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不耕起水田における生物多様性の実現とその体験・理解

1 はじめに

 環境省のレッドデータブックの絶滅危惧種Ⅱ類にメダカが記載され、メダカがにわかに世論の注目を集め、メダカを絶滅から救うための「メダカの学校」運動が日本の各地で取り組まれるようになった。メダカに限らず絶滅を危惧される生物種の多くは水田を繁殖の場所としている。最近特に日本の場合に、水田は治水工事によって失われた「氾濫原の水たまり」に変わる一時的水域の代替的湿地として、多くの水辺の生物に生活と繁殖の場所を提供している機能が注目されてきている。

 水田の「多面的機能」を伝えられる一方、農薬・化学肥料の多投、大型機械による多くのエネルギー消費が問題にされている。それにも増して圃場整備による水田と排水路との落差高が、生物種に対し多くの負荷を与え、また水質汚濁を招いていると見られるようになった。水田を総合的に見れば、この「多面的機能」に疑問を覚えずにはいられない。この論文では、この点に若干の考察を加えてみたい。

 時を同じくして、水田を一切耕さずに稲作を行う不耕起稲作の技術が、農業の省力化の最も近道であると注目を集めるようになる。1998年の冷害において、東北地方の不耕起水田ではその被害を免れ、耐冷害性能(温暖化も含めた耐異常気象性能)から不耕起稲作技術の普及に拍車をかけた。私がこの稲作技術に注目しているのは、不耕起水田がかつての水田生態系をほぼ回復しているという点にある。これは、農業にとっては付加的産物であったが、食に安全を求める消費者の声から、環境保全型稲作への近道として評価を受けるように変わってきている。佐渡島では朱鷺を自然に放つための餌場として、冬期湛水された不耕起水田が期待され、また全国的にも、渡り鳥の羽休めの場として不耕起水田が増えてきている。

 以前から農業体験や勤労体験として、「田植え」や「稲刈り」に取り組む学校があったが、「メダカの学校」運動をきっかけに、水田の「多面的機能」に着目した「田んぼの学校」運動が様々な市民団体によって取り組まれるようになり、1998年に農村環境整備センター(社団法人)に「田んぼの学校」研究会が設置された。これは、文部、農水、国土3省庁の連携で始まったものである。滋賀県でも、2002年に「田んぼの学校」推進事業が3年計画でスタートした。しかし、現場の小学校では「田んぼの学校」を農業体験として捉えがちで、サポーターである地域の指導者には環境教育の視点をもたないケースが多い。まして、慣行の稲作では環境に負荷を与えるばかりで、環境教育の教材にはなり得ない。私は、不耕起稲作による「田んぼの学校」の実践を取り上げ、「田んぼの学校」における不耕起稲作の有効性について考察を加えたい。

2 「田んぼの学校」のこれまでの経緯

2-1 「田んぼの学校」の前身

農業の近代化に疑問を感じる人たち、絶滅を危惧される生き物たちを憂う人たち、生産者と消費者・都市と農村・大人と子どもたち・学校と地域の人たちとのつながりの回復を望む人たち、田んぼに癒しを求める人たちによる、田んぼを中心にすえた多くの営みが行われてきた。

これらの営みは、1998年「田んぼの学校」研究会が発足してから「田んぼの学校」と言われるものである。そのような「田んぼの学校」以前の営みには、必ずしもはっきりとした目的をもたないことが多いが、結果として農業体験・自然体験・勤労体験・交流・癒しなど多くの成果をもたらすことで注目を集めるようになった。環境問題が重要視されるにつれ、表2-1-1に示すように「田んぼの学校」は目的が明確になり、発展してきている。

宇根豊著:「田んぼの学校」入学編より

2-2 「田んぼの学校」支援事業とその目的

「田んぼの学校」事業は、文部、農水、国土3省庁が1998年、有識者を集めて設置した「田んぼの学校」研究会の提唱で始まった。豊かな自然と独自の文化を持つ農村の「多面的機能」を、教育に生かそうというのが狙いである。子どもたちが触れ合う機会が少なくなった田んぼや水路、ため池、里山などを遊びと学びの場に活用する環境教育「田んぼの学校」が、注目を集めた(図2-2-1)。農水省の関連団体農村環境整備センターでは、農家や行政関係者、教師の中からその指導者を養成するための研修を行っている。

農家にとっては、自分たちの持つ知識が子どもたちの教育に生かせる上、都市住民とつながりも持てる。一方、子どもたちに環境教育として農村生活を体験させたいと考える親も多くなっており、その両方の需要を結びつける仕掛けが「田んぼの学校」である。同センターの1998年度の調査によると、田んぼを使った学習活動の場は全国に約1500ヶ所あり、徐々に広がっているという。特に近年活動を始めた「田んぼの学校」はこの流れをくむものが多く、「田んぼや水路、ため池、里山などを遊びと学びの場に活用する環境教育」がその目的に掲げられている。

農村環境整備センターのHPより

同センターの「田んぼの学校」に関わる事業は、指導者養成研修、支援事業(助成金制度)、企画コンテスト、田んぼの生き物調査(環境省・農水省の連携)などである。基本は農業の多面的機能の高揚にあるが、そのための環境教育に力を入れている。

2-3 しが5つの教科書と「田んぼの学校」推進事業

「田んぼの学校」研究会の流れをくむ「田んぼの学校」と、その以前から取り組まれた自然発生的に存在した「田んぼの学校」があるが、共通して言えることは農業体験がその第一のねらいではないということである。

滋賀県が推進事業(2002年度から3年計画)として取り組んでいる「田んぼの学校」は、滋賀県における体験的学習として提起されている「しが5つの教科書」(田んぼ、人、湖・森、まち、文化)の「田んぼ」の中にある。他府県の多くが目的に掲げている「田んぼや水路、ため池、里山などを遊びと学びの場に活用する環境教育」という表現は、ここには見られない。農政課の環境部が直接の担当であるが、意図しているところにずれがあると私は考えている。農業体験を目的としているがそれ以上も以下もなく、「田んぼの学校」研究会の提唱が組み入れられていないのが残念である。体験型環境学習として提起されているのは「湖・森」である。小学校5年生の社会科の教科書でも、これらとよく似た扱い方がされており、農業は食糧問題として、林業は環境問題として扱われている。農業の多面的機能は、どこにも表現されていない。

【資料】
滋賀県平成14年度重要施策大綱より
「子どもの世紀」を実現するための社会環境づくり
2 子どもが夢を持ってのびのびと心豊かに育っていける社会環境づくり
子ども一人ひとりの持つ個性や能力が活かされ、子ども自身が生き生きと育つことができる社会の実現をめざし、学校教育をはじめ、子どもの健全育成のための各種の取組を推進します。
特に、体験学習の仕組として、滋賀の子どもたちの体験プログラム「しが5つの教科書」を策定し、豊かな自然環境や社会的環境をフィールドとして、学校や家庭、企業および地域団体・NPO等がそれぞれ役割を担いながら、社会全体で支える仕組のもと体系的・重点的に実施します。
(1)体験的な学習や活動等の推進
東近江・水のふるさとまるごと体験事業/学校ミニビオトープ整備事業/こども環境特派員事業/「淡海のムッレ教室」実施事業/クライミング全国大会の開催/青少年技術体験事業/ものづくり体験教室の開催/田んぼの学校推進事業/ふれあい瞳かがやく体験事業:幼児と児童の異年齢ふれあい体験事業、菜の花で「うみのこ」を動かそう事業、農業体験パイロット事業、中学生宿泊オリエンテーション事業、生徒参加型芸術鑑賞推進事業、豊かな体験活動推進事業/高校生・自分さがし体験事業/学童・生徒の福祉ボランティア活動普及等事業/「心の冒険」推進事業/子どもの読書活動推進事業/放課後子どもスポーツ活動活性化事業/「いきいきびわっ子」推進事業/少年柔剣道育成活動の推進

しが5つの教科書 ~地域を学習の場に~

【資料】
「田んぼの学校推進事業」の概要(県政eしんぶん2002/7/31より)
平成14年度「田んぼの学校推進事業」の実施校について
~田んぼで学ぼう~
今年度より、県教育委員会の「農業体験パイロット事業」と連携して、3年計画で県内全ての小学校を対象に農業体験の機会を提供する「田んぼの学校推進事業」を実施しています。たいへん遅くなりましたが、下記のとおり、今年度の事業実施校が確定しましたのでお知らせします。
なお、当事業の目的・概要も下記のとおりです。
     記
1 事業実施校
  別紙一覧のとおりで、合計50校
  水稲、水稲を中心に野菜・花を栽培
2 目的
小学生に、自らが「作り」「育て」「収穫し」「食べる」という一貫した農業体験学習の場を提供することにより、農業への興味や関心を高めるとともに、生命や食べ物の大切さを学んでもらいます。
3 事業の概要
(1)市町村推進会議の開催
市町村の農政部局、教育委員会および当該地域を管轄する農業協同組合等が連携を図り、事業の推進方策の検討、農地の確保、部局間の情報交換等を行うための推進会議を設置します。
(2)田んぼの学校の実施
子どもたちが、水や土に直接に触れ、農作物を育てることを体験し、生命と食べ物の大切さを学べるような、次に示す農業体験学習活動等を実施します。
ア 水稲、野菜、花などの栽培体験
イ 水田や周辺の川などに生息する生き物観察体験
ウ 収穫物を利用して、食べ物の大切さ・おいしさを実感させる収穫祭等の体験
エ 地域の農業者や関係者等からなる「田んぼの学校応援団」の組織化とその構成員と子どもとの交流体験
オ その他、地域で工夫し、実情に応じて実施する体験活動等

3 稲作と生物多様性

多くのカエルは水田のような浅い湿地で産卵する。耕起や代掻きなどの撹乱は多くの生物にダメージを与える。水田の生き物は農事カレンダーに結びついた生育を示し、この撹乱を避けてきたのである。

湿田では、冬期から産卵期に入る両生類がある。これらの両生類の卵は水温が低い時期に発生を始め、田植え前に変態を終えて陸に上がる。同じ時期には、ゲンゴロウモドキなど水生昆虫の幼虫がおり、オタマジャクシを餌に成長し、田植え前に成虫となる。

