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納得と発見のある道徳科 要約

道徳科の学びを深めるために
○「納得」と「発見」のある道徳科の授業を ー「プラス思考」で進めるー
・「考え、議論する道徳」で「納得」と「発見」を
道徳科で行うのは、子どもたちが、道徳的価値についての見方や感じ方、考え方について、自分事として積極的に考え、友達をはじめとする他者の考え方と比べながら、自らの生き方を広げ、深める学習である。
・これまでの道徳の時間
受け身の授業で、子どもたちよりも教師の方が目立つ授業
①分かり切ったことを言わせたり書かせたりする授業
②登場人物の心情理解に偏る授業
克服するために
→子どもたちが自分事として頭をフル回転させ、友達と考えを交流しながら、「納得」や「発見」がある、魅力的な授業を展開することが大切である。

・「プラス思考」で進める
「納得」と「発見」とは、思い当たる節があるのだけど、自分は気づいていなかったことに、新たに気づくことである。つまり、気づいたことは、もともと自分の中にあったことである。ここに「プラス思考」の大切さがある。多くの道徳科の授業は、「この子たちには○○の心が欠けているから」などと「マイナス思考」になりがちである。「マイナス思考」は「伝達型」の道徳科の授業へと進みがちである。

・子どもたちに育ってきている「豊かな心」に気づかせる
道徳科の授業は、子どもたちに「ないもの」を身に付けさせようとするものではない。子どもたちの心の中に育ってきているタイミングを見計らい、その「豊かな心」に気づかせるものである。

・教育活動全体で進める
道徳科が魅力的な授業となるためには、教育活動全体での取り組みも、とても重要である。教育活動全体での道徳教育は、「体験による道徳教育」でもある。一方、道徳科の授業は、「考え合いによる道徳教育」の時間である。道徳の内容を取り上げ、その意味や意義について考え合う。したがって、教育活動全体に相当する「普段」から、道徳教育を意識しながらそれぞれの教科等や休み時間などの指導をしておくことで、子どもたちの心を育てる様々な機会をつくり、その中で貯め込まれた「豊かな心」を、道徳科で考え合うことによって自覚できるようにする。

○道徳性を養い、深い学びを導く ー氷山の三層モデルで考えるー
・「道徳性を養う」ことを外さない
道徳科は「道徳性を養う」時間であることを外さない。「道徳性」とは、「自己の生き方を考え、主体的な判断の下に行動し、自立した人間として他者と共によりよく生きるための基盤となる」もの。道徳的価値を実現するための適切な行為を主体的に選択し実践することができるような内面的資質に相当する。
氷山でイメージ

・道徳性を養い、自立を目指す
「道徳性を養う」とは、物事に対する考え方、感じ方、生き方を多様にすることである。道徳科や道徳教育は、子どもたちが自分の頭でしっかりと深く考え、行動する「自立」を目指すものである。

・「主体的・対話的で深い学び」のある授業を
克服すべき課題は、①分かり切ったことを言わせたり書かせたりする授業、②登場人物の心情理解に偏る授業です。そして、「教師が伝える」「教師がしゃべり過ぎる」という教師中心の伝達型の授業です。これを「考え、議論する道徳」すなわち、「主体的・対話的で深い学び」の授業で克服する必要がある。
なぜ「主体的」「対話的」が大事なのか。それは、受け身の学習よりも能動的な学習のほうが深く学べるからであり、学びは必ず、人との間で起こるからである。
ここで最も大切なことがある。それは、「主体的・対話的な授業」を通して、一人ひとりの子どもに「深い学び」が生まれるかどうかです。子どもたちが「納得」と「発見」の実感を得られる授業こそ、「深い学び」が得られる授業である。

・三つのレベルを意識しよう!
「深い学び」のための工夫。氷山モデルを、授業レベルで考える。

状況理解レベル
氷山の水面より上の見えている部分は、授業で言えば教材に書かれている部分で、読めば分かることである。ここは授業をするところではない。ただ、紛らわしいのは、この状況の部分を子どもたちが分かっていなければ、道徳科の授業は始まらないということである。よって、教師が手立てや工夫することが必要である。教師が気持ちを込めて範読をする。難しい用語が出てきたら説明する。挿絵を使って状況理解を助ける。追いたい登場人物の名前を大きく書くなど。他にも朝読の時間などに読み聞かせをするといった工夫がある。

