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短編小説【一郎と一朗】


【壱】

大正11年11月11日生まれの九十九一朗(ツクモイチロー)さんは2021年11月11日で99歳になった。

私がホームヘルパーとして訪問介護をしている担当の方で最高齢。とても元気な方で、お掃除や食事の準備こそ、私がしているが、身の回りのほとんどを丁寧にご自分でなさる。160センチぐらいと男性としては小柄だけれど背筋はピンとしているし、お声もしっかりはっきりしている。

私は週に2回、一朗さんのお宅に訪問している。

私が短大を卒業して、資格を取り、介護の仕事についた、今年の春から、もう半年ほど担当している方。

最初は全然、話しかけても言葉は返ってこなかった。嫌われてるのかなと思ったけれど、ホームヘルパーの先輩に相談した所「少し変わってるけれど、面白い方だよ。」と言われた。

一朗さんはずっと、この古民家に一人で住まれている。私は建物に詳しくないけれど、それはそれは立派で部屋も何部屋もある。ちゃんと掃除をするだけでも大変な大きなお家。

「お金はあるけどなぁ、介護施設や老人ホームには入りたくない。あんなとこに入るから老けてしまうんだよ。」というのが一朗さんと私の初めての会話。

「こんな古い古い家だと地震か何かで崩れて埋もれてしまうよと町の役員さんが来た時に言われたんじゃけど、そん時は家ごと燃やして火葬しておくれよと言ってやったんじゃ。」なんて言うもんだから、縁起でもないこと言わないで下さいよーと私が返すと「芋投げ入れて、焼き芋してもええよ。」と返してくる様な人。

一朗さんはお洒落な方で、綺麗なシャツにジャケット、ハットまで被って近くの商店までお散歩に行かれる。

いつも首にかける小物入れをかけていらっしゃる。

この間、働き出して半年が経った頃。

私にポッキーをどこかで買ってきてくれた。

私がえぇありがとうございますというと、若い人はこういうお菓子が好きだろう?とニニっと笑った。

若いも何も私、もう22歳ですよぉと伝えるとワシからしたら、さっき生まれたぐらいのもんじゃよと、今度はククっと笑った。

折角なのでと、ポッキーをお茶うけに二人で縁側でお話をする事になった。

温かいお茶を入れて、一朗さんと次の担当さんのお宅に向かうまでの時間を過ごす。こうやって何気ないお話をするシチュエーションも必要な仕事だと私は考えている。

私がお茶を注いでお渡しすると、有難うねと1口飲んで  、「身寄りもなく、独りで天涯孤独。ここに住んでるからね。何かあったら、貴女しかワシが死んでるの見つけられないからね。」と珍しく弱気な事を言った。何をバカな事を言ってるんですか、100歳まで生きるんでしょと私も適当に返しながらポッキーの袋をピリッと開けて頬張った。

「貴女ぐらいの時かなぁ。あ、いや、貴女よりはもう少し上かな。30過ぎぐらいの時にな、兄貴が死んだんじゃあ。」と一朗さんが言った。

お兄さんがいらっしゃったのを初めて知った。

「双子の兄貴でなぁ。シシ。サイコロでどっちが兄で、どっちが弟か決めたんじゃよ。」

ポッキーを一朗さんがポキッと噛る。

キィーキキキキキキとモズの高い鳴く声が11月の空を覆った。


【弍】

大正11年。

西暦にして、1922年に九十九一朗さんは産まれた。

大正11年というのは、ポッキーやキャラメルで有名な江崎グリコが2月22日設立した年で、3月3日には歴史の授業で習った全国水平社創立、日本で初めての人権宣言である「水平社宣言」が宣言された年であること、一朗さんが産まれた翌年に関東大震災が起きたんだよと言われて、百年近く生きるというのは凄い事だと実感した。

