見出し画像

肉体を持っていることの恥ずかしさ

腰には、天と地を繋ぐ地図があります。ムラダーラチャクラの陰陽化を解き、単一であるサハスララチャクラと共鳴すると、腰から、身体ごと恒星に繋がります。この地図は、私の場合、回転式の3色ボールペンのように、カチッカチッと変えることで共鳴するものが変わります。

歯医者で微細に噛み合わせを調整するように、ここ1年くらいは、この上下の共鳴についてずっと取り組んでいる気がします。歯科の噛み合わせ調整も、なかなかゴールがないように、身体性について取り組み続けています。

わりと小さな頃から肉体を持っていることが恥ずかしいと感じていて、今でもそれはあり、人前で何かするのが苦手です。食事もひどく恥ずかしい行為だと、実は思っています。学生の頃は体育の授業が嫌で、なんとかしていつもサボっていました。

肉体に関することで忘れられないのが、高校1年のときの担任の先生です。初日のあいさつで、ありきたりの話だけど「どんな些細なことでも、とりあえず相談してください。」と。「たとえば、体を見られることというか、そういうのが恥ずかしくて体育の授業に出られないとか、そういうのあるでしょ。そういうことってあるんです。」と。

私はこの話を聞いて、「この人となら話ができるな。」と思ったわけです。この先生とは、卒業してからもごくたまに話しますが、こういう出会いが要所要所にあるものです。私にとっては、「肉体を持っていることが恥ずかしい。」ということが、わりとテーマでもあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?