すべては博物学?

大学院集中講義が終った。l日3コマでビデオ事例1コマ、論文購読まとめ1コマ、発表とディスカッション1コマが5日間。勢いで積ん読になってたミンツバーグの経営学10学脈「戦略サファリ」を読む事にしようと思ったが、今々のビジネスから少し逃避したくて「世にも危険な医療の世界史」という本を紐解く。一気に荒俣先生や熊楠の博物学の世界へ。

歴史的に見ると今のエビデンスベースの薬が一般化し、厳格な製造と流通の仕組になったのはつい最近の事である。医療や化学の発展とともに、病理のメカニズムか解明され効果が検証されるまでは、宗教や因習、自然生態系への単純な興味と観察から医者も効能を解いていた。博物学の世界であり、その上にわるい言い方をすると人の弱身につけこんだグレーなビジネスが展開されていたという。解毒や長寿のため金や水銀を摂取する。子供が泣きやまないので阿片を飲ます。ガンの治療のためにラジウム水を飲む。等畏るべき治療が行われていたという。アヘンチンキという薬は驚くへきことに、飲み薬として売っていながら毒物飲むなと書かれていたと言う。何のこっちゃ。

不老不死の神仙を志向した秦始皇帝は水銀申毒であったし、ケルトやキリスト社会の悪魔信仰や錬金術、からつい20世紀の初頭までこの様な世にも危険な医療とそれに乗じた薬のビジネスがおこなわれてきた。薬効こそ臨床やエビデンスベースで規制される様になったが、その過去の片鱗は過激な広告表現や健康食品など薬ようなものの存在に見られる。と、ここまで書いて実家の60年ほど同じ処方で作られている薬も今のエビデンスベースで行くとその片鱗の1つとも言える。用法、量によっては毒にもなるし薬にもなる。副作用もあるし。改めて薬とは何か?

西洋の博物的、魔術的な薬の世界に比べて漢方は本草綱目の様に真摯な研究を飲み重ねて来たように見える。だから現代でも保健適用され自然回帰志向もあり受け入れられているのだが、本草も博物学と呼ばれていた体系の中にある。

「博物学(はくぶつがく、Natural history, 場合によっては直訳的に:自然史)は、自然に存在するものについて研究する学問。広義には自然科学のすべて。狭義には動物・植物・鉱物(岩石)など(博物学における「界」は動物界・植物界・鉱物界の「3界」である)、自然物についての収集および分類の学問。英語の"Natural history" の訳語として明治期に作られた。東洋では本草学がそれにあたる」「博物学」の言葉は「Natural history」の訳語として作り出されたものである。英語での意味は、広義には政治学・神学などに対立する自然科学一般を指し、狭義には上で説明した博物学のことを指す」(wikipedia)

ここから、動物学、植物学、鉱物学、岩石学、地質学、古生物学、本草学に分化していった様であるが、広義には、医学、薬学、化学、物理学、農学などがその影響の元にあると思う。つまり博物館でやってることだと思うと分かりやすい。つまり"自然科学のすべて"であって人間も自然の一部であるし、その自然科学自体への人間のアプローチとして宗教や哲学も関係するだろう。つまり社会科学と言われている上記の政治学、神学をはじめ経済や経営、法学など社会科学も単純に対立すると言うものではないだろう。(この対立は一神教キリスト教西欧的な概念だと思う)経営学10学脈もそんな体系の中にいるわけだ。博物学を起点にしながらも、薬業の現実にある経営課題を解決する為に、目の前の分厚い「戦略サファリ」を読まねば。と大いにこじつけてみるのも楽しい。

すべては同一平面上に曼荼羅化される。

また、学問は深く無限の広がりがある。



文京区と日高市に2拠点居住中。