論文メモ 現代における橋の怪異と地域社会に関する一考察 ―人口流出にともなう「心霊スポット」の発生― (『熊本大学社会文化研究』17 別刷 2019)

福西大輔による論文。

問題設定

古来より橋は怪異が起きやすいところだとされてきた。現代でも橋は「心霊スポット」として知られている。橋は異界の接点である、というような解釈は民俗学において橋の怪異譚を分析する際の定説的なものとして利用されている。しかし、土居治は民俗学は現代の怪異譚について、「メディアによる操作に留意しつつも」、前近代との接点、つまり「悠久の過去から連綿と継続する心性」を見出す傾向にあるが、「メディアの変容を経た現代においては、過去から蓄積された情報の再編集、との視角から検討が重要」であるとする。こうした見解をふまえ、現代の橋の怪異について改めて検討する。事例としては「阿蘇の赤橋」を取り上げ、現代社会における「心霊スポット」と呼ばれる場所の意味を考える。

メモ

  • 阿蘇大橋は熊本県阿蘇郡南阿蘇村立野と南阿蘇村河陽字黒川の、黒川という川を跨ぐところにあった。明治46年(1971)に開通し、橋に塗られた色から「赤橋」とも呼ばれた。1980年代に入ると「心霊スポット」として知られるようになり、多くの自殺志願者が訪れた。平成28年(2016)4月16日の熊本地震により崩落。

  • この場所は阿蘇神話の舞台でもある。

  • この場所は藩政時代、熊本から阿蘇の南郷谷を通り豊後竹田に至る重要な道路である南郷往還の要所でもあった。

  • この場所は、橋が架かる前は風光明媚な温泉地として、栃木温泉や戸下温泉が知られていた。

  • インターネット上で語られている怪異譚「阿蘇の赤橋」の中から6つを取り上げ分析した。

    • これまでの民俗学的解釈では、阿蘇の大橋は阿蘇神話の世界と俗世を繋ぐ橋と認識され、「阿蘇の赤橋」のような怪異譚が生まれたことになる。しかし、戸下温泉などを通る南郷谷の登山ルートは近代になって生み出されたものであり、阿蘇大橋も近代にできたものである。怪異譚の伝承者の中心が若者たちであることもふまえ、「悠久の過去から連綿と継続する心性」が、「阿蘇の赤橋」の怪異譚を生み出したとは考えにくい。

    • 「阿蘇の赤橋」の怪異譚には、阿蘇山への信仰に関わる側面が見られない。

    • 語り手や心霊体験をする者の多くが若者である。

    • 語られる幽霊は具体性が乏しく、匿名性が高い。

    • 橋そのもので怪異に遭うケースは少ない。それどころか、橋よりも周辺の廃墟に怪異の原因を求める話もある。

  • 阿蘇大橋の辺りにある「戸下の七曲り」と呼ばれる道を下っていくと戸下温泉と呼ばれる温泉街があった。戸下温泉は明治16年に開かれて以降、しばらく業績は順調だった。

  • しかし、明治45年に阿蘇大橋ができたことにより、交通網の開通により都市が発展したり衰退したりするいわゆる「ストロー効果」が起こり、戸下温泉などを急激に寂れさせた。

  • 阿蘇大橋が架かり交通機関が整備されることで、経路上の通過地点として「孤立化」し、経済的に都市部と近づき影響をうけることで「周縁化」した結果戸下温泉は廃れたと言える。

  • 新しい橋が出来ることによってそれまで栄えていた場所の人通りが減り、最後には廃墟だけが残るという動きに不安をを感じた結果、人々は怪異を見るのではないかと考える。

  • また、「阿蘇の赤橋」の怪異は現実社会にも影響を与え、阿蘇大橋での自殺者を増加させた。この自殺者の増大が、新たな怪異の要素となる循環を生み出していた。

  • こうしたことをふまえて、現代の怪異譚は過去とのつながりを見出す従来の民俗学的な分析だけでなく、地方における現代社会の様々な課題まで含めた考察が求められると言える。

  • また、地方において「心霊スポット」は、地域社会の危機を示す一つの目印として働いているのではないか。

感想

橋があるところが周縁とされるのではなく、橋が架けられることによって中央が生まれたり中央と接続されることで、周縁化する、と言ったところか。同じことか?

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