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いちばん好きな酒の肴

えー、六本木の奥のデカいほうでしょ? そうそう、あたらしいほう。 最近行ってないわあ、あのクラブにいる男、すぐキスしてこない? あーイメージわかる! まじ謎の欧米化だよね。キスくらいいいっちゃいいんだけど、面倒なんだよね。ああね、その後の身の危険ありありっていうか。でも音楽はいいけどねー。

——終電の過ぎ去った最寄り駅の飲み屋で、そんな女性同士の会話が立ち飲みカウンターの隣からきこえてきた。ちらっと見ると、若い男女三人グループ。日本酒のおちょこを手にひとりで飲んでいたわたしは、耳ダンボになった(耳ダンボ、死語かもしれないけど妙にしっくりきてしまう)。

ひとしきりクラブ話に花を咲かせ、男性が好きというアーティストを女性ふたりで「ダセえ」とdisり、男女の嫉妬表現の話、合コンの話、ヤリ逃げスキルの話、最終的には「同棲してた彼女と3ヶ月セックスレスで別れた話」になった。

ああおもしろいと、ほくほくする。「若いなあ」と感じかけ、いや年齢とか未婚既婚だとかそういった属性の問題ではない、と思い直す。

このほくほくは自分とは違う人生を垣間見られる興奮で、異文化体験に対するよろこびだ。

だいたい、女性たちは25歳、男性は29歳らしいけど、わたしが25歳のときもたぶんこういう感じではなかった。「あっち側」で生きてこなかった、という感覚があるのだ。

2,3回クラブに行ったもののたのしみ方がわからず仕舞いで(台湾で行ったせいかもしれないけど)、やり逃げされたこともセックスレスで同棲解消したこともない。

だからこそ、耳は左側男女3人グループに向かってダンボになる。

それは、小説を読むとき、ドラマを観るときと近い好奇心だと思う。もしかしたら、最近の自己啓発本も同じかもしれない。

自分が選んでこなかった人生を、刺激的な人生を覗き見したい。想像したい。追体験したい。そしてまだ間に合うものがあるなら、得られるものがあるなら自分も手にしてみたいって。

男女三人グループは、またクラブの話に戻った。彼らはわたしが知らない、クラブのたのしさを知っている。それは、とても豊かだ。

彼らがあまりにたのしそうで、それを知ってる人生っていいなと少しうらやましく思った。わたしをクラブに連れてってよって。行ったら行ったでまた所在なげに音楽をたのしむどころじゃないかもしれないけど、でも一緒に行ってみたくなった。

なにを好きになったか、なれなかったか。なにをたのしいと思うか。なにを選んできたのか。そのひとつひとつに、おもしろさがある。そして自分と違う趣向や選択、思考をお裾分けしてもらったときに、ちょっとした冒険心がうまれたり、考え込まされたり……。

やっぱり、わたしにとっていちばんおいしい酒の肴は、ひとの話。ひとの人生を垣間見ることなのだ。

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