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旅にその地に、惚れるとき【マカオ母娘2人旅記録】

マカオを特別な場所にしてくれたエッグタルトのプレゼント

街歩き午後。

一瞬たりともお腹をすかせないままぶらぶらしていると、エッグタルトの有名店 Margaret’s Cafe e Nataを偶然見つけた。近づくとずらり長蛇の列、娘に(やめておこうよ)というニュアンスを含ませて「ちょっと時間かかりそうじゃない?」と言うと、即答で「ならぶ」。「疲れない?」「だいじょうぶ」。……おいおい、搭乗手続きの列ではあんなに「まだ?」連呼していたじゃないか!

しかしこの列、並べど並べど進まない。前の人に声をかけるも肩をすくめられるのみ。娘を置いて確認しにいくわけにもいかず途方に暮れていると、店から出てきた(おそらく)中国人のおじさんが日本語で話しかけてくれた。

「次の焼き上がりまで、あと30分だそうです」

なんと。それは無理だ、とあきらめようとした瞬間。

「ひとつ、いかがですか」

紙包みを差し出された。思ってもいない言葉、反射的に「いえ、そんな」と断る。でもおじさんは「どうぞ」と手を下ろさない。

やや冷静になり、汗だくの5歳児と恐縮とを天秤にかける。

カタリ。

「……いいんですか?」。

「もちろん」という言葉に「すみません。ありがとうございます……!」と素直にエッグタルトを受けとる。財布を取り出そうとするわたしを制し「大丈夫です」と言うと、おじさんはご家族のもとに戻っていった。

ここで遅ればせながら、はじめからわたしたちに分けるつもりで、ひとつだけ別に包んでもらっていたことに気づいた。2本あるどちらの列に並べばいいかわからず(購入用と受け取り用)おろおろしていた日本人親子を、並びながら「エッグタルト!」と連呼していた娘を気にかけてくれていたのだろうか。

ああ。

こうして旅先で優しくされたり心の通うできごとがあったりすると、もういちころだ。難儀だったことを忘れて「この国(エリア)好き」と惚れ、「いい旅だった」と反芻することになる。

我ながら単純だけれど、いくら旅が好きでも異国の地にいる不安はある。慣れぬ土地への旅は巨大な吊り橋に乗っているようなもので、子どもがいるとその揺れもさらにおおきくなる。そこに手を差し伸べられたら……。

こうしてマカオもまた、「いい旅」確定となった。

たとえ絶品じゃなくても

娘のリクエストで、バスに乗ってマカオタワーへ。展望台でマカオの街を一望する。

ここマカオは東京の3倍もの人口密度。世界一だ。東京の人混みでさえうんざりしてしまうことがあるのに、いったいどんな暮らしなんだろうと眼下をながめた。

そこでふと日本にも「人口密度世界一」の時代があったな……と思い出し、「軍艦島 人口密度」で検索する。画面を見て「ひええ」と声が出た。1960年の軍艦島の人口密度は、現在のマカオのさらに3倍強! 息苦しくなかったんだろうか。それがあたりまえだと気にならないんだろうか。想像できない。

娘に「どうしたの?」と聞かれたけれど、「マカオはせまいのにすっごく住んでる人が多いだって」とだけ伝えた。したり顔で「人、多かったもんねえ」とうなずいていたけれど、あなたが言っているのはたぶん観光客だね。

夕方、ふたたびスタート地点のセナド広場に戻る。バスを降りてぷらぷらするも、さすがに5歳児のちいさなからだに疲れが見えてきたので「北京水餃」で食事を済ませることに。5つのセットから「いちばん人気」と(おそらく)言われたものを選ぶ。そして青島ビールを頼んだらおおきな瓶が出てきて、「ママだいじょうぶ?」と心配された。

水餃子はニラがぎゅっと詰まっていて、一日かけて熱された身体にガツンと効いた。エネルギッシュな香りがたまらなかったけれど、娘にはやや香味が強いようで「ニラだねえ」と事実だけを述べ、しかし完食していた。麺は福岡のうどんのようにやわらかく、甘めのタレと合う。絶品ではないけれどしみる味。こういうのがいい。ビールは、飲み干した。

セットの豆乳は「変わった味がする」とめずらしく残していた。

バスに30分ほど乗り、ホテルに戻る。よき1日だった。プランに固執せず、はじめての道を堪能し、笑いあって分け合って。

スイカジュースを飲みながら「明日は天気悪いみたいだけど、とりあえずタイパ村に行こっか」とざっくりした計画を練り、ざばっと汗を流して眠りについた。

苦肉の転落防止策。ベッドから落ちなくなるのは何歳なのか。

……のだけれど、旅にはトラブルがつきもの、ということを翌朝思い出すのだった。

⑤、最後の回につづく


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