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あなたの「普通」は、相手にとって「普通じゃない」かもよ

誰かと話しているときにふと出てしまう、「普通は〇〇じゃない?」というセリフ。

相手が言ったことに対して、自分の考えと違っていたら、「普通は〜」「一般的には〜」と疑問をぶつけてしまう。

でもさ、普通って一体なんだろうね?

恥ずかしい話、社会人になりたての頃は正社員が当たり前だと思うほど、私は視野が狭かった。

しかしフリーランスになってから、いろんな働き方をしている人に出会って、私の中で生き方や働き方に関する「普通」は崩壊した。

想像以上にいろんな生き方や働き方があることに驚き、次第に「今まで私は自分の感覚だけの『普通』で、人を傷つけてしまっていたかもしれないな…」と感じようになった。




たとえば、私はひとり行動に対してなにもためらいがなく、行きたいお店やイベントにひとりで参加することが多い。

でも相手にとっては、ひとりで行くべきお店やイベントではないようで、「普通ひとりで行かなくないですか?」「なんでひとりなんですか?」と聞かれることがある。

そのときは笑ってごまかしたり、「全然ひとりで行けるよ〜」と言ったりするのだけど、ちょっと悲しいときがある。

なんだかひとり行動をバカにされている気がしたのと、「普通はしないよ」と言われると自分自身が否定されているように感じてしまったからだ。




自分とっての「普通」は、相手にとって「普通」じゃないことがある。

最近新しい経験をしていくなかで、より感じるようになった。

自分が普通だと思っていることは、ひとつの家庭でほぼ培われた感覚であって、狭い世界の話なのである。そう思うと、全然「一般論」ではない。

私もきっと、今まで自分だけの「一般論」を振りかざしていたことが絶対あったと思う。

小さい人間だった昔の自分に、なんだかすごく腹が立つ。

感覚は違って当たり前なんだよね。

どんな考え方も受け入れられる人になりたいな。

「普通」という凶器を振り回すことがないように、大きくて暖かい人間になりたいと思った夏。

最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