私が私であるための、ご自愛ルーティン
ガチャリとドアを開けた瞬間、これまでピンと張り詰めていた何かが一気に緩み始めた。
早く早くと誰にも背中を押されていないのに、素早く鍵をかけて暗闇の中を進む。電気のスイッチを押す。部屋が明るくなる。カバンを床に置き、着ていた薄手のコートを脱いだら、どっと疲れが押し寄せてきた。
「はあ、疲れたあ」
毎年春は疲れやすい。“新生活シーズン”は期待が膨らむ一方、一年の中で最も心細くなってしまう。
フリーランスとして働いている私にとって、春は何かが大きく変わるわけではない。新しい部署へ異動して大勢の前で挨拶をするわけでもないし、フレッシュな部下ができることもない。日々淡々と業務をこなし、時々新しい案件や出会いがあるくらいだ。
それなのに、ふとした瞬間にこの季節特有の新鮮さや儚さを感じてしまい、心がキュッと小さくなる。会社員時代と比べて新生活らしさは減っているのに、不思議なもので年度が変わると私の心も簡単に揺らいでしまう。
壁にかけてあるカレンダーを見る。あっというまに五月だ。緊張と漠然とした不安のせいで、ここ最近はずっと心がざわつき、体まで固くなっている。
「もう今日はこのまま着替えて寝てしまおうかな」なんて思ったけれど、日付と曜日を見て明日が休みであることを思い出した。
「……こんな夜は、」
“今からのこと”を想像した途端、心と体に蓄積された疲れが少しだけ減ったような気がした。
こんな夜は、ご自愛ルーティンで心と体を癒してあげよう。
***
心と体が疲れたときは、うんと自分を癒してあげたい。
私はこれを「ご自愛ルーティン」と呼び、夜のひとり時間にゆっくりと行っている。すべての時間でリラックスができるように、「嬉しい・楽しい・気持ちいい・可愛い・美味しい」をさまざまな場面で散りばめる。
【STEP1】お気に入りの入浴剤で体を温める
ちゃぷんと浸かったお湯の中には、お気に入りの入浴剤。甘い香りとちょうどいい湯加減に、思わず「ふわ〜」なんて声が響く。疲れた体がじんわりとほぐれていくような感覚になった。
夜遅くになればなるほど、お風呂に入るのが面倒になってしまう。夜の時間を楽しみたいときは、軽く晩御飯を食べたらすぐにお風呂に入ること。そうすると、その後の時間が何倍も楽しめると思っている。
忙しいときはシャワーで済ませてしまうけれど、ご自愛ルーティンのときは必ず湯船へ。いい香りに包まれながらじっくりと体を温める。
ゆらゆらと揺れるキャンドルの炎が、お風呂タイムを幻想的なものにしてくれる。本やスマホは持ち込まない。頭や足をマッサージしたり、ぼんやりとしたり。お風呂の中は自分の心の声を聞ける貴重な空間だ。
【STEP2】いつもより少しリッチなスキンケア
1枚300円台のシートマスクを顔にペタリと貼り付ける。いつもは1枚100円くらいのコスパのいいアイテムを使うことが多いけれど、今日は特別。グングンと美容成分が肌に浸透している気がして、明日の朝が楽しみになった。
ヘアオイルをつけて丁寧にドライヤー。ボディ、ハンド、リップと私のケアは続いていく。「ただ小綺麗でいたいだけなのに、こんなにもケアしないといけない部位があるのか……」と定期的に全てを投げ出しそうになってしまう。時間をかけてケアできない日もあるけれど、毎日毎日、投げ出さずに自分のためにケアをしている私たちは本当に偉い。
スキンケアが終わったら、軽くストレッチをする。日頃の運動不足を痛感しながらじんわりと伸ばしていく。終わった後は全身がスッキリ。体を丁寧にケアすると、それだけで自分を褒めたくなる。
【STEP3】スマホはオフ。照明は暗くする
「スライドで電源オフ」の表示に従って、スッと電源を落とす。ご自愛ルーティンで大切なのは「自分優先」でいることだ。インプット過多になってしまう毎日だからこそ、私は誰とも繋がらない時間をこよなく愛している。やりとりが多い人は、あらかじめ周囲の人に数時間電源をオフすることを伝えておくと、安心して落とせる。
間接照明に切り替えると、一気に夜を感じた。明るすぎない空間は私の心を落ち着かせてくれる。
【STEP4】今夜のドリンクを作ろう