ミズカマキリ・タイコウチ・ゲンゴロウ・ガムシなどの水生昆虫は5月から6月にため池から姿を消し、秋になると再び池に現れる。これらの昆虫はため池から水田に移動し産卵し、孵化した幼虫が成虫になり、ため池にもどる。両生類のトノサマガエル、ヌマガエルなども田植え後の水田で産卵する。

このように、水田で繁殖する生き物には、伝統的な田植えが始まる時期に産卵・成長を終え水田を出るものと、田植えが終わってから産卵するものとがある。水田における最大の撹乱である耕起と代掻きの時期をうまく避けて繁殖してきたのである。稲作技術が近代化されると、個々の水田の農事カレンダーはともかく、農村環境そのものが生物の多様性を維持できなくなってきている。

3-1 伝統的稲作

日本において栽培としての稲作が行われるようになり、2千数百年になる。鉄製の農具が普及し耕起と代掻きが行われ、これまでの直播きからより効率の高い移植栽培に変容して千年ほどになると言われる。この水田における撹乱により水田の生態系に何らかの変化が起こったかも知れないが、低温に強い北方系の生物種と、高温に強い南方系の生物種がこの撹乱を境に同じ水田で棲み分けを行ってきたのである。伝統的な稲作において、育苗が自然温度に従うものである以上、人が意図的に田植えの時期を早めたり遅らせたりすることはない。自然温度に従う恒常的な農事カレンダーは、千年の間繰り返されてきた。また、耕起・代掻きという水田における撹乱も人力・畜力の及ぶ程度であれば、土壌中の生物種にそれほど大きなダメージとはならなかった。

3-2 稲作の近代化

戦後の食糧(米)増産政策の中で多くの干拓地が出現した。効率と生産性を高めるためのありとあらゆる手法が取り入れられてきた。①化学肥料と農薬、②低温対策の保温資材、③田植え機や大型機械の開発と普及、④圃場整備と水管理がそれである。

化学肥料の普及は、農業の生産性を飛躍的に高め、農薬は除草作業などの労苦から農家を開放した。化学肥料と農薬は、生態系の破壊や水質の汚濁、健康被害の代名詞のように扱われる。それよりも、労苦からの開放は農家の田んぼへの思い入れを軽くし、田んぼを米の生産工場にしてしまう第一歩であったと考える。化学肥料は、その長年にわたる使用で田んぼから地力を奪い、農薬は、草一本ない虫一匹いないそんな田んぼの光景を子どもたちの心に植えつけてしまった。農家は、害虫と益虫の区別を知らないでいる。殺虫剤がすべての虫を殺してしまうので、害虫と益虫の区別を知る必要がなくなった。除草剤がすべての草を枯らせてしまうので、田んぼや畦道に咲く花をいつくしむ心を失ってしまった。子どもたちには、田んぼが近寄りがたいものとなり、遊びの場ではなくなっている。

保温資材の普及で、天候・気候に左右されない人の都合に合わせた農事カレンダーが可能になる。稲の無理な生育による病気には殺菌剤が使用されるようになり、農薬の使用とあわせ水田の微生物をも多様性を奪う結果となった。稲に限らず植物は、その生育において微生物や菌類の働きに助けられている。このことは、化学肥料や農薬の使用をさらに助長させことになる。

田植え機、コンバインが普及し20数年になる。滋賀県における普及は全国一であり、投資のため単位面積の収入は全国最下位にある(「しがの農林水産業」平成13年より)。滋賀県における水田経営の主なスタイルは兼業であり、機械や農薬を多用し休日(田植えはゴールデンウィーク)を中心にした農事カレンダーとなっている。このことで、4月下旬からの10日間でほとんどの水田が一斉に田植えを終える。過剰な代掻きと落水しての無理な田植え作業となり、その濁水が大きな問題となっている。また、この時期の耕起と過剰な代掻きは、北方系の生き物の繁殖に大きなダメージとなる。過剰な代掻きの結果生じるメタンガスの対策のために行われる中干しによって、田植え後の水田に繁殖の場を求めた種が、全滅に近い被害を受けてしまう。

圃場整備の本来の目的は、大区画化による農業経営の大規模化であり、農作業の効率化を図り、農地を少数の専業農家に集中させることにある。滋賀県では、その狙い通りの結果にはなっていない。もう一つの目的は、用排水を分離し、水田と排水路との落差高をとることによる乾田化と、それによる機械の大型化と水田の多用途化(水稲以外の栽培)である。用排水の分離は、水田と水路との水の相互の流れを分断し、水田の栄養分を排水路に流す(表面排水、暗渠排水、浸透水)だけの水の流れに変えてしまい、また水生生物(特に魚類)の移動を阻害し、水田での繁殖ができなくなっている。化学肥料や農薬だけではなく、水田の集合体の構造そのものが生物の多様性をそこない、なお一層化学肥料や農薬に頼らなければならない悪循環を起こしている。

日本の自然環境や特有の生態系を支えてきた水田が、近代化に伴う食糧生産による公益性のみが語られるようになり、お金にはならないが間違いなくかつては水田が生み出していた生命を省みられなくなってしまった。農村の生態系をどうやって守るかということを考えた時、最初になぜ悪くなったかという原因をはっきりさせておく必要がある。私は、農村地域の都市化・混住化、農薬・肥料の多投入、圃場整備によるビオトープの減少、この三つが大きな原因だと考えている。

3-3 不耕起稲作

耕起・代掻きを一切行わない稲作技術を不耕起稲作という。水田の生き物に対するダメージをなくすために行われる技術ではなく、有機栽培への最も近道として注目を集めている正当な稲作技術である。また、耕起・代掻きをはぶく省力が目的ではなく、耕起・代掻きをむしろ積極的に否定しているのである。ここでは、その詳細を述べることは割愛するが、耕起・代掻きを行わない結果として、水田における生物多様性が実現する。

理屈抜きで現実の不耕起水田を見ると植物プランクトン・動物プランクトン・原生動物・藻類・水生昆虫(昆虫の幼虫を含む)・両生類・魚類・爬虫類・両生類・鳥類・哺乳類の多くの種が明らかに不耕起水田の周辺に現れる(資料1)。理屈抜きでというのは、その生物層の豊かさは細かな調査によらずとも体感できる程であるからである。水田における食物連鎖の頂点にある鳥類が不耕起水田に集まるのは、餌が豊富であるという簡単な理由による。

仙台市科学館の調査がある。不耕起水田・合鴨水田・一般水田の田面水の水質のいくつかをモニタリングしたものである。図3-3-1に、3圃場の田面水のpH・溶存酸素の日変化を典型的に表すものを示した。昼間の日照による水中の植物の光合成により溶存酸素が増加し、その後水中の動物の呼吸により溶存酸素が減収する様子が見て取れる。pHの変化は溶存酸素の増減に起因するものであると考える。不耕起水田と一般水田を比較すると、日中の溶存酸素は不耕起水田の方が、日の出前の溶存酸素は一般水田の方が多い。水中の動植物が、不耕起水田の方にはるかに多いことを示す。合鴨水田では、終日溶存酸素が少なく、無いに等しい。一般に合鴨農法は環境にやさしいというイメージがあるが、水田における食物連鎖の頂点である鳥類のみが占有する非常に偏った環境にあると言える。また、水田をビオトープと考える場合、本来そこにいないはずの生き物を意図して入れることは間違いである。

田面水のpHの日変化(2000/6/17)【仙台市科学館】
田面水のDOの日変化(2000/6/17)【仙台市科学館】

他の水田に無く、不耕起水田に目立つのは藻類の繁茂である。アミミドロ・サヤミドロ等の藻類が水田を覆いつくしてしまう。この藻類が大量の酸素を発生し、他の動物の生息を可能にしているものと思われる。藻類・プランクトンを食物連鎖の引き金とし、数10羽のカルガモが定住しヒナをかえしている。私の実験水田は数100m離れた所3ヶ所に分散しているが、それぞれに同じ様子が見られる。他の一般の水田ではなく、明らかに私の実験水田である不耕起水田にだけ見られる現象である。

耕起・代掻きをしなければ、土の中で卵や種子あるいは生体で越冬した多くの生物種がそのまま春を向かえ生育することになる。このことは明らかな事実であるが、水田の周辺のどこにもいない種が水田で増えることは考えにくい。圃場整備の結果、水の循環はたたれているはずである。今まで何所にいたのだろうかというのが、素直な疑問である。例えば、メダカやカイエビ・ホウネンエビなどのいなくなったと思われている種が不耕起水田に突然現れることがある。人の目につかないどこかにいたのか、揚水と共に琵琶湖からやってきたとしか考えようがなく、これは推測の域を出ない。いずれにしても、少数が何所かでひそかに生息している種が、不耕起水田において繁殖するのであろう。

他の稲作技術では落水・湛水・間断潅水の複雑な水管理を行うのに対して、不耕起稲作では、田植えから収穫まで湛水状態を保つ。耕起によって有機質が土中に鋤きこまれないため嫌気的状態が続いてもメタンや硫化水素の発生が少なく、水稲(みずイネ)の本来の親水的な性質を生かした常時湛水が可能になるのである。とりわけ滋賀県では6月中旬ごろに行われる中干しの行程で、水田における生き物の多くが死滅してしまう。代掻きによる濁水の流出がよく問題にされるが、中干しはあまり問題にされていない。農業における生物多様性の理解は、まだまだ先のことである。

農村環境を考えるとき、不耕起水田がビオトープのネットワークを広げてくれる可能性が高いと考えている。近年、不耕起水田の冬期湛水による湿田化により、さらに積極的なビオトープの創出が各地で取り組み始められている。不耕起稲作は稲作を犠牲にしてビオトープを創出するのではなく、生物多様性を稲の生育の味方につけた正当な稲作技術なのである。私は、不耕起稲作がさらに普及することを望んでいる。

4 不耕起稲作による「田んぼの学校」

水田に常時湛水しビオトープ化する取り組みの報告をホームページ上で見受ける。水田の半分を常時湛水のビオトープとし、あと半分に慣行農法による稲作を行う「田んぼの学校」の取り組みがある。ビオトープと稲作を別のものと扱うことは間違いである。稲作を犠牲にしたこの方法は、農家には受け入れにくくむしろ消極的に思われる。

不耕起水田は田んぼそのものがビオトープとなり、ネットワークを構築できる。中山間部における「田んぼの学校」は別として、圃場整備が完了した農村環境の中では、不耕起稲作の他に有効な方法が見当たらない。私は、アイガモやコイ・フナを意図して入れるのではなく、その地域の元来あるがままの生物多様性を体験し学ぶことが大切だと考えている。

