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「なにも残せなかったけれど、文化は残した」ポルトガル、聖ポール天主堂、駆け出す子【母娘マカオ2人旅記録②】

本日も晴天なり

朝7時に目が覚める。日本時間8時。寝たのは遅かったけれど、カーテンをすこし開けておいたため陽の光で自然に目が覚めた——光? そうだ、天気。息を止めてベッドから起き上がり、スリッパに足を入れる。娘を横目に、カーテンと窓の間にからだをすべり込ませた。

雲は浮かんでいるけれど……晴れている! またしても「ほら」とひとりごち、カーテンをおおきく開けた。

支度を済ませて8時ごろ、中国大陸と陸続きのマカオ半島に向け出発。娘はワンピースに首からカメラを下げ、胸元にサングラスをひっかけいっちょ前。スコールが降るかもしれないので、サンダルを履いてもらった。

ホテルのあるコタイ地区は、北のタイパ島と南のコロアン島を埋めるように造られたぴかぴかの埋め立て地。タイパとマカオ半島は長い長い橋でつながっている。

タイパ島を出て橋を越え、マカオ半島の沿岸部から中心部へ。タクシーの車窓を過ぎる「地元」の風景に、わっと心が開いていく。積み重なった時間が溶け出た、その街ならではの空気。娘相手に饒舌になっているのが自分でもわかった。

マカオにはなにも残せなかったけれど

セナド広場でタクシーを降りた瞬間、「なに食べよっか!」、娘の声が響く。信じられないほど健啖家の彼女に「旅行中は好きに食べていいよ」と伝えていたため、腕をぶんぶん振り回すように張り切っているのだ。

対するわたしは、ポルトガルで何度踏みしめたかわからない白と黒の石畳「カルサーダス」に再会できたことで、もうじゅうぶんに満ち足りた気持ちになっていた。

セナド広場のカルサーダスも、ポルトガルの熟練工によってつくられたものだそう

97年に香港がイギリスから、99年にポルトガルからマカオが返還されたことはわたしもよく覚えている。とくに香港のほう、むしろ10歳と幼いはずなのに、ニュースで見たお祝いの花火をはっきり思い出せるくらい。この香港は返還に際してイギリスから金融資産がたっぷり残されたそうで、いまも金融街としておおきく発展している。

では一方のマカオはどうか。ポルトガル人は、こんな言葉を残している。

「なにも残せなかった。けれど、文化は残した」

——記念碑に刻まれていそうな、ロマンのある言葉だ。マカオはたしかに、香港のような金融パワーも産業も持っていない。でも、マカオにはとびきりの文化がある。大航海時代から90年代まで450年にわたってポルトガル人と中国人が共に過ごし、入り交じり、溶け合い、発展してきた、ここにしかない文化。面積は山手線内側のおよそ半分しかないのに、世界遺産がぎゅっと集まっているのも、きっとその証。

「文化以外なにも残せなかった」、でも、だからこそわたしはいまここにいるんだよなあと、左手の先にいる娘のぺたぺたというサンダルの足音を聴きながらしみじみ思った。

旅先の「偶然いい」、即ち幸せ

起床からすでに2時間ほど経っていたため、目星をつけていたお粥屋さんまで「ちょっと(お腹が)持たないよ」と5歳児が主張する。そこで路地の角、たまたま目の前にあった金馬輪咖啡餅店へふらり入ってみた。店先にはパンがずらりと並んでいて、パン屋兼食事処、という雰囲気。

1階は満席で待つのかなと思ったら、2階に通された。意外と広いけれど、こちらもほぼ満席。相席ありの飾らない雰囲気。観光客の家族も、ひとりで新聞を読んでいるおじいちゃんもいて、いい感じ。そうそう、旅先の「偶然いい感じ」はふだん以上にうれしいんだった。

