見出し画像

「なるはや」とか言っていちゃダメなんですよね。

自分を基準に会話するというのは、誰でもそうなのだけれど、その「自分規準」が過ぎると、何言っているんだか、全然わからない、ということになる。

たとえば、「次の会議では、先日の議事録を共有するところから開始して、ひとまず、参加者同士の意識を整えよう」みたいなことを言う人がいるとして、「次の会議」「先日の議事録」が何を指しているか、発信者である話し手には、明確なイメージがあるものの、聴き手は、「うーん、次の会議って?なんの会議?いつの会議?」とか「先日の議事録って何を指している?誰が作ったもののこと?どの議事録?」とか頭の中でぐるぐる考えている可能性がある。

しかし、多くの日本人は、そこをぐるぐる考えているだけで、質問したり、確認したりしない。だから、考えていることが話し手と聴き手とで合っているのか、ずれているのかは、実はよくわかっていない。

こんな感じでひとまず会話は進んでいく、というのは、組織あるあるなのだけれど、それ、いくら、ハイコンテキストと言われる日本でも、もういい加減、やめたほうがいいよね、と思うのだ。

昔から「つーかー」「あうんの呼吸」「忖度」「行間を読む」「察する」などと言われてきたけれど、そんなものに頼っていたら、ミスコミュニケーションばかりになるんじゃなかろうか。

とりあえず、自分規準の相対表現はやめて、可能な限り、絶対表現にしたほうがよい。

冒頭の例であれば、「5/1の”新賞品検討PJキックオフ”での議事録を、5/10の”PJ会議”で読み合せるところから・・・」みたいに、日時とかその会議体の名称などを明示するだけでも、関係者の頭に想起されるものの差を最小限にできるはず。

そんな話をしてみました。Voicyで詳しいところはお聴きください。

なお、ぜひぜひ、チャンネルフォロー、よろしくお願いします。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?