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一生の病気をしたハナシ【前編】

自分に対し興味が無いと言えば嘘にはなるが、まぁ子どもがいる人って自分のこと後回しになりがちだと思うんよ。

飯食うのだって作りたての食事が気づけば冷や飯になり、着替えるのだってメイクをするんだってマジ一苦労で、座ることも忘れてずーっと家でも立ちっぱで「はい飲み物ね~」「はいオムツね~」とか言いながらアッチコッチ動いてさ、挙句の果てに髪の毛すらとかす時間が無い。
プラス仕事なんてしていれば、朝から晩までお祭り騒ぎの戦争ワッショイ。

私は外に甘えるのが苦手な人間だと自負している。「自分でした方が早ぇーだろ」って、全部自分で済ませてしまう、人に頼らない。頼れない。

だから──って訳では無いのは分かっているし、これはもう自分を責めることを止めたんだが、そんな忙しなく動いている自分だったから後期流産、まぁ死産になってしまったんだと。すげえ思って思って何度も思ってさ。

普段の私からは誰も想像はつかないと思うが、病院で狂うほど泣いたし、ちゃんと抱けるほど大きかった息子を目にし「元気に産まれるのが当たり前だと思ってた──」としか言いようがなかったんよ。

この話がまぁ……去年の話、会社勤める前かね。また詳しく書ける日が来たら書くかね。重い話をスマンな。

さて、それがキッカケのひとつではあるらしい?  んだが。2021年12月、家で呼吸困難と激しい動悸で救急車で運ばれ、そのまんま入院。
その運ばれた病院に、たまったま専門医が居たおかげで病名がすぐわかったのよ。
『甲状腺機能亢進症』……バセドウ病とやらが。

前述したとおり、運ばれた時はとんでもねぇ動悸(心臓がバックバク)で呼吸も上手くできず、そして身体の痺れに意識モーロー。
心電図、レントゲン、血液検査とかなんか色々ひと通りやって。

入院時した簡易血液検査の結果w

そん時担当してくれた女医さんが「甲状腺ホルモンの値がかな~り高過ぎるので家に帰せないわァ……入院してねッ?」って言ってきて、そのまま入院になった流れね。
その時の私は女医さんのエロい言い方に頭いっぱいになって『コージョーセン』っていう言葉がよくわからんかったけど。

からの詳しく再検査からの入院して数日後かな、甲状腺の専門医が担当になったと挨拶があった後、説明してくれて。

「これは甲状腺亢進症……要するに『バセドウ病』という病気ですね!  珍しくは無いんだけど、一生お付き合いしなきゃならない病気なんですよ~」と。

なんか響きが怖い病気だな、なんやねんそれ。と思って話を聞き続けていたらまぁ。
甲状腺ホルモンが過剰に出てしまって新陳代謝がメッチャよくなる病気なんだと。
目玉飛び出すとか、喉仏の下にある甲状腺が腫れるとか、動悸が酷くなったりする病気で有名だとか云々。

「(私の場合は)病院に運ばれてきた時『甲状腺クリーゼ』という重い症状の1歩手前だったので相当苦しかったと思います……結構数値が悪かったので本当に気づけてよかったし、救急車を呼んで正解でしたね!」

と。甲状腺クリーゼっつーのは、甲状腺ホルモンの濃度が高くなっている=甲状腺中毒症状態で、緊急治療をしないとヤベぇ状態のことだと。ガチで死ぬやつだったよと。

まぁそっから症状について細か~く確認されたわけよ。

〇手の震えはあったか?
→そういえば手が震えて文字が書けなかった。

〇動悸はあったか?
→運ばれた時が初めて

〇汗をよくかいてなかったか?
→ワンピースを着てる時に足元に垂れるくらい、全身から汗が吹き出すことがよくあった。

〇食欲に対して体重の減少があったか?
→めっちゃお腹減って超食うのに、確かに体重が5kg単位とかで朝晩変わった。

〇息切れよくしなかったか?
→家にあるちょっとした階段(10数段)でさえ死ねる勢いでハァハァした。

〇疲れやすいなどはなかったか?
→子どもの抱っこが長時間出来なくなって変だなとは内心思っていたし、夜は立ち上がれないくらい身体が重くなっていた。
し、電車に乗る度目眩が酷すぎて下車したりなどもあった。

〇精神的不安や落ち着かない、イライラすることは増えていないか?
→自分では自覚がなかったが家族から指摘されることが度々あった。

〇トイレが近かったり、お腹が緩くなかったか?
→昔っからそうだから何とも言えない。でも下痢はマスト。

〇喉がよく乾かなかったか?
→会社にいる時間は500mlのペットボトルを最低3本は飲んでた。すぐ喉が渇く感じがする。

──って答えた後に担当医は「フルコンボですねw」と。
フルコンボって響きなんかいいっすね、なんて笑って話した。

窓際景色よかった思い出

そっからまぁ超端折るけど「絶対安静で」って言われてモニターつけて、トイレさえ看護師さんが同行してくれて、風呂もダメだっつーし、コロナ禍真っ最中だから面会もできなくて、寂しくて天井の虫みたいな柄をひたすら数えたり。

ボケた婆さんが隣のベッドにいたんだが「いつ帰れるんですか……帰りたい……」って毎晩泣いたり「ア゙ア゙ア゙ア゙ア゙!!」って叫び出すの聞いたり。
対面のベッドのおばちゃんは呼吸器みたいなのつけててダース・ベイダーっつうかウォーズマンの過呼吸Ver.みたいなね。時々排水溝みたいな呼吸音になるから怖くなって幸子(親)に電話したり。

まぁそんな賑やかな病室だったので、イヤフォンして勇者ヨシヒコ全シーズン見直したりもしたよね。

そんな数日間を過ごしました。

主人「病院代貸しだから」って言われイラついたわ

入院14日間は必須って言われたけど、1週間もしないうちに退院したよね「1ヶ月は絶対安静」ということを約束に。

まぁ──正直病気を甘く見てたわけっすよ、私。
「大したことねーじゃん、運ばれた時以来、病院で何も起きなかったし……」って。

退院して蒲田の家系ラーメン食いに行った私はそんなアホなこと思ったわけだよ。

長くなったんで次で終わらせっか、話。

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