「こんまりメソッド」をあきらめ「菅田将暉メソッド」を思いついた話
いまつくっている本が難産だ。平日は起きているむすめとほとんど会えていない。カリカリ梅と源氏パイとコーヒーで空腹をごまかす。そんな状況なので、よくわからないアホなことを思いついたりする。
客観的に見て明らかにキモいけれど、しかし案外筋のいいことをやったのでは……と自分を評価したいアイデアが浮かんだので、noteに残しておこうと思う。
◆ ◆ ◆
われらがバトンズのオフィスは、基本的に散らかっている。モノが多い——というか、どこに仕舞うか決められていない「住所不定」のモノがあちこちに置かれているのが最大の問題点だ。社長古賀さんのデスク周りは常にたいへんなことになっているし、いちおう自己申告すると、わたしのデスクの上も〆切に向かってどんどん荒れていく。
それでおとといの晩、日付が変わったころ、ひとりオフィスでパソコンに向かいながらふと「片付けたい」という思いが湧いてきた。完全にテスト前のアレだと思うけれど、いま、やりたい。幸いNetflixでこんまりさんの番組はばっちり見ている。このオフィスからときめかないものを排除しよう……!
——と一瞬盛り上がったけれど、さっと視線をめぐらせてやめた。オフィスにあるモノの選別の基準に「ときめき」は相応しくない。ときめかないからといってフリクションボールや電気毛布を手放したら、明日の自分にビンタされてしまう。
あー、古賀さんもわたしも几帳面じゃないし、あとはこのオフィス、来客も少ないからダメなんだよなー。ちょっと気を遣うひととか、散らかった状態を見られたくないひとが出入りしてくれればいいのに。
急に他力本願になり、じゃあ、いまここに来られて恥ずかしいひとはだれだろうとぼんやり考える。……すると、長らくその演技に注目している俳優・菅田将暉さんが浮かんできた。
ああーうん、なるほど、その道のプロフェッショナルに見せられる部屋であるべきって基準なんだな、とそのままイメージを膨らませる。
「菅田将暉氏がドッキリで、これからこのオフィスに来るよ」
それは……一大事だ……。
「オールナイトニッポン」のテンションでドアを開ける菅田将暉氏。イタズラっぽい笑顔でオフィスを見渡す。わたしの机に向かって歩いてくる。わたしの机の上を評する。
——ああ、「ないわ」って思われたくない! 仕事できないんだろうなって評れたくない!
と思ったら、もう途中から手が動いていた。
デスクを占拠するゲラなどの紙類を集めファイリングし、使い終わった資料を本棚に戻し、これから使う本は角を揃えて重ねる。しかし「プロフェッショナルな仕事をしている田中裕子のデスク」を見せるのだから、完全に片付ける必要はない。大事なのは整ってる感。
そして机の上に散らばってた付箋やペン、替え芯などを文房具入れに戻し、「とりあえず置き」していた領収書や封筒を処理。パソコンに貼っているスケジュールの走り書きをきれいな字で書き直す。
ついでに「プロフェッショナルに覗かれても恥ずかしくないカバン」にしようと思いつき、もらったばかりのクーポンを捨てる。駄菓子類は話のタネになりそうだから入れっぱなしでOK。
『さよならエレジー』をBGMに集中し、あらかた整えたところで、オフィスの入り口から菅田将暉氏の目線でデスク周りを見た。うん、これなら「集中して仕事してたらちょっと雑然としちゃった」くらいだな。全然アリ。プロっぽい。
ふー。仕事しよ。
◆ ◆ ◆
もしかしたら頭がおかしいひとに思われたかもしれない。けれど、これ、どこでもだれでもけっこう汎用性が高いメソッドなのではないかと感じている。
こんまりさんの「ときめくものだけを残す手法」は、「ときめくものに囲まれて暮らしたい」という崇高な理想を深く自覚していて、そのために時間を投じられるひとにはものすごくフィットする。あと、ときめきという「主観」が明確なひと。
でも、仕事と家事と子どもとでキャパシティマックス、むしろオーバー気味のいまは、「すべてのモノを一カ所に集める」ところからもう、無理すぎる(こんまりメソッドは、洋服なら洋服を一度全部集めてから選別をはじめる)。モノに対するときめきセンサーも明らかに鈍っている。
そこで「菅田将暉メソッド」である。モノにときめくのではなく「トキメくひとがやってくる」シチュエーションを頭に浮かべながら片付けるメソッド……!
自分の場合、それは「プロフェッショナルとして尊敬しているひと」とイコールなのかもしれない。「幻滅されたくないひと」「尊敬しているひと」でもいいと思う。義理のお母さんに眉をひそめられないようにでも、クィア・アイのメンバー、ファブ5にほめられたい、でもいい。とにかく客観の目を持って取り組むことがキモだ。
気持ちとしては来客前の片付けに近いのだけど、圧倒的に、ちょう楽しい。それに、「こう見られたい」という動機ではじまりながらも相手の目に映る完成形から逆算できるから、驚くほど手が止まらない。主観ではなく客観がベースになり、迷いが生じないのだ。
でも、結局のところ。「これならあのひとに見られても大丈夫」と思えるその基準は、自分の中の基準だ。ほんとうはこれくらいでありたいと思っている、その基準を、「あのひとの目」に重ねているだけなんだよね。
自分だけだと重たくてなかなか上がらない腰を、他者の目を借りることでヨイショと上げる。
このメソッド、とくに時間がないときにはなかなかよいのではないだろうか……? しばらく試験的に運用してみたい。
今週末も、あのひとがうちに遊びに来る予定です。
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