4-1 近江八幡市立北里小学校が取り組んだ「田んぼの学校」

多くの学校が、県の推進事業や市町村の農政課、JAなど農業関連団体の応援を受け、学校主導で「田んぼの学校」を実施している。学校主導と言いながら、技術的には応援者主導となり内容の多くを応援者にゆだねているものと推察する。

近江八幡市立北里小学校では、地域の市民団体「メダカの学校」小田分校が主導で企画・運営している「田んぼの学校」に学校が参加するスタイルを取っている。私は、この「メダカの学校」小田分校のスタッフとして、この「田んぼの学校」に参加した。スタイルは「メダカの学校」主導であるが、学校にできないことだけを「メダカの学校」が応援してきた。事前の打ち合わせでは、「田んぼの学校」の本来の目的である環境学習をねらいとし、単に農業体験には終わらせないことを、確認している。また、この農業体験ではない「田んぼ体験」から広がる子どもたちの興味関心を総合の時間に深めてゆくこととなった。「田んぼの学校」は、田んぼだけで行うものではなく、教室での広がりを持たなければ意味がないと考える。

水田は、「メダカの学校」の会員が提供することとなった。30aの水田すべてを不耕起栽培で行い、その内の10aを「田んぼの学校」に用い、北里小学校には0.5aが割り当てられた。児童1人当たりの受け持ちは0.6m×5mとなる。この面積は、農作業のための時間を短くし、水・空気・土・生き物にゆとりをもって触れるためである。また、各自の受け持ちの場所にはネームプレートが立てられた。このため、子どもたちはそれぞれの創意工夫をすることになり、その後の観察への意識を高めることとなった。

稲の品種は、コシヒカリである。両者の打ち合わせが新学期になってからとなるため、苗の提供を受ける時点では選択の余地がなくなってしまう。コシヒカリでは、稲刈りが2学期早々になって事前学習のゆとりがない。田植えや稲刈りの予定が、学校で決められないのは問題が残る。立ち上げの時期と共に今後の課題である。

田植え、田んぼの生き物調べ、田んぼの先生のお話、ヌカまき、田んぼの草調べ、稲刈り、脱穀、籾摺り、わら細工、環境フェアの壁新聞発表、『「田んぼの学校」シンポジウムへの参加』が大まかな取り組み内容である。生き物調べや草調べなど環境学習を意図した時間が用意されたが、不耕起水田の豊かな環境では、あえて意図しなくても子どもたちの感性は多くの発見や探求をもたらしていた。

「土が温かい」「この田んぼは生きている」「この田んぼはにぎやか(何か聞こえる)」など、五感を伴う子どもたちの表現が目立った。「みんな、聞いてみ なんか聞こえる。となりの田んぼは何にも聞こえへんのに。シー」担任教師や私のような大人には気付けないでいたことだ。「いっぱい聞こえる。」これほど「田んぼ」に馴染む表現はない。「頭でっかちになりがちな環境学習をこちらに近づけてくれたのは、指導者ではなく子どもたちでした。」担任教師は、しみじみと話してくださった。佐野教諭は、「田んぼの向こうに世界が見える!」というテーマで、総合学習をまとめられ研究授業を実施された。

【資料】
第5学年1組総合学習指導案
日 時 2002年6月26日(水)2校時
場 所 5年1組 教室
指導者 佐野 正博
1.単元名 『田んぼの向こうに世界が見える!』
~「北小子どもまつり」に向けての取り組み~
2.指導によせて
<児童の実態と課題>
全体的に明るく、疑問に思ったことなどをどんどんと口にする児童が多く、学習の中で、こちらから意見や、考えを尋ねると、数人の児童が自分の考えなどをしっかりと言うことができる。また、高学年では、学級会や、グループ活動の中で、『男子は男子』『女子は女子』と分かれる傾向がつよいが、このクラスは、全体的に男女の仲が良く、班や、委員会等のグループ活動においても、互いに協力して取り組むことができる。学習の中でも、グループでの作業や、相談の場面で、男子・女子関係なく、それぞれのグループでリードする児童がおり、うまく全体の活動を進めていくことができる。
しかし、少数ではあるが、全体での活動に対して、消極的な姿勢で取り組む児童もいる。本時の取り組みでは、特に『一人ひとりの意志(思い)』を中心に進めていく活動となるので、このような児童への支援が課題となるであろう。
<教 材 観>
本校では、総合的な学習の全校テーマを「ふるさと・きたさと」として『地域・環境』について“人にふれる”“町にふれる”“自然にふれる”の3つの視点から取り組んでいる。
今年度、5年生では、『不耕起栽培』という、「田起こし」や「代かき」の作業をしない稲作に取り組んでおられる『田んぼの学校』の事業に参加することになった。社会科でも、『米作り』について学習することもあって、総合的な学習の中で、“田んぼ”を視点にして、取り組んでいこうと思う。さらに、この学習では、北里の地域性を活かし、自分たちの家でしている農法と『田んぼの学校』との違いについて考えたり、それぞれの“田んぼ”を観察していくことで、そこに住む昆虫や水生生物などの生息環境と肥料や農薬との関わり、自然界での食物連鎖など多くのことを学ぶきっかけとなってくれることを期待している。
また、今回、『北小子どもまつり』に向けてこのテーマでクラス全体で取り組むことで、身近な環境からより広い地域(琵琶湖~日本~世界)の環境へと子どもたちの意識が広がっていければと思う。
<研究に向けて>
○実態とめざす力
『聞く力』
聞くことについては、集中して聞くことが苦手な者もいるが、中にはメモをとったりしながら発言者の意見をしっかりと聞く者もいる。
※めざす力
話を正確に聞き取り、要点をとらえることができる。
『話す力』
話すことについては、学習時間中でも、自分の知っていることや、疑問に思ったことなどがあるとすぐに声に出して言う場面が多く見られるなど,多くの児童が何事にも積極的に発言することができる。しかし、中には、事前にメモ等に自分の考えを書いているにも関わらず、進んで発声しようとしない者もいる。
※めざす力
相 手 意 識:みんなに聞こえる声で話すことができる。
思いを伝える力:自分の言いたいことを適切な言葉を使い、最後までしっかりと話すことが出来る。
組み立てを考えた話し方:話の組み立てを考えて、筋道を立てて話すことができる。
話し合い活動での話す力:自分の考えの理由がわかるようにして話すことができる。相手を説得するために効果的に話すことができる。
○具体的な手立て
・学級会などの話し合い活動の中で、『原案』と『学級会ノート』を使って、自分の質問や意見を書き、メモとして活用する。
・思ったことを気軽に言える学級環境作り。
3.単元の目標
1)総合的な学習の柱である自然環境に目を向け、自然や地域にふれ合うことにより、北里の地域と自然のすばらしさを知る。そして、そこで生活する全ての生き物の命の大切さについて考えることができる。
2)自分達で課題を見つけて、『北小子どもまつり』に向けて取り組むことができる。
3)話し合い活動を通して、自分の思いをしっかりと伝えることができる。
4.単元の指導計画(構成図)<全37時間>
「田んぼの向こうに世界が見える」

地域の見学・田んぼの観察(3時間)

『田んぼの学校』事業に参加し、田植えをする。(2時間)
<田んぼの観察>(2時間)

『北小子どもまつり』に向けての取り組み
①『北小子どもまつり』の意義と今年のテーマについて話し合う。(2時間)
・企画委員の説明を受け、今年のテーマ「ふるさと・きたさと」の意味について考える。
・それぞれの思いを自由に出させ、多種多様なアイデアが出てくるように大きくイメージをふくらませる。
②どのような「取り組み」をしていくか。(2時間 本時2/2)
・学級全体で話し合い活動

夏休みに調べ学習  <田んぼの観察>(2時間)
↓      <稲刈り(9月上旬)>(3時間)
③『北小子どもまつり』の取り組み(15時間)
・取り組みの内容により計画が進む。
④『北小子どもまつり』10月18日(3時間)
⑤『北小子どもまつり』のまとめと反省(1時間)

『田んぼの学校』シンポジウムに参加しよう(2時間)
教科等との関連
社 会 「米つくりのさかんな地域」
・米つくりの方法
・米つくりの問題点 等
理 科 「動物のたんじょう」
・メダカの観察
・メダカの食べている物(プランクトンの観察)等
「わたしたちの気象台」
国 語 「新たに発見したこと」
・身近なことで興味のあることについての説明文作り
社 会 「世界とつながる食料生産」
・輸出入の問題 等
家庭科 「作っておいしく食べよう」
・ごはんを作って食べよう 等

琵琶湖博物館環境フェアの報告(北里小学校佐野教諭)①
琵琶湖博物館環境フェアの報告(北里小学校佐野教諭)②
琵琶湖博物館環境フェアのパネル展示(壁新聞)①


琵琶湖博物館環境フェアのパネル展示(壁新聞)②

4-2 「メダカの学校」小田分校が取り組んだ「田んぼの学校」

学校特に小学校は、地域の文化センターとしての役割を担ってきた歴史がある。総合的学習の時間が始まり、小学校と地域のつながりが重要になってきているが、そのつながりが希薄になってきているのもまた事実である。子どもたちに自分たちの生活環境を学ばせるために、今ほど地域の文化を支える人材が必要な時代は他にない。

北里小学校での「田んぼの学校」が成功しているのも、「メダカの学校」小田分校の熱意あるサポートのおかげである。水田や資材、労力の無償の提供は中々できるものではない。「みんなが自分の町を愛し、楽しく暮らせればそれでいいのです。」というのがモットーのまさしく地域に根づいた市民団体であるから、環境学習としての「田んぼの学校」の活動が自然にできてしまう。

以下に1年間の取り組みの概要をまとめる。

2002年4月 開校 いよいよ始まりました
田んぼの学校小田分校。
テーマは ”不耕起栽培”(ふこうきさいばい)です。

『田んぼの物語』メダカの学校 小田分校
不耕起のたんぼで生きものの物語がはじまります
トンボが舞い、ドジョウが遊ぶそんな物語です
大人と子どもが共に体験し、学ぶのです
そして『田んぼの物語』は、語りつがれるでしょう

「田んぼの物語」

ところで不耕起栽培ってなーに?
簡単に言うと、普通の田んぼは田植えの時に代かきといってトラクターで土を耕しますが、この不耕起栽培にはその作業がありません。前年の稲株が残った状態のところへ、耕さないでそのまま田植えをする方法なんです。代かきの時に出る濁水(田んぼの栄養分)を外へ捨ててしまわないので、環境にも優しくて私たちの大切な琵琶湖を、富栄養化から守ることにもつながります。また、土の中にいるたくさんの微生物が働いてくれるため、自然の力で稲が育ち農薬をほとんど使わなくてよくなります。そのほかにもいろんなメリットがあるんですが、実は私たちも今回が初めての試みなんです。
さてさて、うまくいきますかどうか。
さあ、みんなで一緒に勉強しながら育てていきましょう!
 
