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私が双極性障害と診断され、治療に至るまで

ここ数日、続けて投稿でいていますよね。

はいそうです。ギラギラしてるからです。(笑)

躁状態とまでは言いませんが、ギラギラしています。

以前紹介した坂口恭平さんの「躁鬱大学」では、

躁状態になったら自分の才能をフルに活用させて、

多くの人に迷惑をかけず、自分が安心する状態で

躁状態に入りましょう(ものすごく私の言葉で言ってます)。

という感じの文章がありましたので、今はそんな創作活動期って感じですかね。

具体的にどのように、創作活動してるか書きたくなってきたけれど、

先に今日書くタイトルを「私が双極性障害と診断され、治療に至るまで」と

書きましたので書いてみます。


小学生くらいから、自分が明るく周りに「天真爛漫な子だ」と言われていました。

同時に小学生の時から、自分の「心の中の陰」みたいなのも感じていました。

私いろんな人に過剰にサービスしてるな。いい顔してるな。

なのになんだか疲れやすいな。という感覚を既に持っていました。

加えて両親はとても私に厳しく教育しました。

勉強だけでなく、振る舞いや、言動などなど

特に母は、今思うと軽い発達障害があったのだと思います。

私の言動で気に入らないことがあると、

喚く→出ていく→しばらく私を無視→家族にもそれを強いる

という母でした。

その繰り返しに思春期の私は鬱っぽくなりましたが、

両親が怖かったので学校を休むこともできず、

高校生になる頃には、這いつくばって出発するも

電車に乗って身体がだるすぎて、学校の最寄駅で降りられず、
 
そのまま学校に行けない。

なんてことがザラにありました。

でもなんだか、ものすごく元気に学校に行ける時もあって、

試験期間中や学校行事などがそれに重なると

とてもラッキーという感じでした。

「ラッキー」という感覚があったのを覚えています。乗り越えられる。って。


大学生になると、自由なことが増え、成人するということもあり、

中身が何も伴っていないまま、大人になったような気持ちになります。

ここで本格的に私の躁状態は自他共に大迷惑なものになります。

以前の記事でも書きましたが、性的逸脱が一番酷かったです。

買い物依存症のようにもなりました。(これは結構尾をひきます)

それによって死にたくなるし、ものすごく過食になる時もあれば

何日も食べなくなったり、

しばらく大学に行けなかったりもしました。

家族との仲もこの時最悪だったので、

「お前がいると家族の雰囲気が悪くなるからどこかへ行ってほしい」

と兄弟に言われたこともありました。

ここで初めて精神科を受診します。

そんなに何も調べていなくて、とにかく

「だれか、私を助けて」

それだけでした。

で、大学の乗り換え駅にたまたまあった、新しい感じの精神科へ。

そこでは問診票に記入後、三十分くらいの心理士さんからの聞き取り、

その後ドクターの診察(十分くらい)でした。

どちらもめちゃくちゃ優しそうな女性のセラピストとドクターでした。

で、全てが終わり一旦外で待つように言われ、待っていました。

またドクターに診察室に呼ばれ言われたことは、

「双極性障害かもしれない」

ということでした。

何か全くわからなかったけど、それを言われて、

説明を受けた後の私の正直な気持ち、、、

「うれしー!!!」でした(笑)

私のこの苦しさに名前がついたこと、

解決に向かう手立てがあるかもしれないこと、

は本当に嬉しかったです。

しかしその後、ショックを受けることになります。

「この病気はうつ病と違ってずっと付き合っていくものだから」

嘘でしょ。。。?

「薬も診察もこれからずっと欠かせない」

その言葉にショックで待合室でうなだれていた記憶があります。

なんの知識もなくとにかく病院に行ってしまった私も悪かったのかもしれませんが、

「そんな数十分の診察でそんなことわかるわけない」

と思い、なんだか怒りながら帰宅しました。

そして、次の診察日も決めず、

出された処方箋を持って薬局に行くこともせず、

「もう病院なんか行かない」と心に決め、涙を流しながらベッドに入ったことを覚えています。

診断されたことが嬉しかったのと同時に、

治らないと言われたこと、

治らない病の治療代を払うことはできないと思ったこと、

1回目の診察で私の苦しみがわかってたまるかと思ったこと、

そして何より、またこの苦しみが元に戻る時(うつ状態だったので)がある

のを自分の経験で知っていた(それが症状だよというつっこみ待ってます)ので

もう行かないことにしました。



この行かないまでの流れ、

躁鬱病っぽいですよね(笑)

ここから約5年ほど、ほったらかしでした。

あの頃より、今の方が、双極性障害(躁鬱病)の認知度が上がってきたので

自分自身も周りの人もどんな症状なのかアクセスしやすくなっています。

そのお手本のように、私の気分の波はどんどんどんどん激しくなります。

あの時診断された「双極性障害」。

その言葉だけが耳に残りながらも、

転落していく自分の人生。

もうだめだと思い、もう一度今度は違う病院を受診しました。

明日行ってみて、無理だったら死のう。

遺書はたくさん書いてきましたが、冷静にあんなにたくさんの遺書を書いたのは

あの時が初めてかな。

予約をして次の日に行った病院では、

時間をかけて私を多方面から見てくれて(詳細は避けます)。

診断を受けるまでしばらく時間がかかりました。

そして、トータル三ヶ月くらいかかって、診断された名前は

「双極性障害Ⅱ型」でした。

やっぱりかーい!!笑

あの時のお医者さんたちごめんね。

そんなこんなで、私も今回は頑張ろうと、

自分自身も症状、お薬、行動療法など

勉強しながら、死にそうになりながら、助けを借りながら

試行錯誤しております。


なんだかダラダラ書いていますが、

わかりにくい文章だったらすみません。

どんなふうに治療が進んだかは、

身バレしない程度に書いていこうと思います。


田中そう子

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