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#12 地域活動履歴とマイ・キーワード5(1990年代後半編)

1990年代後半

 活動履歴5回目は1990年代後半です。
1995年1月17日、阪神・淡路大震災は多くの犠牲者と慣れ親しんだまちなみ、そして私たちが築き上げてきた社会の仕組みまでもを破壊しました。
この大災害をきっかけにボランティア活動が活発になり、「ボランティア元年」と言われるようになりました。もちろんその種は以前からあったものですが、「何とかしたい気持ち」が一気に発芽しました。

 また、終戦後50年、プラザ合意から10年、成熟社会の入り口に立っていた日本社会にとっても、大きな変化の必要性を感じさせるきっかけにもなりました。人々の動きが多様化し、社会が対応することが求められるなっていきます。

🔶阪神・淡路大震災(制度の壁・ボランティア・多様性)
  ハートネットワークセンター(心のケア)

 まず地元では、加古川市民会館前広場に活動拠点を作りました。物資の搬送、炊き出し、西日本から集められる支援物資の仕分け作業などが中心でした。5月の初旬に鉄道が復旧し、少しずつ中長期にわたる支援策を検討することができるようになります。夏を過ぎた頃には日本青年会議所でも1996年の計画が固まりだしました。全国から寄せられた義援金をもとに子供の心のケアーをする拠点「ハートネットワークセンター」を立ち上げることとなり、私がその運営を担うことになりました。秋からは兵庫県内の精神科のドクターや臨床心理士の先生方と連携して事務所を構え、ニーズ調査を始めました。結果、以下の5つの事業に取り組むことになります。
1.仮設住宅を中心とする巡回訪問
2.相談窓口の設置
3.サマーキャンプの実施(被災地の子供達を全国103ヵ所でキャンプ参加)
4.被災地8青年会議所の事業支援
5.機関誌の発行

 1999年5月、県内の仮設住宅が全てなくなり、シリアスな相談内容が減ってきたこともあって、支援活動に一区切りをつけようとした矢先に、台湾で大きな地震が起きました。「お互いさん」の気持ちを込めて、兵庫で培ったノウハウを埔里(プーリー)の地に届けます。
兵庫で4年、台湾で2年、足掛け7年にわたる支援活動は2001年に一旦、終了します。

 当時、先生方から教えていただいたことの一つに、精神的なショックを受けた後の心のケアーの有無が20〜30年後の精神疾患を発症する確率に大きく影響するということがありました。阪神・淡路大震災から今年で28年、当時の私たちの活動がひとりでも救うことができているのなら・・・と願うばかりです。

※写真は子供のケアープログラム実施の一場面です

次回は2000年代前半です
🔶シミンズシーズ設立(中間支援組織)
 

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