春を待つ
まずは、慣行の田んぼ(今までどおりの栽培方法)と不耕起栽培の田んぼ(耕さない栽培方法)をくらべてみよう。

不耕起栽培田の3月上旬の様子です。稲株はそのままで、コンバインで秋に切り刻まれた稲わらの間から、春草が顔をのぞかせています。

他の田んぼに比べて、ここだけが秋のままの状態で残っているので、そばを通る人はみんな不思議がっています。それだけ不耕起栽培というのは、まだ市民権を得ていない(みんなにあまり知られていない)栽培方法なんです。この無謀とも思えるわれわれの挑戦は、果たして成功しますかどうか?

(大切な水)
水田と書くだけあって、田んぼには水が欠かせません。不耕起栽培にとっても一番大切なのは水です。慣行田では稲株の分けつ(株が分かれて増えていくこと)を止めるために、夏場に土用干しといって田んぼの水を一時期止めてしまいますが、不耕起栽培田では、この作業をせずに秋の収穫前まで水を張り続けます。だから、いかにその水を田んぼに蓄えて漏らさないかが大きな鍵を握っているのです。昔の田んぼの水は、上流の川から緩やかな勾配で流れてきた水を田んぼへ入れて、その排水をまた次の低い田んぼへ流すというふうに、無駄なく使われてきました。もちろん代かきなどの排水の際に出る田んぼの栄養分も、次の田んぼへ吸収されていったので実に効率的な水利用でした。ところが、現在では田んぼの水は家庭の水道と同じくバルブをひねるだけででてくるようになりました。琵琶湖の水が、ポンプで送られてくるのです。おかげで降水量の少ない時期も、水の切れる心配がなくなりました。この便利な水は、1960年代から80年代にかけて農業基盤整備事業~土地改良事業(現在農業農村整備事業)として行われてきた湿田の乾田化にあります。これは、汎用耕地化といって田んぼを米以外の作物(麦や大豆など他の穀類)への転作ができるようにし、つまり水田を畑としても利用して穀物の自給率をあげられるようにしました。農業は機械化され、さらに大型化されて、昔のような重労働から解放されたのです。しかし、便利になったと喜んでばかりはいられないことも実はあるんです。1年を通じて水が流れていた水路は、排水としての機能しかなくなり、稲作の終わる時期にあわせて田んぼの給水も止まってしまいます。水の無くなった水路には、メダカやドジョウ、カエルやフナなどの田んぼを行き来してきた生き物たちは、すむことができません。おまけに乾田化された田んぼには、暗渠排水を設置したため排水路が更に低くなり、生きものの行き来ができなくなってしまいました。環境保護と農業との共存を考えるうえで、今後の重要なポイントとなるところだと思います。幸いなことに私たちの住む小田町の田んぼには、日野川からの用水が現在も流れていて、田んぼの排水路にも1年中水があります。おかげでメダカをはじめとした多様な生きものが越冬して生息しているのです。70㎝クラスのナマズまでいるんですから・・・。どうぞこの環境をみんなで守っていってほしいと切に願っています。

田んぼの排水路で捕まえたナマズ

(準備 その1)
さて、水の大切さがわかったところで、その水をいかにして長持ちさせるか。土の中にいるドジョウやミミズを食べにきたモグラたちが、田んぼの畦のあちこちに穴を空けています。これでは水持ちがしません。そこでみんなでアゼシートの設置をすることになりました。

「田んぼの学校」のサポーター

田んぼの周囲の漏れそうな部分をL字型に約130mにわたってアゼシートを設置しました。その後、水漏れの実験です。暗渠排水を塞ぎ、尻水戸(排水口)をせき止めました。丁度その日は揚水ポンプの運転日で、約6時間ほどで水張りが完了し、水深10㎝の水が停止してから約3日でほとんど無くなってしまいました。まあこんなもんでしょうか。

畦塗り(あぜぬり)
不耕起栽培で大切な水の確保。でも、生きものと共存する以上、モグラや野ネズミなどが開けた穴からその大事な水が漏れてしまうことも日常のことです。そこで水漏れ対策として新兵器登場です!その名も”アゼヌリ機”です。トラクターの後部に付けた機械でなんともうまく畦を塗ってくれるではありませんか。いやはや、人間は楽をするためなら何でも考え出すものですね。

文明の利器に感謝!感謝!

草刈り
さて、お次は草刈りです。不耕起栽培に草は付き物。でも、植えるときに草がいっぱいだと苗をどこに植えたのか?その後の観察にも影響がでます。い草の仲間「ホタルイ」のような強情な草までがたくさんあり、手で取っても追いつきません。

雑草のホタルイ

そこでまた文明の利器。”草刈り機”の登場です。なんとまあ、見る見るうちに草いっぱいの田んぼが一面きれいに刈り取られていきます。そして、草刈り機の後に続いてくるのはサギなどの野鳥たちです。草むらの中には、春になって出てきたカエルや虫たちがたくさんいます。それを食べようと鳥たちが後に続きます。
最近見かけなくなったタイコウチなんかもいましたよ。せっかく刈り取った草が今のうちに分解してくれるように、早速水を張ってみました。1週間もするとこんなにも生きものが水面に浮かんできました。モノアラ貝が大量に浮かんでいたり、何かの幼虫なのか?ナメクジの親戚なのか?正体不明の生きものがいました。

タイコウチ
正体不明

比重選
桜の便りが聞かれると、いよいよ苗作りの始まりです。苗作りは、まず種まきから始まりますが、その種を選別することが不可欠です。今回私たちが使った種は、昨年不耕起栽培で収穫された「コシヒカリ」を分けていただいたものです。種まきに使うその種もみを選別する行程を比重選(ひじゅうせん)と呼び、よく実った良質の種を選び出すことで、病気やその後の収穫にも影響します。選別の方法にはいくつかあるようですが、一般的には塩水を使った塩水選(えんすいせん)が用いられます。種もみを一定の濃度にした塩水の中に漬けて、浮いた軽いもみ(中が十分に実っていない)を取り除き、下に沈んだもみを種まきに使います。

比重1.145の塩水選

種子消毒
塩水選にかけた籾種をよく水洗いし、今度は消毒します。苗の病気を防ぐため欠かせない工程ですが、できるだけ薬は使いたくないので今回は、天然資材である木酢液(炭焼きの際に煙からでる液で、野菜や花の消毒や、お風呂に入れて皮膚病にも効果があると言われています)を500倍に薄めて消毒しました。

浸種
消毒が済んだら、次は籾種に水分を与えて発芽条件を揃えるために浸種(しんしゅ)を行います。本来籾種自体が発芽を抑えるためにホルモンを出しており、(アブシジン酸などの抑制ホルモン)それを洗い流して発芽条件を整えてあげます。浸種の間は、2日に1回水を換えて(酸素不足を補う)日陰におきます。

催芽(さいが)
いよいよ条件が整ったところで、籾種を長い眠りからさませてあげます。催芽機というものもあるようですが、うちには無いのでこれまでの育苗機を使用して行います。

気温20℃ 育苗機設定22℃の低温で時間をかけて催芽させます

田植え その1 (5月20日)
いよいよと言うか? ようやくと言うか? 待ちに待った田植えがやってきました。周りの田んぼは、ほとんどがゴールデンウイーク中に植え終わっていますが、不耕起の田植えはこれからが本番です。い草取りもようやく済んだので、気持ちよくこの日が迎えられました。
苗はすっかり成苗となり、5.0葉期をむかえていました。最初に播いて発芽が不ぞろいだった苗も、日当たりの良い場所に変えたりしたことによって、無事に太くて丈夫な苗になりました。あわてて種まきをし直したため、苗は十分な量あります。発芽からおよそ30日を迎えた2回目の苗も、温暖な気候のおかげで5枚目の葉が出ています。
さて、田植えが始まりました。早くから水をはっていたせいか、結構表面はやわらかくなっていました。ところで不耕起栽培は、普通の田植え機とはちょっと違うんですが、わかりますか?答えはコレ!田植えの爪の前にこんな仕掛けがありました。普通の田植え機は、代かきしたやわらかい土に植えるので爪が苗をとっては植えるだけですが、この不耕起の田では土の表面が硬いため苗がうまく植えられません。そこでこの小型のロータリーみたいな爪で植えるラインだけすきこんで、土をやわらかくして苗を活着しやすくするわけです。なるほど良く考えたものです。田んぼのかたわらには、たくさんのオタマジャクシや豊年エビなんかもいましたよ。

不耕起田植機①
不耕起田植機②
ホウネンエビ

田植え  その2
今年度、近江八幡市立北里小学校5年生児童が、この不耕起栽培田のお米づくりに「総合的な学習の時間」で参加してくれることになりました。ただ苗を植えてお米を収穫するだけでなく、その間にいろんな生きものの働きや関わりがあることを、この不耕起田で一緒に学習しようというものです。普通の田んぼと違う「不・耕・起」の勉強をしてから、51人の児童が、日本初?不耕起田の田植え体験をしました。今回、3反(30a)の田んぼのうち、わずか120㎡ですが51人の児童が一人あたり5mを2列ずつ植えて、苗の成長や生きもの、他の植物調査などを行います。

不・耕・起は・・・

圃場が硬いため子どもたちは、鎌で植える場所をほじくり1本ずつ丁寧に植える子もいれば、10本くらいの束で植えて苗が足らなくなる子もいました。さて、秋にはちゃんとお米が収穫できますかどうか・・・?1人2条ずつ植えた苗にそれぞれ名札を立てました。これから自分の苗として育て、生きものと共に観察していきます。

