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「映画かよ。」の解説かよ。 Ep50 キューティーブロンド|これは映画ではない

(写真は全て駒谷揚さんから提供)
 3シーズン目に入っている、駒谷揚制作・監督によるYouTube短編映画シリーズ、「映画かよ。」。Ep50「キューティーブロンド」が配信されている。

Ep50「キューティーブロンド」

弁護士を目指して勉強中の美帆(竹内里紗)は、服役中の恋人、リッチーと刑務所で同室だったというレイジ(田中涼)から声を掛けられる。「もう彼のことは諦めて、新しい彼氏を探してほしい」という伝言を聞いた美帆は激怒するが、レイジとは妙に気が合い、マッチングアプリでの新たな恋人探しに協力してもらうことに。次第に、レイジのことが気になってきた美帆だが、どうやら彼には秘密があるようで…。

ミノル、アミに次ぐ、第三のメインキャラである美帆が主役の回。恋人のリッチーのために引き続き弁護士を目指す姿が描かれる。

これは映画ではない

全然関係ないところから話を始める。

実は先日、ニューヨーク映画祭で上映された濱口竜介監督作「悪は存在しない」を観てきた。濱口監督が登壇しての質疑応答があり、作品の背景を知ることができた。「悪は存在しない」は、そもそもはウォーキングタイトルだったが、気に入って最後まで使ったとのこと。実はこのタイトルがいい意味で観客の視点をミスリードして、最後に、え? どういうこと? とより深く考えさせられることになる。

ニューヨーク映画祭での濱口竜介監督

どこかで聞いたような感じがするとずっと思っていたのだが、それが「これはパイプではない」という、哲学者のミシェル・フーコーの著作のタイトルだと気づいた。パイプを描きながらも「これはパイプではない」というタイトルがつけられたマグリッドの絵について論じているもので、構造主義、ポスト構造主義にハマっていたころに、読んだが、内容はほとんど覚えていない。

モノとそれを示す言葉との関係性、さらに、その言葉自体、記号としての文字とそれを表す音の関係性は、そうである必然性はなく、実は恣意的だというような…。つまり、鼻を示す「ハナ」という言葉自体が、「クチ」でない理由はないということ。モノと言葉は実は最初から乖離していて、その仕組みは、言葉という構造の外側にある、ということだった、ような。多分、そんな感じ。

「悪は存在しない」というタイトルをつけられているがゆえに、目の前で淡々と物語が語られているのに、同時にその外側に描かれている何かを見ようとしてしまう…。そうやって、意図的に、事象と言葉との乖離が仕込まれていたように思った。

実は、駒谷揚監督の「映画かよ。」も同じ構造になっているのではないかとふと思った。「映画かよ。」というタイトルが、目の前で進む物語が、その外にある別の映画が持つ別の世界も見せるといったような。

撮影風景。左が駒谷監督(撮影・小澤公則)

ベルリン、カンヌ、ヴェネチア、そしてアカデミーと、世界の名だたる映画祭で賞を受賞している濱口監督。同じように、世界各国の映画祭で数々の賞を受賞している駒谷監督。どちらも、映画でありながら、「これは映画ではない」と主張し、映画という枠をくぐり抜ける企みをしようとしていることが評価されているのではないか。

2019年、チェルシー映画祭で監督賞を受賞した際の駒谷監督

これも映画ではない

シーズンも3、エピソードも50を数え、いったいどこに行こうとしているのかと思う。

デビッド•リンチは、「マルホランドドライブ」を最初テレビドラマとして構想したというのをどこかで聞いた。その理由が、たしか、映画だと2時間で終わってしまうが、テレビドラマならば、延々話を作り続けることができるから、というものだったと思う。ツインピークスが謎だらけなのは、物語を好きなように作り続け、どんな物語、エンディングにしようか、考えていなかったかったからなのだろうと思う。

あ、それか。

映画おたくの日常を描く「映画かよ。」は、監督自身の中にあるものを、延々と繰り出していく作業で、この終わらない物語こそが、リンチすら憧れた、永久機関のようなものなのではないか。しかし、エンジンだけでは車は走らない。エンジンである「映画かよ。」に対して、車体の外にあり、「映画ではない」美帆の物語は、世界を前に進めるためのタイヤ的な存在のように見える。

駒谷監督が美帆を重要視しているのは明らかだ。演じる竹内里紗の持ち前のきらびやかさもあるが、美帆がメインのエピソードは、どこか疾走感がある。そして、事実、時間の経過が明白で、「映画かよ。」が永遠に時間が止まった、「サザエさん」とは違うことを思い出させてくれる。このシリーズ自体、伊藤武雄、森衣里という稀有な才能をもつ俳優たちとの奇跡的な出会いからスタートしていて、彼らなしには存在しなかっただろう。だが、映画オタクではない美帆という存在、そしてそれを演じる竹内里紗の、ほかのキャラクターにはない存在感、確かな演技力も、やはり奇跡的な出会いと偶然ながら生み出されたタイヤの役割が、この「映画かよ。」を「終らない物語」にしている。

「映画かよ。」は映画なのか。映画ではない、なにかが確実にある。

「映画かよ。」のリファレンス

【「映画かよ。」公式YouTubeサイト

「映画かよ。」ウィキペディア

【「映画かよ。」note】

駒谷監督はこんな人↓

駒谷揚監督インタビュー(Danro)

「映画かよ。」に関するレビュー↓

トリッチさんによる
カナリアクロニクル」でのレビュー

Hasecchoさんによる
「映画かよ。批評家Hasecchoが斬る。」
YouTube「映画かよ。」のコミュニティーページで展開

おりょうSNKさんによる
ポッドキャスト「旦那さんとお前さん」


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