追悼 志村けんさん
新型コロナウィルスによる肺炎で
志村けんさんが逝去されました。
こんなにもあっけなく、この世からいなくなるなんて。
驚きと悲しみ、喪失感が一気に襲ってきました。
僕が子供のころ土曜日夜8時は
必ずテレビを観なければなりませんでした。
翌日、友達との話題についていけなくなるからです。
「ドリフターズの8時だよ!全員集合」
練りに練ったコントに、アイドルの歌謡ショー、
少年少女合唱隊に体操コーナーなど
60分間ずっと目が離せない極上のバラエティ番組でした。
テレビマンになって番組を振り返ると
信じられないことばかりでした。
あのクオリティの内容を生放送、
一発勝負でやっていたからです。
大掛かりな舞台装置と入念に練ったコントは
リハーサルを積み重ねリアルタイムで演じていました。
生放送ならではのトラブルもよく起きました。
会場が停電になって懐中電灯で顔を照らしながら放送した回は
小学生だった僕も子供ながらに
「これ、大丈夫???」と思いながら観ていました。
家のセットがカトちゃんのくしゃみ一つで崩れ去るなど
毎回アッと驚く仕掛けがありました。
しかも、いかりやさんの「ダメだ!こりゃ!」の一言で
美術セットが回転してあっという間に
アイドルの歌謡ショーが始まるのです。
そんなすごいことを当たり前にこなしていた怪物番組が
「8時だよ!全員集合」でした。
テレビに熱狂し、ワクワクドキドキ、時にハラハラもする番組は
後にも先にも「8時だよ!全員集合」だけでした。
その絶対的スターが志村けんさんでした。
ドリフのメンバーで演じるコントに「志村!うしろ!」と
テレビ画面に向かって叫んだり、
少年少女合唱隊で白鳥を股間に従えた志村と
「いっちょ目いっちょ目、ワオ!」と
東村山音頭を一緒に踊ったり。
全国の小学生たちがみな
志村けんさんのとりこになった時代です。
ドリフターズでは一番年下だったそうですが、
子供たちにとっては一番の兄貴的存在だった志村さん。
悪いこと、やっちゃダメなこと、そんな単純な垣根ではなく、一緒になって飛び越えてくれる。だからこそ僕らは志村けんに惚れたんです。
彼が生み出す数々のギャグやコントの根底には
喜劇職人としての造詣の深さ、貪欲さがあったといいます。
例えば、加藤茶さんとのコンビ「ひげダンス」の音楽に、
ソウルミュージックが好きだった志村さんが
テディ・ペンダーグラスの「Do Me」のリフを
ループさせることを発案したり、
英語の一人称変格「I,my,me,mine」を
ビートルズの曲「I ME MINE」にヒントを得て
「アー・ミー・マー」というギャグを作ったり、
ギャグやコントを通じて
お洒落で大人の世界を子供たちに垣間見せてくれました。
また「カラス〜なぜなくの?カラスの勝手でしょ!」
というギャグは、
近所の小学生たちがふざけて歌っていたのを
目ざとく見つけて流行らせるなど、
常に子供目線で何がウケるのかを貪欲に探究した
芸人でもありました。
仕事をご一緒したことはありませんが、
一流であり第一線を走り続けた志村さんから
学びたいことはたくさんあります。
僭越ながら一緒にお酒を酌み交わし演出論など教えてもらいたかった。
テレビの未来を語っていただきたかった。
もうその夢がかなうことはありません。
アカン、書いているうちに泣けてきた。
僕たちのヒーロー、志村けんさん。
本当に偉大な人を失いました。
心からお悔やみ申し上げます。
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