鎌を使って田植え???
最後はみんなで記念写真「はいポーズ!」

除草作業
私たちの目指している不耕起栽培は、できるだけ農薬や化学肥料に頼らない農業として、自然の恵みを生かしてお米を作ろうというものです。昔はこの除草作業が、大変な重労働でした。いくらとっても次々生えてくる草に対して、その負担を少しでも軽くしようと除草剤などの農薬が使われてきたのです。もちろん人体に影響のない範囲の農薬なのですが、虫が死に草花が枯れるような薬が人間にだけ何の影響もないわけがありません。何よりその農薬を扱っている農家の人が、一番最初に影響を受けるはずです。

このようなことから、私たちは「米ぬか」による除草をすることにしました。みなさんご存じのとおり、米ぬかはお米を精米(玄米を白米に)する際にでるもので、ぬか漬けなどの漬け物に使う程度で、あまり利用されていません。この米ぬかをまくと、やがて水中で発酵します。水の中が発酵により酸素欠乏となって、草の新芽が枯れてしまうといったしくみです。もちろん全ての草が枯れてしまうわけではありません。嫌気性といって酸欠状態を好む植物もありますが、ある程度効果があるようです。それに米ぬかには栄養がいっぱいで、田んぼに返してやることによって田んぼの生きものも増え、また苗にも肥料の代わりになるのです。こんなにいいことずくめの米ぬかを使わない手はありません。米ぬかは、本来粉末ですがこの日使用したものは、散布しやすくペレット状にしたものです。1反に約1000㎏散布しました。
散布から2週間、米ぬかが発酵して水面にもぬかに含まれる油分が油膜となって浮いています。それにしても発酵って クサ~イ! いかにも効きそうです。
慣行田はすでに、かなりの分けつをしています。不耕起田はこれからです。今後の成長を記録するため、1本植えの苗を10株を定期的に観察することになりました。

やっぱり草が多い

分けつ期
6月に入って晴天が続き、苗も順調に成長しています。苗はこの時期、1本の苗がいくつかに根本から分かれて、増えていきます。これを分けつと呼びます。慣行の田んぼはそろそろこの分けつも終盤を迎えているため、中干しという工程に入ります。そのまま水を張り続けると、無効分けつといって穂のつかない無駄な株が増えてしまうため、田んぼの水を落としてこの分けつを止めるのです。これを中干しといいます。中干しにより地面がひび割れています。しかし、私たちの不耕起栽培苗にはこの工程がありません。耕起していない硬い田んぼに、強い根をはってゆっくりと分けつをしていくので、無効分けつがありません。秋の刈り取りの寸前まで深水を続けます。写真は不耕起の田んぼに多く現れる「サヤミドロ」という藻(も)です。硬い繊維質のこの藻は、田んぼ一面に広がり雑草を抑えたり、田んぼの肥料としてはたらきます。不耕起の苗もそろそろ分けつが始まりました。前回は除草目的で米ぬかをまきましたが、今度は分けつ肥として米ぬかをまきます。

サヤミドロ

幼穂期(ようすいき)
6月の末頃から、朝夕の時間帯になるとすごくたくさんのツバメが、不耕起の田んぼの上を飛び回ります。隣の田んぼへ行ったかと思うとまた旋回して、何度も何度も不耕起田の上だけを低空飛行で飛びます。また、サギやカモまで時々顔を見せ、エサをついばんでいます。それだけたくさんの虫たちがいるという証拠でしょうね。

7月3日
不耕起の田んぼもそろそろ幼穂形成期を迎えます。この時期苗が穂をつくる、つまりお米をつくる準備をはじめるのに一番栄養を必要とする時期です。お米の入れ物となる籾殻の大きさなども、この時期の肥料のやり方に左右されます。あまり早くやりすぎると、木ばかりが大きくなって実ができずに倒伏してしまいます。
私たちの不耕起田には、米ぬかをまくため肥が効いてくるのが少々時間がかかります。そこで幼穂が出かけた今穂肥をまくことにしました。
最初は幼穂を見て、穂肥の説明です。その後、北里小学校5年生のみんなが、自分たちの植えた苗にそれぞれ米ぬかをまきました。前回使用した米ぬかをペレット状に加工したものを使いました。
最初は田んぼに入るのをイヤがっていた子たちも、ほとんどが裸足で入って「ヌルヌルする」とか「あったかーい」とか、いろんな声が田んぼに響き渡っていました。実際に田んぼに素足ではいることによって、土や生きものを肌で感じることができて良かったと思います。みんな、暑い中ご苦労様でした。

米ぬかを撒いています

草調べ
台風6号の通過した翌日、さわやかな天候に恵まれて北里小学校5年生のみんなが、不耕起田での草調べをしてくれました。
昔ながらの手押し草取り機を前にして、みんな興味深げでした。さて、いよいよ田んぼに入って、田んぼの草調べです。各自1条ずつ歩いて生えている草をとって調べます。中には袋に入りきらないほど採る子もいました。
手押しの草取り機も大人気で、みんな交代で体験しました。昔はこんなに大変な作業でお米を作っていたので、今日のように除草剤にたよる農業になってきたのでしょう。でも、不耕起栽培はサヤミドロのおかげもあって、草の種類はほとんどがホタルイだけです。なかにはコナギなんかもありますが、大量に発生したモノアラ貝が食べてくれているようです。
草の他に、田んぼの中には見つけただけで5種類もの藻が確認されました。生きものだけでなく、植物も多様に発生している不耕起栽培には、まだまだ未知の姿が隠されているようです。みんなが草を採ったり、田んぼの中を歩いてくれたおかげで、雑草もかなり減りました。

手押し除草機

稲穂の開花(いなほのかいか)
7月26日、とうとう稲穂の開花が始まりました。稲の花が咲き、午前中のほんのわずかな間(10時頃から12時くらいまで)に授粉して、いよいよ次はこの一粒ひとつぶにお米が実っていきます。足下には今もサヤミドロと浮き草が一面に広がっています。
田んぼは虫たちの宝庫です。稲を枯らす害虫もいれば、そんな害虫を食べるクモなどの益虫もたくさんいます。そして、その虫たちを食べるためにまた鳥たちがやってきます。

藻類や浮草が絶えない

 そんな虫たちは、小さな田んぼの中でお互いにバランスを保って生きています。害虫だからといって農薬を使って殺してしまうと、その薬に耐性をもった害虫が現れて、更に強い農薬が必要になるのです。毎日食べるお米が、そんな強い農薬にまみれていては、害虫に効くはずの農薬がそのうち人間に効いてしまいます。私たちは、いつの間にか虫も食べないお米や野菜を好んで食べているのです。形や見てくれよりも、もっと大切なものがあることに、早く多くの人が気づいて欲しいものです。

収穫(稲刈り)1
今年は7月にいくつもの台風が通過し、8月に入りとても暑い日が続きました。人間も夏ばてしそうな環境のなか、不耕起栽培の稲はとても元気にすくすくと成長し、見事な穂を稔らせてくれました。さて、いよいよそのお米を収穫する時期がやってきました。
4月の種まきから今日まで、たくさんの生きものをはじめいろんな発見がありました。不耕起栽培によるお米づくりの体験を通して、私たちだけでなく地域のみなさんにも一石を投じたのではないかと思います。
稲刈りの前に、田んぼへ入りやすくするため田植え以来初めて排水口を開け、これまで満々と湛えてきた水を排水します。田んぼへ入っても大きな足跡がつかなくなるまで、排水開始からおよそ2週間かかりました。水が無くなった田んぼでは、残った水たまりを最後まで求めて息絶えた小魚(フナ等)の姿や、排水と共に水辺へ出ていけなかった虫たちがあちこちに姿を現しました。田んぼ一面に繁殖していたサヤミドロも、白く乾きマットのように土の表面を覆っています。その上に見える茶色い粒は、モノアラ貝の死骸です。これらは全て土に還り、また田んぼの栄養となってくれるのです。
稲刈りの前に、稲の生長について復習し、鎌の使い方など説明を受けます。
刈り取りの開始です。みんな自分の名札の立っている稲2条を刈り取っていきます。不耕起栽培独特のヨシのように硬い茎と、慣れない鎌とで、みんな大騒ぎしながら汗を流していました。刈り取った稲の葉っぱを利用して1つに束ねたり、それができない子はビニールひもで縛ったりして、それぞれの名札をつけて学校へ持ち帰りました。
ヨシのように硬くて太い不耕起の稲株は、切るときに「ザクザク」ではなく「ガリガリ」という音がします。刈り取った稲は、軽トラックに満載されました。いざ学校へ!

学校へ帰ります

収穫(稲刈り)2
不耕起の田んぼには、稲と共にたくさんの生きものが生まれました。刈り取りの最中にも、ヤゴの抜け殻やザリガニなど、たくさんの生きものが共に育ってきた痕跡があちこちに伺えます。田んぼ中にいくつものザリガニの穴を発見 みんなが刈り取った後は、現代の機械化された農業の一面も見てもらいました。コンバインに乗っての刈り取りに、子どもたちはすごく興味があったようです。
さて、小学校の刈り取った稲は、小学校へ持ち帰りフェンスにかけて天日で干します。このあと脱穀、籾すり、精米の工程を経てようやくお米(白米)になるのです

天日干し

 脱穀、選別
刈り取った稲をハサ掛けして、あれから一週間が経ちました。天候も良く、作業にはうってつけの日となりました。さて、今日の作業はといいますと、稲に付いたモミをはずす作業、脱穀作業を行います。
稲に付いている時は穂と呼び、脱穀すると籾と呼びます。その籾の皮をむいた状態が玄米であり、それを普段みんなが食べている状態に精米したものを白米と呼びます。こうしてお米はどんどん形と共に名前が変わっていきます。また、この精米の段階ででてくるものが糠であり、今回私たちが田んぼに除草や肥料の目的で散布してきたものです。
脱穀や精米の仕組みを、いろんな道具を使って説明しました。みんなが刈り取った稲は、それぞれ二束ずつ足踏み脱穀機で脱穀し、あとの残りは各自で竹の割り箸を使って、しごいて取りました。苗を植えた時から名札を立てて、自分の稲として育ててきたせいもあって、みんなそれぞれ愛着があるらしく、一粒一粒をすごく大切に扱ってくれました。「早く食べたい!」と、みんな一生懸命取り組んでいます。
子どもたち全員が一人ずつ、足踏み脱穀機に挑戦しました。足踏みのタイミングが合わず、逆回転してしまう子や、勢いが良すぎる子など様々です。機械化された現在でも、コンバインの中にはこのドラムが入っているのです。