今夜はどんなドリンクにしようかと、頭の中で「ドリンクレシピ」のノートを開いた。気分や体調、季節によって飲みたいドリンクを作っている。お気に入りのドリンクがあると、ご自愛ルーティンがよりホッとしたものになるのだ。
何を飲もうかな。まだ少し肌寒いから体が温まるようなドリンクだと嬉しいな。
よし。今夜は体がじんわりと温まる「ジンジャーソイラテ」を作ろう。
必要な材料は、豆乳、生姜、砂糖、あれば飾り用で黒糖を少し。
包丁とまな板を出して生姜をスライスする。スライサーを使ってもいいけれど、今日はトントンと切りたい気分だった。
お気に入りのミルクパンに豆乳を注ぎ、スライスした生姜を三枚入れて弱火にかける。
その間マグカップの中に、すりおろした生姜の汁を少しと砂糖を入れておく。豆乳が沸騰したらカップに注ぎ、黒糖を飾って完成だ。
生姜と砂糖の量はお好みで。今夜は甘さを求めていたので、いつもよりも多めに砂糖を入れてみた。豆乳と生姜の香りがふんわりとキッチンに広がっていく。
【STEP5】食べたかったおやつをお皿にのせる
蓋を開けると、それは宝石箱だった。キラキラと輝く、種類の違うクッキーたち。見た目からこんなにも心をときめかせてくれるなんて。「食べたい」と先日購入し、まだ開けていなかったクッキー缶を解禁する。
「これはなんて名前のクッキーだろう」「どれから食べよう」
迷った挙句、とりあえず全種類をお皿にのせてみる。丁寧に作られたクッキーは、一枚一枚が芸術作品のようだ。いつもはそのまま缶からパクリと食べてしまうけれど、今日はきちんとお皿にのせて。
【STEP6】音楽でロマンチックな雰囲気を
落ち着いた音楽たちが、夜の時間をドラマチックにしてくれる。最近は好きな映画のサウンドトラックを流すことが多い。スピーカーから、イヤホンから。そのときの気分に合わせて音楽を楽しむ。
さあ、ここからが本番だ。
【STEP7】夜のお茶会で、うんと私を甘やかす
ジンジャーソイラテを一口飲んだ瞬間「今夜も大成功」だと思った。
生姜のピリッとした辛さと豆乳の独特なクセを、砂糖がまろやかに包み込んでくれている。飲んでいるうちに、体がじんわりと温まってきた。お店で飲んでいるような、味わい深いドリンクが家でも簡単に作れて嬉しい。
テーブルの上には、サクッと香ばしいクッキー。読みたい本、手帳、お気に入りのペンたち。目の前の画面には観たい映画のタイトル。ジンジャーソイラテはおかわり自由。ノンカフェインなのでたくさん飲んでも安心だ。冷蔵庫の中にはちょっといいチョコレートもある。「幸せ」という文字が心の中で踊っている。
ひとりきりの夜時間。甘さと温かさと面白さで、固くなった心が、体が、ほぐれていくのを感じた。
楽しいことを思いっきり、存分に味わう時間は、私を私に戻してくれる。
***
時計を見ると、あっというまに24時前だった。
でも、今日は夜更かし気分。もう一本だけ気になっていたドラマを観よう。後片付けは明日でいい。
気がついたら、ここ最近キュッと小さくなっていた心が元に戻ったように感じた。疲れたり、不安を感じたりしてしまう日もあるけれど、そんな日は自分を思いっきり甘やかす時間を作っていこう。
きっと、私は私のままで大丈夫。
明日からも、これからも、自分を大切に進んでいけたらいいな。
***
【今夜のドリンク】
◆ジンジャーソイラテ
(1)生姜を3枚スライスする
(2)ミルクパンに豆乳を注ぎ、スライスした生姜を入れて弱火にかける
(3)マグカップに、すりおろした生姜の汁を少しと砂糖をお好みの量入れておく
(4)豆乳が沸騰したらカップに注ぎ、黒糖を飾って完成
【こちらもおすすめ】
◆カモミールティー×りんごジャム
カモミールティーを作った後に、りんごジャムを入れるだけ。お好みのジャムを入れても◎
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illustration by:あきこば
参考文献:『ココロとカラダにやさしい 今夜の飲みもの』藤井香江 著
最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