティズム的な存在論を前提とするならば、異類が正常な姿で現れるのは、それを見ている主体がすでに人間ではなくなっていることを示唆している。化かされて(=パースペクティヴを変調させられて)異類側になっているということである。

  • したがって、こうした状態に抗して、元のパースペクティヴを取り戻すための手段が股のぞきであると考えられる。股のぞきは「異界が見える」こともあるが、ある条件下では「現世に戻る」技法だと言える。

感想

面白い。著者の言う「民俗社会の存在論」がここにも現れているのがよく分かる。

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