一朗さんのお母様は未婚のまま、一朗さんとお兄様を産んだ。

お母様は双子の二人を『優劣つけることなく分け隔てなく愛されて育って欲しい。』との想いから【一郎】と【一朗】と名付けた。

全く同じ字では役所からOKを貰えず、【郎】と【朗】の字を変えて、二人に名を授けた。

そして、どちらを兄、どちらを弟と決めずに育てたのだという。

当時も今も双子のどちらが兄かというのは『母のお腹から、先に産まれた方が兄』と法律で定められている。時折、産婆が『奥に居る子が兄である』という事もあると一朗さんが教えてくれた。

そういったルール無視でどちらも兄とも弟ともせず、同音異義名として育てる等というのは自分達以外に聞いたことがないとも。

私が「えっと、一朗さんは御兄弟を何と呼ばれてたんですか?」と聞くと「そりゃ、イチローと呼んでたよ。」と。

「えっと、じゃあ、御兄弟は。えっと、一朗さんを何と呼ばれてたんですか?」と聞くと「そりゃだから、イチローと呼んでたよ。互いに知り合いにイチローは相手しか居なかったから。」と教えてくれた。

二人で少し笑った。

「母ちゃんはワシらが11歳の時に亡くなったんかなぁ。1933年。それはそれは苦労させたから疲れてもうてなぁ。住む家にも困ったな。大きい持ち家が欲しい欲しいゆうてなぁ母ちゃん。そんなん叶わんまま、死んでもうた。それからちょっとして戦争になってな。ワシらは頑張って頑張って生きたよ。1945年の8月、ワシらが22歳の時に戦争が終わった。何とか二人で生き延びられた喜びと誰にも頼れない不安が大きくなった頃。ワシらには母ちゃんが住みたかった大きい家買うって夢が出来た。そんなもん夢もまた夢みたいな時代に商売してな。あんまり大きい声で言えない仕事もしたんじゃ。」と遠くを見ながら一朗さんが言う。

私からしたら、ファンタジーのような時代は一朗さんの脳裏には、ちゃんと現実としてあるのだ。それを給料を貰いながら、お茶を飲みながら聞いている平和な令和の時代にふと意識が戻り、安心なのか不安なのかわからない気持ちになった。

お茶を一口啜り、「一郎さんは、えっと、お兄さん。一郎さんをお兄さんって言ってましたよね。私ぐらいの時に亡くなったって。さ、サイコロ?」

「そうそう。サイコロでどっちが兄か弟か決めようとなった。ワシがな言うたんよ。母が望んだ通り、ワシらは顔も声も性格も似ていた。」

「お母様が望んだ通り、分け隔てなく同じように育ったんですね。」

「そう。でもなぁ。ワシはどこかで一郎がいつも、ワシの事をかばって、しんどいところをやってくれている様に感じていたんじゃな。兄が弟にするような。それを、ずっと頼もしくもあり、悔しくもあった。そんなワシの心境の変化を一郎も感じてたいたのか、すこーしずつ距離感ができてきた。」

二人で激動の時代を生きていく中で自然と出来た関係性と、お母様に与えて貰った関係性に戸惑っていたと言うことなんだろうか。

「足の速さも、勉強も。好きになる女も一緒やったからな。ワシらは全部一緒やった。自分のような一郎が好きで憎くて。差が欲しかったんよ。違いが欲しくなってた。双子なんてのは同じやからええのに、出来れば一郎よりワシはいつからかなんでもエエから優れている所や違いが欲しくなっていた。」