足踏み脱穀機

脱穀した籾を、今度は唐箕を使って選別します。籾を入れたジョウゴから、少しずつ下へ落とし、そこへ手動式の扇風機で風を送り、ワラや軽い籾(中身があまり熟していないもの)などは遠くへ飛び、稔った重い籾だけが下へたまるという仕組みです。昔の機械は本当に良く考えられたものばかりです。これも足踏み脱穀機と同じく、現代の機械に応用されています。次回はいよいよ籾すり、精米へと進みます。

籾すり
さて、脱穀が無事すんだところで今度は選別したモミの皮をむく作業「モミすり」です。先日先生から聞いた籾すりの原理を、それぞれが理解したうえで作業にかかりました。みんな思い思いの道具を使って悪戦苦闘していました。
ザルとボールの摩擦でやる子や、すり鉢とすりこ木でやる子など様々です。「お米まで潰さないでね!」と、言いたくなるような子も。

ソフトボールで籾啜り

あとはお家に持ち帰り、各自で容器に入れた玄米を棒などでつついて精米します。これでやっと白米として、いつものように食べられます。つき方が足りなくても大丈夫。農薬を一切使わずに、自分たちでがんばって育てた健康なお米なんですから。(玄米の方が栄養がたっぷりあるよ)子どもたちの中には「あれだけたくさんあったお米(モミ)が、たったこれだけ(玄米)になってしまったよ」との声がきかれました。大事なお米だから、残さず食べてね!

5 バケツ稲による「田んぼの学校」

5-1 バケツ稲の生育

都市部で「田んぼの学校」を実施しようとしても、学校の近くに水田が無くバケツを用いた稲作が行われる場合が多い。JAなどのホームページに「バケツ稲栽培マニュアル」が掲載されているのを見受けるが、そのほとんどは、農家が水田で行っている農作業カレンダーをそのままバケツに再現するものである。日当たりや風通しが良い理想的な環境にあるバケツ稲の生育は、水田のものとは全く違っている。
「田んぼの学校」は農業体験ではないというのが私の考えである。バケツの中の稲がその能力を完全に発揮するような生育をさせるには、水田における行程とはおのずと違ってくる。先ず、代掻きは不必要であり、酸欠状態になりむしろ有害である。中干しは水田における過繁茂を抑えるためのものであるが、これもバケツ稲の生育には不必要である。一般には、稲の栽培技術は難しいものと受け止められがちであるが、水田という大きな圃場を管理する難しさであって、バケツの1株には当てはまらない。
稲の生育は土の力に左右され、土に力があればあるほど稲は根を張り養分を吸収し穂を実らせる。また、日当たりが良く風通しも良い最高の環境にあり、稲はその力を充分発揮する。良い土をたくさん使い、水を常にたっぷり与える。このだけがバケツ稲の栽培技術である。水田の稲が1株20本程度の穂しか実らせることができないのに対して、バケツ稲が200本から300本の穂を実らせることは、決して珍しいことではない。詳細は、6章に述べることにする。



5-2 蒲生町立蒲生西小学校のバケツ稲栽培

蒲生町立蒲生西小学校で5年生がバケツ稲に取り組むことになった。私が応援することとなったのだが、担任団ではやはり栽培技術の不足を心配しておられた。担任団との打ち合わせで決まったことは、「農業体験とはしない。」ただそれだけである。具体的には、①土は保護者にお願いして水田の土を持ち寄っていただく、②水田のように中干しは行わず稲に生育をまかせる、ことになった。水田の土を用いるのは「田んぼの学校」に近づくであろう要素を作っておきたかったからであり、土の中にいる微生物や昆虫の卵、植物の種子が何らかの働きをすることを期待していた。
担任団の年度当初の計画では、「田んぼの学校」は農業体験に近いものであったようである。教科書では農業を食糧問題として扱い、環境問題としては捉えていないから仕方ないことかもしれない。この取り組み通して、担任団は稲の力の偉大さに気付くことになる。

蒲生町立蒲生西小学校5年生エルタイム年間計画

田植えを行ってから、バケツの中の水に変化が起こった。水が緑色や茶色に濁ったり、その後、藻類や浮き草・雑草・小さな虫がどんどん姿を現した。子どもたちは、最初理由が分からず水を捨てたりしていた。水の濁りの正体が微生物やミジンコなどの小動物であり、自然のありのままの姿であると理解すると、稲の生育とバケツの中の小自然とを合わせて見るように変化していった。子どもたちの観察日誌の稲のスケッチを見せていただくと、最初は稲しか描かれていなかったものが、水の中など稲の周りを描くように変化していく様子が分かる。
私は生育実験をバケツを用いて行ったが、培土に不耕起水田の表土を用いたため、水の中には不耕起水田で見られる生き物がおびただしく繁殖をした。蒲生小学校では一般水田の土を用いたので、これほどではなかったのが残念である。子どもたちは、お互いのバケツの中の藻類や浮き草などを交換し合って、繁茂するする様子を楽しんでいたようである。

バケツの中で繁茂する藻類
不耕起水田の表土を入れてある

バケツの中では、不耕起水田ほどのダイナミックさは味わえない。体感のレベルまで高まらなくて残念であったが、バケツ稲にも良さはある。常に身近において観察できること、夏休みも自宅で出穂し実ってゆく生命誕生のシーンを目の当たりにできることである。北里小学校での「田んぼの学校」との違いは、その後の収穫作業の動機付けにある。出穂の瞬間と稲の花を見た子どもたちは、大きな期待を持って収穫を待ちわびていた。水を絶やして稲を枯らせてしまった児童も、10粒しか取れなかった籾を大事に扱っていた姿はとても印象的であった。バケツという小さな生命のつながりだが、子どもたちの心には新鮮に染み入ったのではないだろうか。

6 稲の生育と学校行事

滋賀県特に湖東地方における慣行の稲作スケジュールに従うと、4月上旬に播種、4月下旬から5月上旬に田植え、8月下旬から9月中旬に収穫となる。これでは、学校の他の行事との調整が困難でサポーターである農家にも負担が大きく、また、農家にまかせっきりになってしまう。他の行事とのバランスを保ち、農家に指導を受けながらも学校主体の「田んぼの学校」を成立させたいところである。保温・加温のための特殊な機材を使わず、播種から収穫まで他の行事との重なりを避け、ゆとりを持って取り組める稲作体系を検討した。
稲の生育の一大イベントは何と言っても生命の誕生の出穂である。早生品種では、夏休みの前半に出穂を迎え、9月の新学期早々に収穫期となってしまう。慌ただしくもあり、また、最も大切なシーンを見逃してしまう。よって、学校で扱う品種はコシヒカリやキヌヒカリのような早生品種は好ましくない。
滋賀県における一般的な栽培品種のおおよその出穂期は図の通りであるが、田植えの時期や天候、栽培方法によって変わる。私は20ℓのオイル缶を用いてバケツ栽培を行った。オイル缶の大きさは直径30㎝、深さ36㎝(土の深さは26㎝)で苗1本からその生育を観察した。これは水田における1株の稲の根の生育域に近い。その詳細は表6-1に示す。ゆめおうみの場合、5/20播種で8/22出穂、6/24播種で9/7出穂で、播種が遅くなれば出穂も遅くなる傾向を示す。また、播種が遅くなれば、出穂までの生育が不十分となり登熟に必要な体力をもてなくなってしまい、出穂と登熟が不安定になるようである。6/3播種までは16葉齢であるが、それ以降葉齢が低くなった。この生育の遅れは、6/3以降の播種により出穂までの有効積算温度が2000℃を下回っていることからも理解できる。国司(赤米)の場合もよく似た結果を得ている。

品種による出穂期
※4月上旬播種、5月上旬移植の場合

播種を遅らせても走り穂(1本目の出穂)を2学期になってから迎えることは無理がある。7/8に播種した国司(赤米)は、出穂したものの稔ることなく冬を迎えてしまった。しかし、5月下旬に播種すれば、8月下旬に出穂を始め9月上旬には穂が揃い少しずつ穂が垂れてゆく姿を観察することができる。この場合、収穫期は10月上旬となり、9月下旬の運動会を終えゆとりをもって稲刈りなどの収穫の一連の作業ができる。

バケツ栽培によるコシヒカリの生育(1本植え)
バケツ稲による国司(赤米)の生育(1本植え)
バケツ稲によるゆめおうみの生育(1本植え)

以上の結果を滋賀県湖東地方の気候から考察した。元になる気温データは、琵琶湖博物館(草津市)で公開された2002年のものを用いている。
有効積算温度を元に、滋賀県湖東地方における出穂の最晩期を求めてみる。ここでいう出穂日とは、有効茎の40%が出穂した日である。
出穂日から登熟期間の40日間の有効積算温度が800℃以上を安全圏とすると、出穂最晩期は9月3日となる。これ以上遅い出穂は登熟が不安定で、なお遅ければ実らないということもある。
この出穂最晩期(9/3)までに十分な生育を確保するために播種最晩期を求めてみる。播種日から出穂最晩期(9/3)までの有効積算温度を示したのが図である。播種日が6月になると、有効積算温度2000℃を得られず、登熟のための十分な生育が得られない。

播種日から出穂最晩期(9/3)までの有効積算温度
※琵琶湖博物館(草津市)で公開している2002年のデータに基づく

コシヒカリなどの早生品種は8月上旬に出穂日を迎えるため、早い時期に播種しなければ有効積算温度2000℃は得られない。学校ではまだ新学期が始まっていない時期から作業を始めるのは、事実上不可能である。農家からもらい苗をするしか方法はない。出芽もまた生命誕生の神秘的なシーンである。農家のサポーターまかせになるのは教育効果が半減してしまう。
結果として、学校の行事との兼ね合いから5月下旬播種、8月末出穂、10月上旬収穫という日程が最も良いと思われる。

