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<幼い頃の私の、妙なちょっと前のグーグル翻訳について>

2556 /// 私は北海道で生まれました。 / 昨日の記録に登場した姉も同じく、北海道で生まれました。/私の父は東京出身で、私の母は岩手出身なのですが、姉も私も生まれた瞬間から身近に親戚のいない場所で生まれたのでした。 / 私は小さい頃にたまたまやってきた叔父を父親と間違えたりしたし、いとこという存在をろくに把握せずに育ちましたし、まだ健在な母方の祖父はもちろんのこと、父方母方双方の祖父母に対してほとんど敬語が抜けません。 / 姉は敬語を使わずに祖父母と喋っていましたが。 / 私は自分の家族以外の血のつながりを持った親族という存在を理解するのにかなりの時間がかかりました。 /

私は1歳頃に1年間ほどイギリスへ転校、もとい移住しました。 / 姉は8歳になる年に、イギリスに転校しました。 / あくまでこれは私自身の記録なので、この移住の理由などは特に書きませんが。 / とにかく私は言語の覚え始めの時期に日本語圏から英語圏へ移り住んだのです。 / 姉は現地の学校に転校したらしく、慣れるのは非常に大変だったそうです。 / 「外人にキレるときは日本語でキレろ」と、父親は言っていました。大抵の人は何を言っているかわからないけれど怒っていることだけは察するので逃げるらしいです。 / 母親はウェッジウッドの陶器集めにやたら凝っていたと思います。多分。 / これら三者のイギリスへのちょっとした冒険譚でしか私は当時(1990年から1991年)のイギリスの雰囲気というものを知りません。/ 「あんたはマックのポテトで育ったんだよ」と母親はよく私に言います。 / イギリスのご飯が不味いのは私の家族にとっては本当だったらしく、いっそマクドナルドのポテトの方がまだ良いという選択を母はしたそうです。 / 私はマクドナルドのポテトを食べながら、どうやら英語を喋っていたそうです。 / 改めて両親に尋ねてみたいところだし、記憶に無いので知らないのですが。 / これは私にとっての、本当に家族の中でも私だけの最初の不可解を生みました。/

姉は帰国子女と言って良いほど英語が堪能です。 / 完全にぶん投げられる形で日本語と全く違う言語圏の学校にぶち込まれたのですから、帰国子女並みの英語力を身に着けても何の不思議もありません。 / かたや私は非常に微妙な時期に、妙な形で英語という言語に触れました。 / 家族間の会話が日本語でお送りされる様子と、英語でお送りされるご近所や現地の知り合いの人々との会話を同時に聴いて育ちました。/ いずれにしろ不思議なところです。 / どうやら私は英語を先に喋ったらしいのですが、なぜ先に英語を喋ったのか。 / これは日本語に置き換えても同じように疑問が残ります。 / なぜそんな選択が脳内で起こったのか。 /

1年間ほどイギリスに住んだ後、で私の家族は日本の北海道へ戻ります。 / 姉は完全なバイリンガルとなって帰国するわけですが、私はそうではありませんでした。 / むしろまだ記憶の無い時期です。 / 帰国後は当然生活の全てが日本語でお送りされるわけで、そこのところは自然と私も日本語を覚えていったし、喋るようになりました。 /

喋るようにはなったのですが、私の日本語にとある問題が生じます。 /

私自身もはっきり覚えているのが、comeという単語についてです。 / 日常、誰かに呼ばれたときに日本語では「今行く」と応えます。 / これが英語においては「I'm coming」なのですが、この日本語が私は全くおかしかったそうです。 / 私は誰かから呼ばれると必ず「今来る」と日本語で応えていたのです。 / 家族全員からその日本語はおかしいと言われ続けたけれど、そのおかしさを理解するのに私はかなりの時間がかかったし、納得しないままとりあえずそういうものなのだと思うことにしたのですが。 / 今ではもちろんそのおかしさはわかるのですが、幼児の脳みその直訳具合はこんなに正確なようです。 / まるで一昔前のグーグル翻訳のように、私は「I'm coming」を「今来る」と訳していました。 / 誰か同じ体験をした人はいないでしょうか? / ここばかりは記録を無視して読んでいる方々に尋ねてみたい。 / 言語学に造詣が深い方だとなお嬉しいのですが。 /// 2725


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