「それでサイコロ?」

「そう。運だけは二人が唯一、違う気がしてな。」

「一郎さんはそんな話にのってくれたの?」

「一郎も博打は好きやったからな。ええなぁ、ゾロ目が先に出た方が兄貴やぁって、笑いながらのってきたわ。」

シシっと一朗さんが笑い、ポッキーをまたポキッと食べた。

「それやのに。アイツ。イカサマしよってなぁ。」

一朗さんが、首にいつもかけている小物入れを首から外し、中から古いサイコロを三つ出した。

振ってごらんと一朗さんに言われた。

言われるがまま、三つのサイコロを振るとコロコロと転がって、壱の目が天を向いた。

【参】

私は驚いて、きゃあっと叫んでいた。

「おー。ピンゾロ。216回に1回しか出ないぞー。すごいすごい。もう一回振ってごらん。」

私がもう一回、三つのサイコロを振るとまた三つとも壱の目がでた。また、ピンゾロ。

「え。これ。えっと。」

「イカサマじゃよ。イカサマサイコロ。適当に振るとな、重心が傾いてて壱の目が出る。でもこうやって振ると…。」

一朗さんがサイコロをふると三、四、六とバラバラの目が出た。

「壱以外の目も出せる。イカサマ。細工したサイコロ。」

「これは、一朗さんが作ったの?貴方が作ったの?その亡くなった一郎さんとのサイコロ勝負で、どうしても兄になりたくて作ったの?」

私の質問を聞いてククと一郎さんが笑った。

「そう思うわなぁ。そうじゃないんじゃよ。兄貴が。一郎がこれを持ってきよった。」

「え。なんのために?」

「ワシが。『弟が、兄になりたがった』からじゃろよ、きっと。はっきりサイコロで良いから決めようとワシが持ちかけて、数日待ってくれるなら良いと言われてなぁ。その時準備したんやろ。ワシらは商売してたからな。どっかからみつけてきたんやろ。」

「弟が兄になりたいって想いを叶えてあげるためにイカサマしてくれたってこと??」

「多分そうじゃなぁ。一郎からサイコロを振らせろって言って。強い役が勝ちだってルールまで決めて。適当なブタの役を出して、ワシにイカサマでピンゾロ出させて兄貴にならせよった。」

双子の片割れの。唯一の家族の願いを叶えるためにそうしたのであれば。それはイカサマという言葉では少し足りてないと思った。

一朗さんがサイコロを手の中でコロコロとさせている。

「勝負に勝って嬉しかった。自分が兄なんだ。優れてるんだって。その後になぁ、一朗はすぐに事故で亡くなって。急に、自分の半分をえん魔様に持ってかれたよう様な気がしたよ。アイツの部屋を片付けてたら、このサイコロが出てきて。何気なく振ってみたらピンゾロ。ピンゾロ。ピンゾロ。なんだ、やられた。アイツの大きさと言うか、優しさに気がついてなかったじゃあないかって。嗚呼。一郎のがよっぽど、ワシなんかより兄貴だったんじゃなぁって気がついてな。シシ。形見としてずっともってるんじゃなぁワシは。サイコロをなぁ。」

お茶をひとすすりして、一朗さんはサイコロを首の小物入れに戻した。

【四】

PM3:33。

時計を見て、次のお宅に行く時間が近づいてて、驚いた。

すっかり、私は一朗さんの話に聞き入ってしまっていたらしい。

慌ててお茶碗を洗いながら「次は金曜日に来ますね。」と言うと、それまで生きてたら、兄貴の墓の掃除一緒にしてくれるか?と言われたので是非是非と答えた。

何とかもう一軒のお宅での訪問介護も終えて夕暮れ、帰宅。

何だか、凄い話を聞いた様に思えて、ホームヘルパーの先輩に『九十九一朗さんの所に、この半年行ってるんだけれど、初めてこんな身の上話をしてくれてねぇ。』とLINEをした。

誰かと共有したい良い話だと思ったから。

すると。

「あ!その話、作り話だよ。新しい人来たら絶対にいつかする作り話。面白いよねぇ名作【一郎と一朗】。サイコロ出てきた所でグワッて信じちゃうよね。大体、何十年もさ、サイコロ持ってられる??あれ、わざわざ自分で作ったサイコロらしいよ!オチャメと言うかジョーク好きなお洒落な人でお話作っては話してくれるんだよー。双子のお兄さん?あぁ、それはいるよ、隣町で普通にピンピンしてるよ!天涯孤独??いや、孫もひ孫もめちゃくちゃいるわ!あ、でもね、名前は一郎と一朗なんだよねーややこー。」

あのジジイ。絶対しばく。茶もしばく。