心情理解レベル
登場人物は、どのようなことを考えたのか、あるいは、どんな気持ちだったのかをみんなで考える。道徳性は、心の内面であることから、心の中へと入っていく。このとき、「教材」を使っていることの効果がでる。「教材」という共通の土俵で、登場人物に自分を重ねて考え、意見を交流しますから、まさに、心の中に話し合いの中心が定まる。登場人物の心の中として発言していても、実は、それぞれの子ども自身の心の中から発言されているのである。つまり、それぞれが「自己を見つめ」ながら、話し合いに参加できるということである。ただし、授業がこの心情理解レベルに留まると、登場人物の心情理解に偏る授業となり課題となってしまう。

道徳的価値レベル
登場人物の感じたことや考えたことの中に、道徳的価値についての見方、感じ方、考え方が隠れている。これを明らかにすることが、まさに道徳科の目標とするところであり、授業のねらいに当たる。この氷山モデルの第三層を、子どもの言葉で想定し、その内容について話し合う授業に近付くことができるのかが「深い学びの鍵」になる。

○目指すのは「居酒屋の授業」ー「学習者は子ども」を大切にー
・「学習者は子ども」という考え方を大切に
「学習者は子ども」「教師がしゃべらない授業」という考え方は、「答えは子どもたちの中にある」という、プラス思考の考えから生まれてくるものである。このプラス思考の考え方や姿勢を貫くことこそ、「考え、議論する道徳」「主体的・対話的で深い学び」のある授業の実現につながる。

・「教師がしゃべらない授業」は、保育を手本に
保育は、教師が一方的にしゃべって進めてはいけません。保育は、教師が直接しゃべって指示を出すのではなく、「環境」をつくることである。教師は、「できないフリ」をすることで、子どもたちが思わず取り組みたく環境をつくり、その気にさせている。

・教師が「分からないフリ」を演じる
例えば、ある子が「自分にとって大切だった」と言ったとすると、教師は「〜という意味で、自分にとって大切だと言ったのですよ。わかりますか?」と、子どもの考えを、よかれと思って、教師が説明する授業になりがちである。そうではなく、「『自分にとって』とは、どういうこと?もう少し詳しく教えて」と本人に問い返すことが大切である。そして、子どもが説明したのを受け、まだ分からないフリをして、今度は、「えっ。みんなは分かった?」と、他の子どもたちに問いかける。そうすると他の子どもが説明するようになる。このような問い返しができる教師は、発言している子どもの方を見ながら、その一方で、うなづいている子どもを探している。うなづいている子どもを巻き込みどんどん広げていくことができます。さらに「何を書いたらいいかな?」と、板書さえも分からないフリを演じる。
つまり、教師が説明してしまうのではなく、ねらいにつながる意見やつぶやきが出たら、さりげなくすっと立ち止まり、分からないフリをしながら、子どもたちにどんどんと発言させる場をつくる。そして、じっくりと考えさせ、周りの子どもたちを、最大の理解者にし、「納得」と「発見」へとつなぐ。

・道徳科の授業は「上」「下」「前」「横」?
「下を見る」授業は、ひたすら教科書の中から答えを見つけようとする授業。「前を見る」授業は、ひたすら教師がしゃべっている伝達型の授業。「上を見る(天井を見ている)」授業は、子どもちが自分のこれまでの経験や考えを振り返っている授業。さらに「横を見る」授業は友達の考えに強く関心をもっている授業である。
道徳科の授業で子どもたちが考えることは、一人ひとりの心の中にある。そしてその自分の考えと、友達をはじめ他者の考えとの違いを比べる。つまり、道徳科の授業では、「上を見て、横を見る」授業が、「自分ごととして主体的に考え、自分や他者と楽しそうに対話する」授業、すなわち、「主体的・対話的」な授業となる。

・こどもの頭の中に「?」が立つ問いを
教師がしゃべらず、子どもたちがどんどん活躍する授業には、質の高い「問い」が必要である。子どもたちが「えっ?確かにどうしてだろう?」と考え込む「?」が生まれる問いである。「?」が頭の中で現れた子どもたちの目線は、自然と天井に向かう。また、子どもたちが思わず隣の友達に相談したくなる問いも、道徳科では重要である。それができるように道徳科は、子どもたちの机をくっつけて並べることが効果的である。

