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神様は起こすだけで教えない

まず、今日書くことはあくまでも
個人的な見解であるのと同時に
宗教そのものを否定するものでは
ありません。

物心ついたときから
けっこう怖い話やらオカルトな話が
怖いのに聴くのが好きでw

一時期は稲川淳二にハマって朝ご飯
食べながらyoutubeで稲川淳二の話を
聴いていたりしましたwww

神様も昔から確証は無いけど
いるもんなんだろうなぁと
思って生きてきました。

もちろん、見えませんよぉ👀

伝言ゲームでねじ曲げられる

数ヶ月前にも三峯神社に行ったり
年に一度は伊勢神宮へ参拝に出向き
その一年の感謝のご報告をするのが
事務所を設けてからの恒例行事に
なっています。

今自分が置かれている状況や
なぜ親元に生まれてきたのか?
なぜ、妻と巡り会えたのか?

科学的に答えの出ない人・物・事の
『縁』は神様の巡り合わせだろうなと
思っています。

で・す・が

巷でウワサのあのカルト団体やら
世界シェアNO1の団体の
信仰対象そのものではなくて
その対象をルーツにした
宗教団体という存在を僕は信じていません。

神様が救いになって
自分の現状が少しでも良くなるなら
それはそれで何よりです。

しかし、神様の教え
【という名目で誰かから伝聞した】
教えによって、教えられた本人よりも
周囲の人間が苦しむなんていうことも
あるようです。

何度も言いますが宗教そのものは
僕には否定する要素がありませんし
否定するつもりもありません。

ですが

心理技術を学んでいくと
コミュニケーションの仕組みや
脳がどのように人の言葉や態度に
反応していくのかという
メカニズムを理解するため

『仏陀であれキリストであれ
 誰かが言った言葉というのは
 その本人しか意図はわからない』

という考えにたどり着きます。

伝道師は神ではなく人

特に昔からある宗教であれば
最初に神様が伝えた教えが
伝言ゲームのように解釈が変わっていき
本人が言ったこととは違う解釈が
教えになっていて、しかもそれが
信者に伝えられたときには
更に違う解釈になってしまう。

これは何もおかしなことではなく
違う人間同士のコミュニケーションは
頭に描かれた経験から解釈を
導き出すのでどんどん最初に伝えた
人の意図からは離れていくのが自然です。

だから僕はどんな宗教であっても
信仰対象本人の意図が確認できない以上
その『教え(教義)』は信じないから
その宗教団体も信じないという考えです。

そもそも、僕は『教え』って
好きじゃないんです←ただの好みw

もちろん、ヒントにすることはありますが
神様が言ったからそれが答えなんていう
素直な思考が僕には無くなったようですw

これは今年のテーマですが
神命を聴くための出来事は
いつも伝聞では無く、事象として
『起きる』ものでそれをどう解釈し
行動を選択するかは
僕自身の修行なのかもしれません。

その修行には、僕にとって
宗教団体は必要ないということです😊

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