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台湾ひとり研究室:取材メモ「台北の日本酒イベントで出逢った日本の姿。」

2023年2月某日、日本酒のイベントにお邪魔しました。会場となったのは、日本統治時代に市場としてスタートした新富町文化市場。

歴史的建築が今は文化施設に生まれ変わっています。少し前までカフェだったスペースが、真っ昼間から飲める「萬華世界下午酒場」へとリニューアルし、おでんがいただけるようになった、と知り、最初は友人たちとの忘年会で伺いました。その際「今度、日本酒のイベントやるからよかったらどうぞ」と声をかけていただき、私同様、普段は日本のビール派の大哥を連れて龍山寺へ向かったのでした。

7:00 開始入場
7:30 預計活動開場 ( 7:40 最後開場)
7:40 ~ 8:10 穿越江戶 (落語會)
8 :10 吉村社長介紹
8:20 ~ 9:10 品飲與社長訪談時間
9:10 ~ 9:30 自由交流

公式インスタのリンクから。

この日、イベントは、載開成さんによる中国語と日本語を巧みに使い分ける落語「二人酒」でスタート。春先の花見シーンを舞台に、うっかり者2人の掛け合いが絶妙なお話で、金を借り、かつ酒まで借りた先を、この日の主役として登場させる、という心にくい演出も加えられておりました。

そして開成さんが落語家から司会となって登場した本日の主役は、東京は神田猿楽町に店を構える豊島屋本店さんです。東京では最古の酒舗、という老舗中の老舗。同社のお酒をゆっくりいただきながら、吉村俊之社長が、店の成り立ちから3度あった経営危機、それを乗り越えた経験、さらには427年もの長きに渡って継続して来られた秘訣などのお話を伺いました。

東京で働いていた頃、直属の上司が酒蔵の次男坊でした。会社員時代ほぼビールばかり飲んでいた私でしたが、当時の仕事仲間にはその上司含めて日本酒好きが結構いて、私はビールだけども相手は日本酒、という席をかなりの数こなしてきました。おかげで居酒屋でよく見かける銘柄を知る機会は多く、耳だけは肥えている、というぼんやりした酒飲みとして成長しました。

あれから十数年。台湾に来て驚いたのは、あちこちで日本酒を見かけること。たとえば、こんなふう。

完全に招き猫ならぬ招き酒樽と化している(撮影筆者)

街のあちこちで見かける日本酒の存在がやけに気になるようになり、その源泉を辿ってみたいと考えていたところ、イベントの話を聞いて参加を決めたのでした。イベントのプロデュースは、ウェブマガジン「初耳 / hatsumimi」さん。豊島屋さんのインスタアカウントの運用をお手伝いしている縁で企画がスタートしたそう。

吉村社長の声はEQ(心の知能指数)がめっちゃ高いであろうことを思わせる、穏やかで丁寧なものでした。半導体の研究者だったけれど、41歳で家業をついだ、というそのキャリアチェンジは、私が編集者から留学生になったタイミングとも重なり、ぐっと引き込まれました。

開成さんが絶妙な補足を入れながら吉村社長の話を通訳(撮影筆者)

「『居酒屋』という言葉は手前どもから始まった、といわれています」
「初代十右衛門の始めた白酒は、今も変わらぬ製法でひな祭りの時期に作り続けています」
「私が身につけているのは法被と呼ばれる商家の正装です」

吉村社長のお話には、まったく知らずにいた日本の姿がありました。そんな新鮮なお話を伺いながらの日本酒は、なんの気無しに遠ざけていたものとは、まるで違う味。日本酒の豊かさがたっぷり感じられたのです。

好奇心を大いに刺激された贅沢な3時間。味の違いをあれこれ語りながら、気がつけば5つの銘柄の日本酒を飲み終えていました。手前味噌ながら、日本のビール党、大哥の感想がよかった。

「日本酒への印象がすごく変わったよ。おいしかった」

こういう場が積み重なることで、台湾の日本酒文化がまた一歩、深まってくるのだろうと感じたのでした。会場からは、さっそく「日本に行った際に見学したい」という声も出ていました。ちなみに今月、大哥と一時帰国するのでお店にお邪魔しよう、という話になりました。

さて近年、広がっている台湾の日本酒ブームについては、後日、詳しく取材してお届けする予定です(予告)。現時点で何か気になることなどあれば、コメントをお寄せください。

イベントでいただいた5種。当初予定から2種増えたことに感謝!(撮影筆者)

以上、本日の取材レポートでした。

勝手口から見た台湾の姿を、さまざまにお届けすべく活動しています。2023〜24年にかけては日本で刊行予定の翻訳作業が中心ですが、24年には同書の関連イベントを開催したいと考えています。応援団、サポーターとしてご協力いただけたらうれしいです。2023.8.15