なんだかお店を信用したい気持ちになり、おそらく「おすすめ」と書いてあるページから豬扒包(ポークチョップバーガー)、エッグタルト、そしてミルクティを選んだ。

マカオ名物の豬扒包。パンはサクっとしていて、少し甘味がある。パン好きの娘と、「生地がおいしい!」と意見が一致した(2人とも甘めの味付けが好きで、卵焼きは甘い派)。今住んでいるエリアにはパン屋がひしめいているけれど、そのどれとも違う味。あまじょっぱ、ってほどではないけどお肉といいバランスだねえ、と言い合いながらあっという間にたいらげた。

エッグタルトも、生地の風味がいいしカスタードも甘すぎなくてちょうどいい。これがエッグタルトかあ、あといくつ食べられるかなあと娘のほおもゆるむ。まったく偶然の入店なのもあいまって、うれしい朝食。

UFOキャッチャーとか、しゅーきょーがとか

店を出て、まずは日中混み合うという聖ポール天主堂跡を目指して歩き出す……とすぐに、娘がUFOキャッチャーの路面店に引っかかった。「やりたい!」、いいよいいよ、旅だから。コインを渡すと案の定、あっさり失敗してふてくされる。「どんな気持ち?」と聞くと、「すごくいやな気持ち……でも、そのぶん取れたらうれしいと思う」と本質を突いたことを言っていて笑ってしまった。

気を取り直し、だんだんと開きはじめたお店を指さし確認しながら坂をのぼっていく。すると突然、おおきな門のような建造物がぬいっと顔を出した。地図も見ずなんとなく目指していたので思いがけず、「うわ」と声が漏れる。娘は気づいていない。

「見て、ほら」。ん?と目を前方にやり「わー! おっきいー!」と跳ねた。

からだで感情を表現できる素直さと身軽さにうらやましさを抱えつつ、わたしもうれしいとかすごいとか……なんと言っていいかわからないアッパーな幸せをシャッターを押す指に込め、駆ける娘を追いかけた。

1602年にポルトガルのイエズス会によって建てられた、聖ポール天主堂。ファサードをのぞいて火事で消失しているけれど、なんとも言えない迫力がある。「ない」からこそ、かえって奥行きを感じられるのかもしれない。

焼け残ったファサードの彫刻には、キリスト教の迫害から逃れてマカオにやってきた日本人もたずさわっているそう。「バテレン追放令のころに来た人たちかな……?」と、頼りない記憶をたぐり寄せる。勉強不足を痛いほど感じつつ、こうして新鮮な方向から歴史に線を引けるのも、海外に来る楽しみのひとつだ(毎度「勉強しなくちゃ」と思うくせに、帰国後その後悔を晴らしたことは一度もない)。

ファサードをくぐると、そのまま正面にある地下の納骨堂へ。娘が「見てみたい」と言うので、宗教芸術が並ぶちいさな博物館を見学した。ただ涼しい場所に入りたかっただけのようだけど、ひとつの作品を見るたびに「これなに?」「これだれ?」「なにした人?」と質問を重ねてくる。

その短い問いに答えようとするものの、そもそも「宗教」をどう説明するか迷ったり、「しゅーきょーがって?」「じゅうじかって?」という問いにもシンプルに答えられなかったり……なかなか歯がゆい。

こういうとき、子どもへの説明は「算数と数学の関係」に似ているなあと思う。方程式(むずかしいことば)は使えないからなるべく平易な式(5歳児がわかることば)で描こうとするけれど、逆にそっちのほうがむずかしいという。言葉を知ることで、ある意味、サボれるようになるのだ。

クーラーが冷えるのでわたしのシャツを羽織らせた。マカオはどこもクーラーの効きが強い

思いのほか頭を使いながら話し込み、博物館を出た。帰国後、娘が折り紙で「最後の審判の秤」をつくっていて(わたしも量られた)、旅の中でそこが印象に残ったんだと、なんだかおかしかった。

③へつづく

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