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「守・破・離」がしたいのに! 【活動報告】10/16

作品の形式がフィックス出来ないで未だに悪戦苦闘しています。
テキスト+ビジュアルの形式の作品を今年の3月から始めました。
差分の多さが楽しみのCG集とも違う感じで、テキストを楽しめるヴィジュアルノベル的なものをイメージしてします。
これが悩みます。
フォントの種類は?文字のサイズ、色、見せ方は?イラストはどれぐらい入れた方がいい?無限に疑問が出ます。
実に憂鬱です。

今の悩みの原因はテキスト+ビジュアル形式の作品の完コピしたいお手本を見つけられていないことです。
デジタルコンテンツではまだまだ経験不足のくせに自己流に陥っていることです。

まずはお手本になるものを見つけて、最初は完全に真似をするのが、物事を学ぶうえでの王道であります。
「守・破・離」ですね。
自己流ではなく、師匠・お手本の完コピから始めること。
他流を学ぶのは師匠の完コピができるようになってから。
自分流派そのさらにあとで。

この成長の過程は芸道武道に限らず、何事にも共通するようです。
例えば多くのビジネスの教えでも、お手本を丸パクリせよ!は繰り返し登場します。

イラストでもそうです。
さいとうなおき先生の3カ月上達法。
お手本になる描き手を一人定めて、そのお手本の描き手になり切って3カ月の間ひたすら描く。自分の個性やクセは封印、成り切る。
そのハードな3カ月後には自分の絵が見違えるように上手くなっているというもの。
僕自身は実践してみたことはありませんが、この上達法が有効なものであることは経験的にまったく納得出来ます。

重要なのは表面的なスタイルや技術的なことだけでなく、その基盤となる考え方をも含めて学ぶことにあります。
だからこそ最初の段階では自分の考えを入れないこと、自分を捨てて模倣に徹することが重要になります。

若い時代によくあるのが、あこがれの偉人やスターの真似をすることです。
心の師。あこがれの誰かになり切った振る舞いをする。服装やしゃべり方まで影響を受ける。
読者の皆様にもひとつやふたつ身に覚えがあると思います。
イタい黒歴史として封印されがちですが、あれは心が一生懸命に成長を求めていたのでしょうね。

思えば、自分は漫画の師匠を持ちませんでした。
見様見真似だけで漫画の描き方を身に着けてきました。
一生の友人を得ることはしあわせなことであるが、一生の師を得ることはさらにしあわせである。
どこかでそんな言葉を読んだ記憶があります。
この歳になっても「先生」がいる人を羨ましく感じます。

●【エスカレーション0】〈聖なる串刺し乙女〉の制作。
パッケージ、サムネイル、サンプル画像。
Fantiaで記事投稿した〈讃美歌地獄〉〈巨根聖女〉〈喉処女喪失〉の3つをテキスト+ビジュアルのコンテンツにまとめます。ショート作品の試作。

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