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あなたの心は喜んでいる?

依存。

わりとカジュアルにこの言葉が
使われるようになったと感じます。

10年以上前であれば
依存と言えば、薬物依存や
アルコール依存などがパッと
思い浮かんだのが一般的じゃないかと
思うのですがいかがでしょう?🤔

カジュアルになったからこそ
語弊や勘違いも生まれてしまい
依存なのか拠り所なのかが
わからないで悩んでしまうことも
あるようです。

やめられないとまらない

実は【これは依存じゃないか?】と
その対象の出来事・物事を考えることは
まだ健全なようにも思います。

むしろ、そういう人ほど話を
聴いてみると依存というほど
依存していないこともありますし。

逆に介入が必要な依存というのは

依存している自覚がある
『のにやめられない』

というパターンと

本人は拠り所程度の感覚だけど
外側から見たら介入が必要なレベルの
『病的依存』だったというパターン。

前者は気づいてはいるけど
止めるための決断が様々な要因で
できていない状態
です。

後者の場合は更に一歩手前で
そもそも問題だと思っていない。
指摘されて気づく場合もあれば
指摘されようが、問題だと思わないから
止めようとも思わない状態です。

いずれにおいてもやることは
沢山ありますが後者の場合は
スタート地点に立ってもらうための
アプローチをしたとしても本人に
スタート地点に立つ意志がない場合
介入することは難しくなります。

その場合は、機が熟するまで
(待てる場合は)待つしかない。

大抵の人がカジュアルに使う【依存】は
こころの拠り所であることが多いですが
もし、心が喜んではいないし
疲弊して行っているのにそれでもなお
続けてしまうクセがある場合は
自分のこころのより奥深くにある
本音を見つける
ように練習します。

依存『症』になる前にしっかりと
拠り所としての安全な場所を見つけることが
オススメです✨

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