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雑記|聞こえないから聞こえたコトバ

ストレスを感じると左耳が痛くなる様になった。
聞こえてはいる。なんならば、音は強く鋭く入ってきてる。

幾つかの重ための仕事が終わり、家路に着いていると、音は適正になり、痛みも消えていた。痛み止めが切れる時間にそうなったモノで、やはり、ストレスだったのかなと思うのに少し時間が必要だった。

ネガティブなことではなく、そりゃまぁそうかという印象。半年一年前からは想像出来ない予算感や世界観のところに、届きかけている。書き上げるだとか、プレゼンというか演出というか人に伝えに行く時に震えたり怖かったりしていない分を耳が受け持ってくれているのだろう。

緊張をしなくなった代わりの痛み。これを忘れない様に、レーダーとしての役割として担ってくれている。

幾つか、新しい媒体やアカウントでの書き仕事の依頼が来た。もうあまり、自ら拡がろうとはしなくて良いのかもしれない。一旦あるモノを形にする。とかいいつつ、二人芝居をやる。九月末か。舞台に立つ事こそ本流である。

眠れない夜をちゃんと向き合いなさい的な事を人に言った。大事だよねと自分にうなづいた。

漫画や本を買ったし、アマプラもいくらか開いた。自分に余裕が出てきたのだと感じる。夏になり汗をかく。汗をかく程度には自律神経だか交感神経だかが機能してくれている。

生活の中に答えはある。

自分の書いた話を誰かが演じて、誰かが形にして、誰かが、観てくれる。それが目的なのであって、手段ではない。あるとするなれば、まだこんな素敵な出来事が行える様に強く大きく早くなりたい。

大人になることは悪いことじゃない。
諦めることは悪いことじゃない。
私という生き物になるということ。
歪さを受け入れて、生まれる何かを誰かに与える。それが永遠というモノだろう。

もう夏終わりでいいかもなんて言ったら、もう少し夏らしいモノ食べてから夏終わりにしましょ?と君が言った。じゃあ、焼きとうもろこしかなって思えたから、少しだけ明日が香ばしくなった。