生活圏の変化。

通信会社を退職して丁度1年がたった。早いものである。退職して半年は、日高の家で週3日ぐらい過ごし、ITCの資格をとり、自家の事業に少しづつ感覚を慣らしてきた。本当は、サバティカル的に自転車で長い旅にでも出たいところであるが、子供の受験もあったりして、なかなか家をあけるのは許してくれない。

職住接近で家にいる時間が長くなり、受験生への食事の提供や片付け掃除をする様になった。カミさんもフルタイムで働いているので、必然的に主夫化してきたといえる。元来食べる事は好きだし料理は嫌いではない。家族からは相当レベルが上ったといわれてレパ一トリーも増えたのであるが、逆に自分で作ったものが美味しくない。食べる前に味が想像出来てしまうのだ。自己満足の向う側には、人に作ってもらう事の尊さと食を分かちあう楽しみがある事が解った。

通勤がないという事も大きな変化である。幸い山手線の中に子供の頃から居住しているので、港区の仕事場までドア2ドアで40分ぐらいだった。遠距離通勤の方には怒られそうであるが、それでも通勤時間は無駄だと思うようになった。もちろん設備や協働が必要な仕事多いのだが、1000万都市で朝夕の入口移動の無駄は大きい。小田急なんかあきらかに輸送能力を越えた沿線人口だろう。仕事帰りに惰性で飲んで帰る事もなくなった。大学の有る御茶ノ水から南にも殆ど行かないし、タ一ミナルの人ごみを通過するのが億劫になった。逆に外へ出なくなり退職して数ヶ月で少し太ってきた。普通に通勤するだけでたしか6000歩ぐらい、ちょっと外回りすると10000歩は軽く歩いていたと思う。通勤のエネルギー消費は凄い。夕方は散歩やプールに行く事にしてリズムを変えてみた。4月からは週3日午後から大学院の授業があるので、丁度よい感じ。もう朝の電車に乗れないし、近くは自転車がいい。

若い頃は世界が広がる事が楽しかったし、ITの仕事はこの大都市を泳ぐように彷徨う醍醐味もあったが、そんな感覚も失って久しい。再開発で新しいショピングセンターやオフィスにを作ったところで、たいした魅力もないし、刺激されるものは無い。職住接近の家と大学のある街と二居点の埼玉の家と徘徊する下町が生活圏となった。必要な情報はネットで手に入るし、リアルに感じたければイベントや出向いていけばいい。じゃあ東京に住まなくてもいいんじゃないという話でもあるが、住み慣れた街は好きだし事業はたいへんで諸事情はあるのが悩ましい。

文京区と日高市に2拠点居住中。