それは銭が知っている
最寄りの駅を出て保育園に向かう途中、娘の夕ご飯に(めずらしく)豆腐ハンバーグでもつくろうと商店街の肉屋に立ち寄った。ガラスケースに肉が豪快に並んでいる、昔ながらのお肉屋さん。
店頭のおじちゃんに「合挽き200グラムください」と告げる。はいよっ、と「商店街のおじちゃん」の見本のような声が返ってきた。
出産前はこういう店が開いている時間に帰ることなんてほぼゼロだったんだよなあ。しみじみしつつ財布を取り出しながら、はかりに乗った赤い肉の塊とデジタル表示を見つめていると。
「600円です」
・・・!?
えっ。挽肉だよね? 200グラムだよね? 挽肉って家計の味方じゃないの? あれ? そんなもん? あれ?
普段いかに買いものをしていないかが露呈してお恥ずかしいかぎりだけど、激しく混乱した。でも、感覚的に高い、と思った。だって、食べ盛りの男子高校生がいる家がハンバーグを作ろうと思ったら、エンゲル係数が大変なことになってしまう。
「なんで……?」と、誰に答えを求めるわけでもなく心の中でつぶやく。しかしその間にも肉はちまきのようにくるまれ、ビニールに入れられた。
「ぼったくられたのかなあ」。なんだか解せない、切ない気持ちを抱えつつも、お金とビニールを交換して保育園に走った。
そして家に帰り、ごはんくれ、とお腹に手をあててめそめそ泣く娘に声をかけながら小走りで食事の用意をする。
挽肉を高速でこね、木綿だったか絹だったかも定かではない豆腐と片栗粉を混ぜ、ほんの少しだけ味噌とマヨネーズを入れて(1歳3ヶ月なのでほんとうに少し)、また高速でこね、スプーンで小さく成形し、弱火にかけたフライパンに並べる。
レシピとか、コツとか、こだわりとか、一切ない。とりあえず「ハンバーグなるもの」になればいいだろう、というきわめて志の低いハンバーグだ。
焼き上がったころ蓋をあけ、ひとつつまむ。火が通ってるか確認するため、だったんだけど。
……えっ。おいしい。ものすごく、おいしい。
思わず笑ってしまう。思わずもうひとつ手が伸びる。もうひとつ。
肉の味も食感も香りも強い。肉汁がおいしい。コクがある。この上なく適当につくったハンバーグが、化けた。寝かしつけたあと、大人サイズのおおきなハンバーグをつくってじっくり食べた。
◆ ◆ ◆
わたしの気に入っている鹿児島の言葉に、「ぜんがしっちょ」というものがある。祖母がときどき口にしていた言葉だ。
「銭が知っちょ」「銭が知っている」、つまり「ものの価値は値段があらわしているのさ」ということ。それなりにいいものを手にしたかったら、それなりの対価を支払いなさい。うまい話などないのです——。
もちろん例外はある。この時代にカネにものを言わせるなんてナンセンスだと感じる人もいるかもしれないし、なにを価値と捉えるかでも反論がくるところだと思う。
でも今日わたしは間違いなく、「ぜんがしっちょ」を実感した。肉は、高いほどおいしいのだ。そんな当たり前のことを、胸を張って言いたくなるほどに。
もしそれなりの挽肉を買っていたら、それなりのハンバーグにしかならなかった。「それなり」を「おいしい」にするためには知恵や工夫が必要で、わたしは今日、その「知恵代」を支払ったのだと思う。
「ぜんがしっちょ」は、あらゆるものに当てはまる。買いものをするときにこの言葉を思い出すと、すべて「松竹梅」の松を選んでしまいそうになるので危ない(とくにいま、家探しをしているので危険すぎる)。
でも当然ながら、ふつうの人は湯水のごとく銭を使えるわけじゃない。だから、竹や梅を選んで、そこに知恵とか工夫を重ねて価値をつけていくのだ。
そのプロセスや試行錯誤も楽しめるというか、エンタメになるのが、竹と梅のものを選ぶ醍醐味なのかもしれない。
明日からは、竹や梅の挽肉で、どうやっておいしいハンバーグをつくるか考えなきゃなあ。
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