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勉強しない方が創作性に優れると思うけど、これは検証できない

仕事柄いろんな発明者と出会います.
皆さん、素晴らしいキャリアを歩んでいます.

そんな数多いる発明者のなかでとても気になる1人がいました.
彼は大学はもちろん、高校も行っていません.
経済的な理由で高校にいかないというのは戦前だったら珍しくありませんが、その人はバブルの最中に生まれた人なので、それには当てはまりません.
恐らく相当に「勉強」が嫌いだったのでしょう.
だから、義務教育を終了したとはいえ、義務教育を満足するだけの勉強はしていないはずです.

そんな珍しいバックグランドを持ったその発明者の創作がとにかく素晴らしいのです.
もちろん高度な科学技術をマスターして初めてなし得る発明ではないのですが、日常の身の回りにある汎用品の課題を抽出する能力、そしてそれを解決する方法を見出す能力がすごいのです.

なぜこんなことを思いつくのだろうか.
思うに常識がないからだと思うのです.

常識を疑えという言葉はよく聞きます.
しかし常識がなければ疑うも何もありません.
常識がないから先入観もありません.

では常識はどうやって作られるのか.
勉強です.

勉強するというのは、数多くのルールを覚えて、積み重ねていく作業にほかなりません.
数学の解法なんか最たる例です.
公式を知らなければ問題を解くことはできません.

多くの人が持っている常識を持っていないから、多くの人が当たり前だと思うような疑問に対して常識で処理することができない.
このことが結果として、突拍子もない何かを生み出すのだと思うのです.

この仮定が本当かどうかを検証することは不可能です.
勉強しないという選択ができないいまの時代に、勉強しない人の標本を得ることができいのだから.

AIの時代になると、人間では処理しきれないほどのルールを短時間で処理することができるし、それらのルールの順列組み合わせも簡単に行うことができます.
そんなAIが唯一できないことは課題を抽出すること.
課題の解決はAIができても、課題の抽出はAIにはできない.
これは不便だとか、こうなったらいいなあ、というような感情がAIにはないのだから、課題というものがない.

勉強の中身は時代とともに変わっていきます.
狩猟時代なら、数学の解法なんかを覚えるよりも、狩猟技術を覚えることが勉強.
頭が良い人より、闘争に優れる力がある人、逃走に優れる速く走ることができる人が優秀であったはずです.

AIの時代になったとき、AIと競合する処理能力に優れる人よりも、処理対象を探索する能力に優れた人が、勉強ができる人になると思います.

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