・めあてを立てよう!
授業の導入の段階で、子どもたちに「めあて」を示す授業が増えてきている。このことはとても重要なことである。授業の目的を主人公である子どもたちが分かっているかどうかは、大事になことである。「めあて」は道徳の内容を漠然と示すものと「問い」として示すものがある。例えば、前者は「規則について考えよう」というもの。後者は「規則を守ることは、なぜ大切なのだろう」というもの。後者の方が、子どもたちは何を考えるかが分かる。そして、問題意識をもって臨むことができる。さらに、「問い」として示す「めあて」は、授業がブレるのを防ぐ。
めあてを立てた場合、それを軸に授業を展開することが大事である。よって、範読後の第一声は、「規則を守ることの大切さが分かりそうかな」と問いたい。「登場人物は誰ですか」と問う教師の都合の問いではなく、学びの主人公が子どもたちとなっている授業には大切なことである。しかしながら、中学生なら忖度してしてしまうのではないかという意見があるが、その忖度を超える「納得」と「発見」があればよい。

・板書は授業のメルマーク(指標)

板書①は、内容が場面ごとに主人公が感じたことや考えたことが整理して書かれているだけ。規則の尊重の授業なのに、「きまり」「ルール」といった言葉がない。一方、板書②は、「きまり」について考えたあとが、キーワードをうまく使い、しっかり示されている。よい板書を計画することは、「深い学び」をつくる上でとても大切なことである。

・授業のまとめも「学習者は子ども」の考えを
まとめの課題として、みんなで何を考えたのか分からないまま、先生の言葉でまとめてしまうことがあることである。
上手なまとめをする先生は、子どもの言葉を使ってまとめる。まとめをする段階は、授業の「終末」に当たるところ。子どもたちの言葉でまとめ、子どもたちの手柄とするためには、終末に入るまでに、子どもたちの中に「納得」と「発見」がなければならない。つまり、中心発問でねらいに迫っていかなければならない。中心発問でねらいに迫るためには、授業開始から20分ほどで中心発問に入る必要がある。

・「居酒屋の授業」で点から線、線から面に!
ワイワイ、ガヤガヤと意見を出し合うなかで、みんなで一体となり、ある子どもの発言に「おおっー」「なるほどねっ」と感嘆の声がでたり、ちょっとしたつぶやきから授業が展開するような授業が大切であり、「居酒屋」のような授業である。
一人の発言という「点」が、それに関心をもつ友達とつながって「線」になり、そのやりとりが学級全体の関心事となって「面」となり学級全体で追求していく授業である。
ただし、このような授業は、子どもたちの学びをうまくコーディネートする力が、教師に求められる。

○評価は「愛好家同士のほめ合い」で ー道徳科の個人内評価ー
・「真価を認めて励ます」評価
評価には、大きく分けて三つの種類がある。
(1)evaluationの評価
(2)assessmentの評価
(3)appreciationの評価
(1)は「値踏み」の評価である。値打ちの程度を評価する。(2)は「診断」の評価です。お医者さんがする評価である。(3)は「真価を認めて励ます」評価である。ワクワクしながらよさを見つける評価で、最近、注目されつつある。
(3)の評価は、同じ趣味をもつ愛好家に受ける評価のようなものである。道徳科の評価は、この(3)の「真価を認めて励ます」評価である。

・「特別の教科 道徳」の評価は各教科とは違う
まず、他の教科と「特別の教科 道徳」である道徳科とは、評価の仕方が違う。教科の目標は、ほとんどが到達目標である。一方、道徳科の目標は、方向目標である。目標に向かって近付いていくことを目標としている。道徳科で目標とすることは、達成するのではなく、生涯をかけて、追求していくものである。では、何を評価するかというと、道徳科における子どもの学習状況や達成の様子を、より多面的・多角的な見方へと発展しているか、道徳的価値の理解を自分自身との関わりの中で深めているかといった点を重視しながら見取るのである。つまり、その子どもをなりに、どれだけ一生懸命考えようとしたのかを評価するということである。評価基準がないので、当然、一人ひとり違う。したがって、記述式の個人内評価となる。子どもの道徳性を評価するのではない、道徳の内容を理解できたかどうかを評価するのではない。

・通知表は?指導要領は?
通知表については、多く使われている形式として、二段構成になっていて、第一段落目は、大くくりなまとまりで表現する。そして、第二段落目には、その具体例を挙げている。
(例)
 道徳科での発言は控えめでしたが、友達の意見をしっかりと聞き、納得した様子で何度もうなずきながら考えていました。
 例えば、「寛容」の授業では、友達の意見を聞きながら、「自分と違った意見や考えは、自分の考え方を広げてくれるから大切だ」などとノートに書いていました。
そして、指導要領には、通知表の第一段落目を書くと良い。 

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