7 農業の多面的機能の検証

7-1 農業排水による琵琶湖の富栄養化

農業のもたらす国益として先ずあげられるのは、食料の安全補償である。にもかかわらず日本における食料の自給率が低い水準に留まっていることは、広く知られていることであるが、輸入食料品に対抗し、国内の農業を保護するため、農業の多面的機能が取り上げられ報道で時折耳にする。農業の多面的機能とは、①国土の保全、②水源の涵養、③自然環境の保全、良好な景観の形成、④文化の伝承、⑤保健休養、⑥地域社会の活性化、⑦食料安全保障である。私は、これらの機能のどれほどが現実のものであるのか、疑問をもつ。
多面的機能に反して、農業がもつ環境負荷には、①農薬・化学肥料の不適切使用、②用水路・排水路の分離、③地球温暖化ガスの排出、④エネルギーの投入、⑤未分解有機質による汚染などがあげられる。
農業には、環境に対してプラスの面とマイナスの面が混在し、双方の研究報告が正確に伝わってこない。このような現状では、農業の明るい将来が中々見えてこない。農業の環境負荷を正しく評価し、多面的機能を高める努力が必要であると考える。
この章では、環境負荷の②用水・排水路の分離にともなう水田による水の浄化能力の低減について若干の検証を加えてみたい。
圃場整備により水田は大区画化し、農作業効率が増したのは間違いのない事実である。しかし、畑作物への転作を可能にするために水田を乾田化しようとした結果として、水田の浄化能力が低下し、栄養分の排出が増してしまったと考えられる。その最も大きな原因は、用水路と排水路の分離とそれにともなう水田と排水路の落差高である。
一般に知られている水田による栄養分の排出は代掻きによる濁水によるものである。私は、この研究を通して冬期の水田からの浸透水による栄養分の排出もまた大きな影響をもつと考えるに至っている。
私が、調査に選んだ排水路は近江八幡市の大惣(おおぞう)川である。①この一帯は圃場整備から25年程を経過し、圃場として安定してきているであろうこと。②集落の生活排水は隣接の水路に流れ、この排水路への流入がそれほど多くはないであろうこと。③圃場の区画が比較的単純(水路が全域でほぼ一直線)で流域を把握しやすいこと。④作付けがきちんとされていて休耕地がないこと。⑤近江八幡市環境課により月1度水質調査が行われており、過去のデータを参考にできること。これらが、調査の対象に大惣川を選んだ理由である。

大惣川のマップと水質調査地点

大惣川は、圃場整備されてからは生活排水の流入の少ないほぼ完全な農業排水路となった。長さが3.8㎞で、流域面積1.3㎞2(ほぼ全域が水田)をもつ。川幅は表7-1-1で示す通りで、水深5㎝流速0.5㎞/h(秋から冬)から水深50㎝流速2㎞/h(春から夏)程度(St.⑧から⑨)のコンクリートで囲われた真四角な川である。また、標高差が小さくSt.①から⑫で2mあるかないかの程度である。St.①の上流は平坦で水の流れは弱く溜まっただけオーバーフローする。St.⑨から⑫までは、ほとんど傾斜がなく流れも緩やかで琵琶湖の水位や風向きによっては逆流することもある。また、St.⑨から⑫の水位は琵琶湖の水位そのもので、春から夏には1mを越え、秋から冬は底を流れる程度になる。

大惣川の断面概要図

揚水がある春から夏(4月中旬から9月上旬)には、7:00から19:00(6月中旬の中干しの時期などは、間引き運転あるいは短縮運転される)までポンプが稼動する。St.⑨から⑫には、時間と共に徐々に新しい水が混ざってゆく。2002/8/18の6:00から2時間おきに水温、電気伝導度、pHを測定した(図7-1-4)。7:00にポンプが稼動して、St.①から⑧まではほぼ一斉に揚水の性質に近づくが、St.⑨から下流が一様な性質を示すまで5時間以上(12:00以降)かかることが分かる。St.⑨から下流の滞留域では、上流域とは異なった水環境が存在している。

大惣川の水質の日変化

下の図5は、底質土に含まれるリン酸イオンと硝酸イオンの量(乾燥土100g当たり)を調べたものである。St.②から⑧は常に水が流れていて泥の堆積も少ないが、St.①とSt.⑨から⑫では流れが緩やかかあるいは流れない状態にあり泥の堆積量も多い。堆積した泥には栄養分が吸着され下流域ほどその量も増えている。

大惣川の底質分析(左:リン酸イオン、右:硝酸イオン)乾燥土100g当たり

大惣川ではたまたま標高差が小さく、下流域で若干の浄化機能をもつ結果となった。河口では大量の土砂が堆積し、重機で取り除く作業が行われているが、どちらかと言えば厄介物扱いされている。農業排水の琵琶湖に対する環境負荷が過小評価され、あまり広く知らされていないからであろう。
圃場整備における排水路は、簡単に言うと「深く」「真っ直ぐ」に施工し、早く安全に水が流れ落ちるように設計される(表7-1-2)。近年、農業における環境問題が語られるようになり、農村生態系の保全を目的とした水路の設計基準が新しく模索されている。その内容はこれまでのものと相矛盾するものであり、技術の面と経費の面で課題が多い。2001年に土地改良法が改正され、土地改良事業の施行に当たっての基本原則に「環境との調和への配慮」が新たに位置づけられた(第1条)。「配慮」という緩やかな表現でどこまで改善されるかは疑問があるが、これからの技術の改良によって、法政面でも更に改善されることを期待している。

水路設計の2つの考え方

7-2 水田土壌による浄化能力

水田における代掻き水が農業の悪玉の代名詞のように言われる。下の図は大惣川の上流から下流まで(7-1の大惣川マップを参照)のpHと電気伝導度を調べたもので、稲作の各時期における特徴的なものを示している。上流におけるpHは琵琶湖での値とおおむね一致すると思われる。下流に流れるしたがってpHは下がる傾向を示しており、どの時期でも同じ傾向を示している。電気伝導度は、用水が有るのか無いのかで大きく異なる。用水が有る場合、用水が水田からの排水をかなり薄めているので、用水とほぼ同じ値150μs/㎝弱を示す。用水が無い場合、水田からの排水の性質をより良く表し250μs/㎝から300μs/㎝ほどの大きな値を示す。下流域では、どちらの場合でも大きな変化は無く常に200μs/㎝前後の値である。これは、7-1でも示したように、下流域では流れが緩やかで、水が時間をかけてゆっくり混ざり合うことによるが、底質の泥が栄養分を吸着している可能性が十分ある。
下図Aは代掻き水が最も多く落水される時期のもの、下図Bはほとんどの水田で田植えが終り落水はそれ程多くない時期のものである。化学肥料の溶出にどれ程の時間がかかるのかは確認していないが、代掻き水の表面排水による栄養分の流出は一般に言われているほどは多くないのではないかと、私は考えている。下の図は中干しの時期、下図Fはほとんどの水田で収穫を終えた時期で、それぞれ用水の無いときのものである。表面排水による栄養分の流出より、地下浸透による流出の方がより大きいのではないか、と考える。

図A 代かき・田植えの最中(用水有)      図B 田植終了後(用水有)
図C 中干期(用水無)           図D 中干期(用水有)
図E 用水最終期(用水有)         図F 収穫最終期(用水無)

下図Gは、pHと電気伝導度の関係を表したものである。上流はSt.②~⑧を、下流はSt.⑨~⑫を表し、それぞれ月毎に測定値を平均してある。4月から8月まで用水が大量に流れる時期には、用水つまり琵琶湖の水のpHの変化をほぼ反映している(下図H)。用水の電気伝導度は、150μs/㎝弱でほぼ一定している。排水は用水でかなり薄まるので濃度測定だけでは汚濁の程度を捕らえにくい。

図G 排水のpHと電気伝導度
上流はSt.②~⑧の測定の平均値を、下流はSt.⑨~⑫の測定値の平均値を表す。
図H 用水のpHと電気伝導度の年変化

近江八幡市環境課では、琵琶湖に流出する河川の水質調査を月毎に調査を継続している。大惣川St.⑨での調査データを6年間分提供していただき、特にリンと窒素について考察してみた(下図I)。大量の用水で薄まっているので、濃度測定だけでは実際を把握しづらい。St.⑧から⑨におけるおおよその流量を推定してみた。
4月下旬~9月初旬
 川幅3m、水深40㎝、流速1.5㎞/hより 1800㌧/h
その他の時期
 川幅3m、水深5㎝、流速0.5㎞/hより 75㌧/h
4月と6月の中干期
 ポンプの稼働時間から1800㌧/hの1/3と推定すると600㌧/h
9月
 ポンプの稼働時間から1800㌧/hの1/6と推定すると300㌧/h
下図I に、この流量を元に推定されるリンと窒素の絶対量をグラフに表した。年間の総量は、リンが500㎏窒素が5600㎏となる。St.⑨より上流の水田面積はおよそ0.9㎞2であるから、10a当たりに換算するとリン0.6㎏/10a窒素6.2㎏/10aとなる。4月下旬から9月初旬までの流量の合計は、およそ510万㌧であり、この用水中には琵琶湖由来のリン・窒素が含まれている。琵琶湖のリン濃度を0.01mg/l、窒素濃度を0.3mg/lとすると、用水中のリン50㎏、窒素1500㎏は琵琶湖由来のものとなる。差し引き水田からの流出量は、リン450㎏、窒素4100㎏であり、水田10a当たりに換算するとリン0.5㎏/10a、窒素4.6㎏/10aとなる。

図I 大惣川St.⑨におけるリン・窒素の排出

水稲栽培における施肥基準の概ねは、リン7㎏/10a窒素10㎏/10a程度である。4月末から5月初旬にかけての代掻き・田植えでその半量(元肥)を、7月には半量を出穂をひかえ2~3度に分けて(穂肥)施肥される。5月と7月に排出量が増えるのはそのためであるが、表面排水の比較的多い4月と6月に、排出量がそれ程多くないのは意外に思える。繰り返しになるが、排水路の落差高による水田からの浸透水や暗渠排水による栄養分の流出と、水田土壌による浄化機能とを対比し、水田における栄養分の収支として捕らえる研究が必要である。
圃場整備により水田と排水路との水位に1m程の落差ができた。水田を乾田化するためであるが、そのことによって水田の栄養分が地下浸透によって排水路へと流出する。よって、表面排水、暗渠排水、地下浸透が合わさったものが排水路に流出することになる。表面排水が行われるのは、代掻き・田植えの時期、中干しの時期、突発的な大雨の時に限定される。暗渠排水は、収穫の時期から乾田化のために行われる。地下浸透は圃場整備以前の水田には無かったもので、農家が意図しなくても避けられず漏れ出てしまうものである。
理想的な水田土壌では、土が団粒化し水分や栄養分を保持し、団粒の間隙を水が通り通水性が向上する。保水性と通水性という一見相矛盾する性質を併せ持つ。農業が近代化され、農薬や化学肥料に依存し、また過度の耕起と代掻きによって、土壌構造が悪化し保水性と通水性が劣化している。水田の地力が低下していると言われるのはこのためである。こういった水田では、肥料の成分が流出しやすくなお肥料を増やさなければならなくなる悪循環に陥ってしまう。
不耕起稲作は、近代的な稲作とは相反するため批判されることが多い。その批判の主な内容は、①「耕起しないため土壌の有機質が減少する。」②「肥料を地表にしか散布できないので流出しやすい。」の2点である。私は、こう反論したい。不耕起水田では耕起をしないために、長年にわたる稲の根の腐食質が蓄積する。また、その根が腐食した後にできる孔隙が増え、地表から肥料の成分や酸素を地下に運ぶ。耕起しない間に充実した団粒構造は、これらの栄養分を保持することになる(下図J)。

