あっち側とこっち側では何が違うのか
定期的に考える、自分の夢のこと。
「いつかこうなったらいいな」と、ずっと夢や目標は掲げているわけなんだけど、まだ「これだ」というのが見つかっておらず、ブレイクスルーができていない。
本当に私が書きたいことってなんだろう。ああ、うまくまとまらない。
上がったり下がったりの感情の中で、今日の夜はちょっとだけ下がってしまった。
うっかり文章にまつわる仕事をしている人の活躍を見て、「いいなあ」という気持ちが込み上がってきた。
“あっち側”とこっち側では、何が違うんだろうな。
ポツリと呟いた自分がすごく暗く見えた。
*
ライバルは自分自身だと思っているし、まわりの人たちの活動を必死に追いかけていたあの頃ではもうない。焦ってしまいそうな情報から距離は置いているので、基本心は穏やかである。
だけど。
たまに、誰がどうとかじゃなくて、大きな一つの塊としての「あっち側」と、今私がいる「こっち側」では、一体何が違うのだろうと考えてしまう。
私はいつになったらあっち側に行けるんだろうか。
そんなことを考えてしまった。
いやいや待て、何を偉そうに語っているんだ私は。と、もう1人の私が口を挟む。
そうだよね。そもそも私はあっち側に行ける人ではないかもしれないのに、何を言っているんだろう。わかる。自分で書いていて痛感している。
ただ、私はどうしてもあっち側に行きたい願望が強い。どうしたら行けるのか考えてしまう。
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正直「これだ」というのはまだ言えない(だからあっち側に行けていない)
でもきっと、あっち側は純粋に「面白いもの」なんだよな、と思う。
細かいテクニックなどではなくて、面白いから多くの人に読まれる。(ここでいう「面白い」は笑える話だけではなく、テーマが興味深い、言いたいことが伝わる、内容が充実している、読ませる構成であるなどを含めての「面白い」です)
そんな、「また読みたい」と思わせる文章を書くために、いろんなことを分解してやられているんだろうなあと思う。
自分の感情と向き合う、世の中にアンテナを張る、考える時間を増やす、いい文章にたくさん触れる、人に出会う、毎日を大切にする……。はて、私は分解した作業を精一杯やっているだろうか。
もちろん、「センス」「才能」で片付けたら簡単かもしれないけれど、私はそれらにくくられるともう終了してしまうので、くくりたくない。気持ちのいい言葉だと思うけど、その言葉を聞くたびに可能性が死ぬ。
「センス」「才能」に逃げないで、身につけられることはないのだろうか。
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どうしたら「面白い」ものが書けるのだろう。
もっともっとうまくなりたいし、磨きたい。模索の旅はまだまだ続くなあ。
ただ、どうか腐らずに、焦らずに、コツコツと丁寧にやっていけよと、もう1人の私が言う。
最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