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バスケ好きからキックボクシングバカに

 Twitterを見て下さってるみなさん、疑問に感じていらっしゃることあるかもしれません!

 私のファボやリツイートが格闘技ばかりやなって感じて思ってる方もいるであろう?!

 なので、私がキックボクシングにハマったきっかけについて、ノンビリと書いていきたいと思う。押忍!!

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 私が格闘技に初めて出会ったのは、小学4年の春であった。それまで水泳をずっとしていたのであるが、個人メドレーできるようになり、それなりの自由形タイムのクラスを取れたのでもうよいかとなった。習い事はその当時、水泳だけであったので時間が有り余り、無味乾燥なひと時が流れていた。

 母は暇人と化した私を見て、一言言った。「空手してみないか。」本当は剣道を私にさせたかった(昔キムタクのドラマの影響で少し憧れていたらしい)のであるが、私の性格から空手の方が向いているという理由である。

 もちろん、護身術やいじめらっれっこ体質の改善も含んでいたと考えられる。

 (元K−1選手、武蔵選手)

 私が訪ねたのは正道会館から分立した大和会館という道場であった。
 正道会館と言うとK-1 WORLD GPの武蔵選手を輩出、また石井館長はK-1のプロデューサー……。
 つまり何が言いたいかというと、限りなくK-1に近い流派(※極真空手・フルコンタクト空手、東京2020五輪採用みたいに寸止めではなく、攻撃を当て、顔面の蹴りを当てると一本のルールのやつ)であったのだ。
 ミット打ちや組手主体の練習であり少し激しくも見えた。
 だが恐怖心より、私は無の時間に耐えられなかったので、習い始めることにしたのである。

(フルコンタクト空手)

 空手は普通、幼稚園や小学校低学年からスタートすることが多く高学年になるにつれ辞めていくことが多い競技である。
 つまり私はスタート時から遅かったのである。その上、大和会館は小中学生の強豪選手を数多く輩出していたのである。更に、環境はすごかった。私の所属は大和会館の総本部であったことから、関西代表や全国クラスが割合として多かったのである。
 こんな環境化であるため、いくら年下ばかりとはいえ技術的についていくのにいっぱいいっぱいで、6年の夏ぐらいまで面白いとは思えなく、淡々としか練習していなかった。故に、試合も1回だけの出場でかつ1本負けであった。

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 やる気になったのは6年秋、道場の後輩たちと仲良くなっていくのと同時に、競技に関心を持つようになった。おかげで練習の濃度が濃くなり、大会では一番帯の色が低い中(自分だけ3級、残りエントリーは1級か段位)勿論戦歴や競技歴が圧倒的不足の中で挑んだ。結果は、延長有効勝ちを得て、敢闘賞を得た。初めて勝利を味わい嬉しかった。
 そのこともあり興味もって、団体戦も出場しようかなとも考えていたのであるが、スケジュールが私の気持ちを阻んだ。
 実は、中学校に入り部活が開始されたので、両立が難しく空手を辞めることになったのである。

※中高生時代のバスケは追々投稿するとしよう

(※イメージです)

 一応、軽く触れておくが、中学校でバスケLOVEになり、高校では絶望と全てに対して無気力になった結果、バスケが嫌いになった。【大学になってバスケサークル入るぐらいのバスケ好きには戻ったのでセーフ】

 そのズタズタな高校時代は挫折のオンパレード、例えようもないぐらいのネガティブ思考。
 一念発起して全力で挑み、メンタルの弱さであと一歩足らずの浪人で挑んだ大学入試。悔しすぎた。

 
 だから転入学やイベサー等々、頑張って失われた過去・青春を取り戻すため動いていたのである。
 その中に1つ、心の中にシコリがあった。スポーツの悔いである。
 バスケットボールは不器用の極みで消化試合の一番最後ギリギリの活用しかしてもらえない実力であったこと。高校時代はバスケ自体が嫌いになり、練習も苦行であったこと……。
 何とも言い難い悔しい後悔があったのである。もう一度、スポーツを全力でしてみたいとも考えていた。これが1つ目の理由である。

 少し、時間軸が戻ってしまうが高校2年の時、あるTVを見て虜になったものがある。元総合格闘家、現国会議員の須藤元気氏率いるダンスユニットWORLD ORDERである。そこから、始めはダンスに興味出ていたのであるが、須藤元気氏の来歴を見てK-1 WORLD MAXにも出ていたことが分かり、格闘技の関心が極僅かながら復活したのだ。更に浪人時代で「昔、空手で不完全燃焼だったな……。」よし、大学でフルコンタクト空手かフルコンタクト空手に似ているし、須藤元気氏も挑戦していたキックボクシングをチャレンジしてみようかなと考えた。2つ目の理由である。

 3つ目の理由は自分の過去を改めて振り返った時、今まで(体育の授業レベルで)ラケットを使った競技は最悪、他の球技もパッとしない。一方で陸上競技や水泳はまだそれなりであったなと感じていた。
「もしかして、俺は個人技で球技でないものの方が向いている????!?」。
 まだ可能性があると見いだせたのである。

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 少しロジカルな選択をしたのである。つまり関心、情熱、適性の3つを掛け合わせて10年ぶりの格闘技復帰、キックボクシングを大学2回生の終わりから無事に開始することとなった。

 自分は無茶するのが大好きであるので、同時期にビジネスの勉強、インカレイベントサークル運営のリベンジ、ITベンチャー企業の営業・企画職、転入学に伴う授業の過密スケジュールと色々あった上、就活やケガ、人間関係等のトラブルもあったため1勝2敗で、大学時代の戦歴は以上。

 しかし、まだまだ不完全燃焼の思いはより強く、今後も仕事との模索を考えながら進めていく。アマチュアのペーペーであるがより上を目指す!!

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 字数も多くなってきた。
 また、まとめにくくなってきたので今回はこちらで終える。また、補足的なもの、キックボクシングで得たものや考えたことも投稿する。
 サワディカップ!押忍!!


 概要、大枠が理解して頂けると有難いです!!

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