図J 土壌中の粗孔隙
「乾田不耕起直播栽培」農文協より

このことを確かめるため水田の土壌分析を行った。減水深の大きい水田と小さい水田、不耕起水田(不耕起稲作を3年間継続した圃場)と一般水田(不耕起水田と隣接した圃場)の4つの組み合わせで調査をした。どちらも元々はあまり良い圃場とは言えないものである。採土の位置は、通水の条件を揃えるため圃場中央の排水路側壁から5mとした。
図Kは、4圃場それぞれの深さ50㎝までの土の水分と有機質の量を調べたものである。105℃で強制乾燥しその減量を水分、更に550℃での強熱減量を有機質量(結合水を含む)とした。水分量・有機質量共に乾燥重量を基にした質量比である。
水分量の調査結果より 不耕起水田の両結果を比べると、その傾向がよく似ている。どの深さでも20%から30%の間のほぼ同程度の値を示している。それぞれ一般水田での結果が不耕起稲作を行う以前の姿であったと考えると、減水深の大きな圃場では保水性を向上させ、減水深の小さな圃場では通水性を向上させたと思われる。
有機質量の調査結果より 一般に言われるほど減少していない。むしろ一般水田より増えている部位もある。

図K 不耕起水田と一般水田における水分と有機質の比較

採土したのは収穫を終えた2002/9/23で、土壌改良剤などを散布される前に、稲の収穫後の残留栄養分を調べた(下図L)。PO43-、NO3-共に水溶性であり、保水性の良否によって残留の多少が決まる。
PO43-の調査結果より 減水深の小さい圃場では違いが見られない。元々通水性が悪く、還元条件でリンは水溶性を示し下降により下層に移動しやすくなる。そのため、5㎝程の浅い部位に残留が多い。減水深の大きい圃場では、保水性の良い不耕起水田に多くの残留を確認できる。元々通水性が良いので浅い部位で残留が少ないが、不耕起水田の10㎝から20㎝に多くの残留を確認できる。
NO3-の調査結果より アンモニア態窒素は土壌に吸着されるが、酸化され硝酸態窒素となると下降し下層に移動する。下層で還元条件に変わると窒素ガスとなり空中に放出される。不耕起水田と一般水田でその傾向に大きな違いは無いが、不耕起水田のほぼ全層で若干残留の多さを確認できる。保水性の改善によるものと考える。

図L 水田土壌中の残留栄養分

私の実験水田で不耕起稲作を行ってまだ3年を経過したばかりである。さらに継続することによって、通水性・保水性の改善がどう進行するのかは不明な点が多い。岡山農業試験場の報告よれば、不耕起稲作を20年以上継続した水田において一般水田を上回る収穫を得ていると言う。通水性を保ちながら保水性を改善させることによって、肥料による栄養分の地下浸透による流出をかなり防げるはずである。さらに肥料の節約と健全な稲の生育を得ることができる。
農業の環境負荷が語られる場合、水田の化学性と物理性のみが問題にされる。私がもう一つ問題にしたいのは、生物性である。有機肥料をさして生物性というのではなく、生物体そのものである。収穫を終えた水田を掘ってみると大量の生き物を見ることができる。肉眼で見られる物では、ドジョウ・タニシ・ザリガニなどがいる。収穫後の不耕起水田を5m四方深さ5㎝掘ったところ、ドジョウは掘っている間にどんどん潜ってしまうので実数をつかめないが、約400匹を捕獲できた。10a当たりに換算すると16000匹となる。ドジョウ1匹が5gとすると、80㎏の重量となる。これは、リン1.9㎏窒素2.2㎏に相当する。不耕起水田には冬期にも昆虫類・微生物・植物体などの有機質を含んでおり、かなりの栄養分をもっている。この栄養分は空気中の窒素や他から飛来した物など水田の外からもたらされる物も多くある。栄養分の循環を生物体により積極的に行う研究は、今まさに必要であると考える。

8 まとめ

農業(稲作)の近代化がもたらしたものは、省力と言いながら実際は不必要な農作業の積み上げであった。田植え機を用いるための大型トラクターによる過剰な代掻きとそのために必要となる強い中干し、田植え機で植えやすい弱小な苗のための殺菌剤・殺虫剤・肥料、地力の低下による施肥量の増加、圃場整備によるビオトープとそのネットワークの減少・・・。この悪循環から抜け出す有効な手段が、今最も望まれている。
圃場整備が進行する中、個別の水田の環境より農村環境の保全が研究されるようになってきた。圃場整備によってビオトープのネットワークが寸断されてきていることへの反省からである。環境省のレッドデータブックも推進力となり、多くの市民団体が「田んぼ体験」の活動を始めるようにもなった。
元々不耕起稲作は、稲作の近代化による稲の弱体化を克服するために研究心旺盛な農家のグループが成し遂げた正当な稲作技術である。1998年の大冷害を克服したことで、全国に知られるようになった。県内でも不耕起稲作に取り組む農家が30軒を超えている。日本中の不耕起水田で生物多様性を実現し、佐渡島では朱鷺の餌場のために不耕起水田に冬期湛水している。作物以外の生き物を排除する農法ではなく、生物多様性の中で行われむしろ活用する農法である。時代は環境の世紀と言われ、不耕起稲作が本来の農村環境を取り戻す手段として現時点で唯一であると考える農家が増えてきている。
これまで、農業問題と環境問題は切り離して考えられてきた。農業問題の中での環境に関わる議論と、環境問題の中での農業に関わる議論とは別の場所で行われることが多く、接点を持ちにくい。「田んぼの学校」研究会が言う、「田んぼや水路、ため池、里山などを遊びと学びの場に活用する環境教育」という発想は、現時点での農業問題の側からも環境問題の側からも出てこない。滋賀県の農政課環境部が言う「田んぼの学校」の目的は農業体験である。小学校5年生の教科書を見ても、農業問題は食糧問題として扱い、環境問題では農業(稲作)は一切扱われていない(資料5)。行政は、農業の多面的機能を謳いながら具体的政策の中に反映されないのが残念である。農業の環境負荷をはっきり示した上で環境問題として農業や食料を扱う姿勢が必要である。
圃場整備された水田での慣行稲作による「田んぼの学校」では、ビオトープとは程遠く農業体験しかできないという事情がある。また、地域環境の問題として農業・農村を捉えることのできる市民団体などのサポートが得られるかどうかで、その内容を大きく左右してしまう。「田んぼの学校」の支援は、決して技術支援ではないからである。近江八幡市立北里小学校と「メダカの学校」小田分校が共に取り組んだ「田んぼの学校」は、この学区の地域環境の中で理想的な形で行われたと考える。どのような教育効果があったのかを確かめるすべはないが、五感で感じ取れるような体験はその後の知識理解を支える基礎になるはずである。
不耕起稲作は万能ではない、ネットワークを完全に絶たれた環境に不耕起水田を持ち込んでも、ビオトープとしては不完全である。その地域で絶滅した生物種が復活するわけではない。全国の不耕起水田で生物多様性を実現しているのを見ると、圃場整備された環境の中でごく限られたピンポイントに生き物が生息している様子がうかがえる。絶たれたネットワークをカバーする物があれば、不耕起水田のような場所が数を増やせば、新しい形で農村環境を取り戻せるのではないだろうか。
水田による負の生産物(栄養分の流出、有害ガス(メタンガスや硫化水素)の放出、残留農薬による食の危険性)、正の生産物(浄化能力、温暖化ガスの吸収、安全な食の保障)がきちんと研究された上で、農業の多面的機能が議論されることを期待している。土地改良法の改正は「環境との調和への配慮」に留まっている。農学や生態学、生物学、化学、物理学などがそれぞれの領域を越えて議論されるのを待たなければならないのかも知れない。
学校現場においては、しが5つの教科書で言うところの「田んぼの学校」やナタネ栽培をお荷物扱いしているケースがある。「栽培技術の不足が「田んぼの学校」の障害になるのではないか。」あるいは「農業なんか教わってもいない。何でこんな勉強せんといかんのか。」という間違った認識がある。行政が行っている教員研修も栽培技術に関わるものが中心である。「田んぼの学校」は農業技術を学ぶものでも、収穫量を競うものでもない。私が「田んぼの学校」に関わる人たちに伝えたいのは、
「イネは何千年、何万年の生育歴と物語をもっているのです。自らが育ち、子孫を残す、たくましい力をもっているのです。その育ちの中から学ぶのは私たちの方です。」
ということだけである。このことを教員や子どもたちに伝える『学校における「田んぼの学校」のシステム』を開発することが、私の最終的な目標であるが、これは未だ完成していない。滋賀県の「田んぼの学校」推進事業は、後2年を残している。この事業が終了するまでに完成させることを今後の私の課題として、この論述を閉じる。

9 参考文献

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香川県農業試験場(1999)水田地帯における出水(湧水)の硝酸態窒素濃度の周年変化,四国農業試験場研究成果情報,http://wenarc.naro.affrc.go.jp/skk/seika/H11/skk99043.htm

滋賀県(2001.3)しがの農林水産業平成13年(2001年),滋賀県
滋賀県立琵琶湖博物館による気象データ
滋賀県農政課企画・環境担当による提供資料
近江八幡市環境課による河川水質調査データ
仙台市科学館による水田のリモートセンシングのデータ

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