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行き詰まっても「パソコンの前から離れよう」ができなかった

「全然うまく書けない」

薄暗くなった部屋の中で途方に暮れた。キーボードに手を置いたまま、しばし停止する。青白く光る画面は、次の文字が打ち込まれるのを待っているかのように見えた。

物語はざっくりとはできている。伝えたいことは決まっているし、結末も見えている。

だけど、理想の展開に持っていくための表現がうまくできない。言葉が全然出てこない。本来なら今日で完成するはずだったのに。

「どうしよう」

呟きながら部屋の電気をつけて、もう一度机に向かう。「私は何が言いたいんだろう」と自問自答をしながら言葉を探していく。だけど、全然思いつかない。

「やばいやばい」と思っていたタイミングで、お友達から最近の様子を気にしてくれている連絡がきた。

思わず「うまく進められず、沼に突入してしまった」旨を伝える。すると、「リフレッシュしよう。多分行き詰まってるんだと思う」と返事をもらい、

私はそこで初めて「行き詰まる」恐ろしさを知った。





いいのか悪いのか分からないが、私は机に向かい続けてしまう傾向がある。

「うまく書けないなあ」と思う日も、唸りながらパソコンの前に座っている。「今日は小説やエッセイを書けそうにないから、ちょっと休憩しよ」と、スパッと切り替えるのが下手くそだ。

その日の自分が満足するまで考えたり、書いたりすることが多い。1文字も書けていないし、書いても結局消したりと、全然進んでいないのに机に齧り付いてしまう。

「行き詰まる」言葉は知っているし、自分でも使ったことがある。ただ、「行き詰まったから今日は離れてみよう」と、「行き詰まった=ちょっと休憩しよう」という構図が自分の中で出来上がっていなかった。

おそらく、「行き詰まる」に対しての自覚がとても弱かったんだと思う。

とっくに行き詰まって泥沼へ突入しているのに、私は沼の中でもがいている。足や腕に泥がまとわりついてこれ以上進めない。でも私は「まだ行けるはずだ」と希望を捨てようとしない。すでに結果は見えているのに、まだ戦いを臨んでいるような、そんな諦めの悪さを自覚できていなかった。

もちろん、諦めずに机に向かうのはとてもいいことだ。ただ、私の場合はリフレッシュをして水の流れをよくしたほうが、ぐんぐん前に進める。

お友達からのアドバイスのもと、少しだけ原稿から離れて過ごしてみたところ、突破口が見えてきたからだ。

新しいアイデアも湧いてきて、リフレッシュの凄さを知った。「あれほど悩んでいたのに、こんなにもあっさりと解決するものなのだろうか」と驚いた。

行き詰まったときに、さっさと「一旦離れてみよう!」と勇気を持って諦められるかは、仕事において、創作活動において、とても大切だと痛感する。





きっと、ついパソコンの前に座り続けてしまう人は多いと思う。考え続けたり、リサーチを続けたり、作品を作り続けてしまったり。

貴重な時間を無駄にしないように、とりあえずパソコンを開く、椅子に座る、テキストを開く。これを繰り返して、理想に向かって1ミリでも進められるように手を動かしている。

私だってそうだ。泥沼に突入しているけれど、「きっと何か出てくる」と信じて沼の中を捜索している。

でもそんなときこそ、少しの間だけ離れる勇気を持ちたい。

私も全然離れられなかったけれど、お友達と話したりご飯を食べたりしているうちに、「リフレッシュってこんなに大切だったんだ……」と気がついた。

これまで私のリフレッシュといえば、日記を書く、本を読む、映画を見る、美味しいものを食べるといったこと。半分が文章にまつわることをしてしまいがちだった。

好きだからいいものの、やはりしばしの間、完全に創作や文章にまつわるものから離れてみるほうがいい。場所を変えたり、買い物に行ったり、全然違うことをしてみる。

リフレッシュしているうちに、「頑張っている人たちに置いて行かれてしまうかもしれない」なんて、恐ろしい思考になっても全然大丈夫。むしろ、「創作をしている人にはリフレッシュが必要」なんだと教えてもらった。

自分の感情をパソコンの前だけに閉じ込めないで、広く深く広げていく。その経験一つ一つが、次のあなたの創作の力になってくれるはずだから。





「行き詰まる」に対して恐ろしく無頓着だった私。これからは積極的にリフレッシュをしていきたい。「今日は言葉が出てこない」なんて日は、スパッと気持ちを切り替えるんだ。

泥沼の中で考え続けてしまうのは、私にとっていいことは何もなかったから。

パソコンの前から離れる勇気を持っていよう。

最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